第8話:王都を包む「静かな制圧」

第8話:王都を包む「静かな制圧」


 王都の晩餐会は、いつもよりも華やかだった。


 水晶のシャンデリアが光を砕き、磨き抜かれた床に反射する。

 銀器が触れ合う澄んだ音。

 香辛料と焼き肉、甘い酒の匂い。


 ――刺激が、多すぎる。


 リリアは一歩、立ち止まった。


「……大丈夫か?」


 低く、穏やかな声。

 ギルバートが、彼女の呼吸に合わせて立つ。


「ええ。……ここまで来ましたから」


 彼女は微笑んだ。

 視線だけで、彼に「調整は不要」と伝える。


 その背後。


 音もなく並ぶ騎士たちがいた。


 鎧は軽装。

 剣は鞘に収まったまま。


 だが、全員の呼吸が――

 同じ速さで、同じ深さで、揃っている。


 完全な生理同期。


 その異様さに、周囲の貴族たちがざわめいた。


「……あれは、どこの騎士団だ?」

「息が……揃いすぎていないか?」


 リリアが一歩進む。


 その瞬間。


 空気が、変わった。


 音が消えたわけではない。

 だが、音が遠のく。


 杯を置く音が、布越しに聞こえる。

 笑い声が、膜を隔てた向こう側に落ちる。


 ――威圧。


 だがそれは、恐怖ではない。


 「ここで騒いではいけない」

 そう、身体が勝手に理解する圧だった。


「リリア!」


 荒い声が、空気を裂く。


 アルベルトだった。


「なぜ、ここにいる! お前は――!」


 彼は彼女に近づこうとする。

 だが、一歩踏み出した瞬間。


 足が、止まった。


「……な、んだ……?」


 汗が、背中を伝う。

 心臓が早鐘を打つ。


 だが、理由が分からない。


「近づけない……?」


 剣を抜いていない。

 誰も彼に触れていない。


 それなのに。


「……息が、苦しい」


 アルベルトの呼吸が乱れる。


 リリアは、振り返らない。


「ギルバート」


「ああ」


 それだけで十分だった。


 騎士団の威圧が、半段階だけ強まる。


 空間が、静かに沈む。


 貴族たちの喉が鳴る音が、はっきり聞こえた。


「ば、馬鹿な……魔法は、使っていないはずだ……!」


 アルベルトの声が、震える。


 リリアが、ようやく振り返った。


「ええ。攻撃魔法は使っていません」


 静かな声。


「これは状態異常です」


「じょう……たい……?」


「威圧。

 恐怖でも、洗脳でもありません。

 ただ――あなたの神経系が、ここを『危険』と判断しているだけです」


 アルベルトの膝が、がくりと落ちた。


「なぜ……俺だけが……!」


「違います」


 リリアは、彼を見下ろす。


「私たち以外、全員にかかっています」


 周囲を見回せば、誰一人として声を出せない。

 剣を抜こうとする者もいない。


 怒りも、敵意も、

 すべてが――静かに鎮められていた。


「戦う必要はありません」


 リリアの声が、会場に落ちる。


「ここは、王都です。

 血も、悲鳴も、不要でしょう?」


 ギルバートが、彼女の隣に立つ。


「……この場は、我々が預かる」


 その声は、低く、しかしよく通った。


 王も、動けない。


 命令を出すことすら、できない。


 ただ、自分の心拍が落ち着いていくのを感じていた。


 ――静かな制圧。


 剣は抜かれず。

 血は流れず。

 だが、誰も逆らえない。


 アルベルトは、床に手をついたまま、呻いた。


「……お前は……何者だ……」


 リリアは答えない。


 ただ、ギルバートと視線を交わす。


 呼吸が、揃う。


 それだけで、十分だった。


 王都の夜は、

 かつてないほど静かに、更けていった。


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