第11話:世界で一番静かな結婚
第11話:世界で一番静かな結婚
朝の空気は、音が少なかった。
冬の光が、白い礼拝堂の窓から斜めに差し込み、床の木目を淡く照らしている。
花はある。だが主張しない。
香りもある。だが思い出させない。
誰かの神経を刺激しないように、
すべてが、控えめに、慎重に置かれていた。
「……大丈夫?」
リリアが、小さく聞く。
「……ああ。静かだ」
ギルバートの声も、いつもより低い。
彼は正装をしている。
だが、装飾は最小限だ。
金属音が鳴らないよう、留め具は布で覆われている。
「心拍は?」
「……落ち着いている。
君と、同じくらいだ」
それを聞いて、リリアは安心したように息を吐いた。
結婚式に、音楽はない。
鐘も鳴らさない。
拍手も、求めない。
司式者の声も、風に紛れるほど小さい。
「……それでは……誓いを」
ギルバートが、一歩前に出る。
床を踏む音が、ほとんどしない。
「……リリア」
「はい」
彼は、一瞬、言葉を探した。
愛している。
永遠に。
守る。
――どれも、ここでは大きすぎた。
「……俺は……
君の呼吸を、乱さないと誓う」
会場の空気が、少し柔らぐ。
誰かが、うとうとと目を閉じる。
「君が疲れたら、止まる。
君が進むなら、並ぶ」
リリアの喉が、静かに鳴った。
「……ありがとう」
今度は、彼女の番。
リリアは、深呼吸を一つ。
「……ギルバート」
「……ああ」
「私は……
あなたを、変えません」
彼の指先が、わずかに震えた。
「あなたの速さも、遅さも、
そのまま尊重します」
間。
「……だから……
一緒に、調整してください」
それだけだった。
誓いの言葉は、終わった。
だが、誰も物足りなさを感じなかった。
むしろ、
胸の奥に、静かな満足が広がっていく。
列席者たちは、気づかぬうちに肩の力を抜いていた。
「……眠くなる……」
誰かが、ぽつりと呟く。
「安心、するな……」
別の誰かが、目を細める。
それは、リリアの状態異常魔法だった。
だが――
付与ではない。調整だ。
神経が、正しい位置に戻るだけ。
涙を流す者はいない。
歓声も、ない。
ただ、深い安らぎ。
式が終わったあと、二人は並んで歩いた。
外は、雪。
足音が、吸い込まれる。
「……結婚、したな」
ギルバートが言う。
「ええ」
「……実感は?」
リリアは、少し考えた。
「……今朝と、あまり変わりません」
彼は、小さく笑った。
「それが……いい」
「はい」
その夜。
リリアは、日記を開く。
ペンの音が、紙をなぞる。
大きな愛はいらない。
ただ明日も、
あなたの隣で、
静かに息をしていたい。
インクが乾く。
ギルバートが、隣で言う。
「……眠れるか?」
「はい。
今日は、とても」
「……俺もだ」
二人は、同時に横になる。
明かりを落とす。
音が、消える。
リリアの魔法は、今日も誰一人殺さない。
誰かを支配しない。
ただ――
生きやすくする。
最愛の人と、
国と、
世界を。
静かに。
とても、静かに。
(完)
ここまで、本当にお疲れさまでした。
これは**「安心が勝利する物語」**でした。
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