第1節-4章【日常にまじる、雪】
朝は、昨日と同じ時間に家を出た。
昨日と違うのは、空の色くらいだ。
駅へ向かう道で、
いつもの場所に、いつもの人がいた。
「おはよう」
先に声をかけてきたのは、駅で会う女の子だった。
片手にスマホ、もう片方でマフラーを直している。
「今日は寒いね」
「そりゃ、もうすぐ雪らしいから」
彼女はそう言って、画面をこちらに向けた。
天気予報アプリには、小さな雪のマーク。
「夜から、だって」
「またか」
そう答えたけれど、
胸の奥が、わずかに反応したのが分かった。
「嫌そうじゃないね」
「……そう見える?」
「うん。ちょっと考えてる顔」
自分でも気づいていなかった。
雪が降る、ただそれだけで、
思考が少し先に飛んでいる。
「まぁ、積もらなきゃいいけど」
彼女はそう言って、
いつも通り改札へ向かった。
変わらない朝。
変わらない会話。
それなのに、
雪の予報だけが、頭に残った。
⸻
学校では、
時間が決められた通りに流れていく。
授業、休み時間、チャイム。
窓際の席を見ると、
彼女は今日も外を見ていた。
「雪、降るみたいですね」
昼休み、そう声をかけると、
彼女は一瞬だけこちらを見た。
「予報、出てますね。
夜から、だったと思います」
「さすが」
そう言うと、
彼女はほんの少しだけ口元を緩めた。
「珍しくないですよ」
珍しくない。
彼女にとって、雪はただの現象だ。
「夜、見に行くんですか?」
唐突な質問だった。
でも、否定できなかった。
「……たぶん」
その答えに、
彼女は何も言わなかった。
ただ、また窓の外へ視線を戻す。
彼女は、
誰かに会いに行く理由を
持たない人だ。
雪が降っても、
見送るだけ。
それが、少しだけ遠く感じた。
⸻
放課後、
校舎を出る頃には、空はすっかり重くなっていた。
今にも落ちてきそうな雲。
帰り道、公園の前を通る。
昨日も、一昨日も、
特に何もなかった場所。
……今日は、どうだろう。
足を止めそうになって、
一度、立ち止まった。
でも、まだ降っていない。
「気が早いか」
そう呟いて、家へ向かう。
⸻
夕飯を食べて、
部屋に戻る。
本を開いても、
文字が頭に入ってこない。
スマホを見ると、
通知が一つ。
《雪、今夜から》
短い見出し。
時計を見る。
まだ、間に合う。
俺は立ち上がって、
コートを掴んだ。
理由を考える前に、
体が動いていた。
「ちょっと出てくる」
誰に言うでもなく、
玄関を出る。
外は、
さっきよりも冷たい。
しばらく歩くと、
一つ、二つ、
白いものが視界を横切った。
……降り始めだ。
公園に着く頃には、
雪ははっきりと形を持っていた。
街灯の下で、
静かに、確かに。
ベンチの近くに、
人影があった。
「……やっぱり」
彼女は、そこにいた。
昨日と同じように、
雪を見上げて。
「こんばんは」
声をかけると、
彼女はぱっと振り向いた。
「あ……!」
一瞬の驚きのあと、
嬉しそうに目を細める。
「来てくれたんですね」
来た。
そうだ、俺は来た。
雪が降ると知って、
ここに。
「……約束、だったから」
そう言うと、
彼女は小さく笑った。
「マフラー、ちゃんと洗いました」
そう言って、
大事そうに差し出してくる。
まだ、少し温もりが残っている気がした。
雪は、
確実に強くなっていた。
でも今回は、
足跡が増える前に、
俺は立ち止まっていた。
自分で、
この場所を選んで。
この冬が、
少しずつ、
日常じゃなくなっていくのを感じながら。
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