エピローグ
エピローグ
朝の光は、今日も控えめだった。
カーテンの隙間から差し込む白い光が、床に細い帯を作っている。
鳥の声は遠く、風の音はもっと遠い。
「……起きてる?」
布団の中から、リリアが小さく声を出す。
「……うん。今、呼吸を数えてた」
ギルバートの声は、まだ眠りの縁にある。
「どう?」
「……安定してる。君は?」
「私も。
昨日より、少しだけ深いです」
それだけで、二人は満足した。
起き上がる音も、最小限。
床に足を下ろすとき、木の冷たさが足裏に伝わる。
「冷たい?」
「大丈夫。
……この冷たさ、好きです」
台所では、湯が静かに沸いていた。
音を立てない薬缶。
香りを主張しない茶葉。
「今日は、少し薄めにしますね」
「……助かる。
昨夜、考え事をしすぎた」
「夢、見ました?」
「……見た。
でも、悪くなかった」
湯気が立ち上る。
リリアは、湯の温度を指で確かめる。
「……熱すぎない」
「君の指は、正確だな」
「慣れました」
二人は向かい合って座る。
机の木目が、穏やかだ。
「……ねえ、リリア」
「はい」
「結婚して……変わったことは?」
彼女は、少し考える。
「……帰る場所が、確定しました」
「……ああ」
「迷わなくなった、というか」
「それは……いい」
窓の外では、領民たちが静かに動いている。
叫び声はない。
無駄な衝突もない。
「……今日も、穏やかですね」
「ええ。
昨日、子どもたちがよく眠れたそうです」
「……それは、良かった」
ギルバートは、湯呑を両手で包む。
「……俺は、まだ時々怖くなる」
「何がですか?」
「……この静けさが、壊れること」
リリアは、少し微笑んだ。
「壊れたら……また、調整します」
「……簡単に言うな」
「簡単ですよ。
あなたが、教えてくれましたから」
「……?」
「無理をしないこと。
我慢を、美徳にしないこと」
彼は、目を伏せた。
「……君は、強いな」
「いいえ。
弱さを、隠さなくなっただけです」
昼下がり。
二人は庭を歩く。
砂利の音が、一定のリズムを刻む。
「……歩幅、合わせますか?」
「ありがとう」
ギルバートの歩調が、わずかに緩む。
「……君は、俺を治したと思うか?」
リリアは、首を振った。
「いいえ。
治していません」
「……じゃあ?」
「一緒に、生きやすくなっただけです」
風が、木々を揺らす。
葉擦れの音が、心地いい。
「……それで、十分だな」
「はい」
夕暮れ。
空が、ゆっくりと色を変える。
「……今日も、一日終わりますね」
「……早かった」
「安心していると、時間は早いです」
夜。
灯りを落とす。
「……リリア」
「はい」
「……ありがとう」
「……何に?」
「……ここに、いてくれて」
彼女は、少し間を置いて答える。
「……こちらこそ」
二人は横になる。
呼吸が、自然と重なる。
「……聞こえますか?」
「……あなたの息」
「……ああ」
「……それで、十分です」
外では、何も起きていない。
世界は、今日も壊れていない。
状態異常魔法は、
誰かを倒すためではなく、
誰かと共に眠るために使われている。
リリアは、目を閉じる前に思う。
――大きな奇跡はいらない。
――ただ、明日も同じ静けさがあればいい。
そして、二人は眠る。
深く。
穏やかに。
物語は、ここで終わる。
幸福は、続いていく。
状態異常魔法使いの幸福な再婚 春秋花壇 @mai5000jp
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