第7話:効率的な「ざまぁ」の始まり

第7話:効率的な「ざまぁ」の始まり


 異変は、夜から始まった。


 眠れない。

 目を閉じても、意識が落ちない。

 鼓動が速く、呼吸が浅い。


 アルベルト・フォン・クラウゼンの領地では、それが日常になっていた。


「……また、ですか」


 城付き医師が、疲れ切った声で言う。


「不眠、動悸、耳鳴り、過敏反応……。原因が、わかりません」


 アルベルトは、苛立ちを隠さずに言い放った。


「原因は魔力不足だ! もっと強い結界を張れ! もっと光を――!」


 彼の指示で放たれる高火力魔法が、夜空を裂く。


 白く、眩しく、正しい光。


 だが、そのたびに領民は布団の中で身を強張らせた。


「……また、来る」


 子どもが、震えた声で言う。


「光が……頭の中に、残る……」


 母親は、何も言えない。

 ただ、子どもの背を撫でる。


 だが、撫でる手も震えている。


 朝。


 市場から、怒鳴り声が消えた。


 活気がない。

 笑い声がない。


 代わりにあるのは、ため息と、擦れた視線。


「……眠れていないんだ」


 商人が、ぽつりと漏らす。


「誰も」


 領地は、崩壊していた。


 だが、燃えてはいない。

 血も流れていない。


 静かに、壊れている。


 数日後。


 一通の嘆願書が、辺境の城に届いた。


 封蝋は、乱れている。


 ギルバートが目を通し、リリアに渡した。


「……来たか」


 リリアは、紙を読む。


 行間に、疲労が滲んでいる。


「……助けてほしい、とは書いていませんね」


「……誇りが、邪魔している」


 ギルバートの声は、低い。


「だが……限界だ」


 リリアは、紙を畳んだ。


「……行きますか」


「……頼まれていないぞ」


「ええ」


 彼女は、静かに言った。


「でも、必要とされています」


 到着した町は、音がなかった。


 風が吹いても、誰も顔を上げない。


 足音が、重い。


「……誰だ?」


 兵士が、警戒する。


 リリアは、名乗らない。


 代わりに、一歩、前に出る。


 そして――何もしない。


 詠唱もない。

 光もない。


 ただ、空気に、鎮静を溶かす。


 ほんの微量。

 気づかれない程度。


 五分後。


「……?」


 兵士が、眉をひそめる。


「……頭が、痛くない……?」


 十分後。


 市場の隅で、誰かが座り込む。


「……あれ……息が……」


 二十分後。


 子どもが、欠伸をした。


 夜。


 その町で、久しぶりに眠りが訪れた。


 夢を見ない、深い眠り。


 朝。


「……誰だ」


 アルベルトが、リリアを見た。


「貴様……何をした!」


 声は荒い。

 だが、足取りが不安定だ。


 彼自身が、眠れていない。


「……何も」


 リリアは、答えた。


「……減らしただけです」


「減らしただと?」


「刺激を」


 アルベルトは、笑った。


「くだらない! そんな魔法が、役に立つものか!」


 その瞬間。


 背後から、声が上がる。


「……役に、立ってます」


 領民だった。


 老女が、一歩前に出る。


「昨夜……久しぶりに、眠れました」


 別の男が、続く。


「……怒鳴らなくて、すんだ」


 子どもが、母の手を引く。


「……怖くなかった」


 アルベルトの顔が、歪む。


「……黙れ! お前たちは、騙されている!」


 だが、誰も下がらない。


 彼らの神経が、もう知ってしまったからだ。


 どちらが、楽か。

 どちらが、生きられるか。


「……君は」


 アルベルトは、リリアを睨む。


「……俺を、馬鹿にしに来たのか」


 リリアは、首を振った。


「いいえ」


 そして、淡々と続ける。


「……私の魔法は、選びません」


「……選ぶのは、あなたたちです」


 それが、ざまぁだった。


 罵倒も、断罪もない。


 ただ、比較。


 その日から、領民は知った。


 高火力は、誇りを満たす。

 鎮静は、命を守る。


 アルベルトは、夜を迎える。


 だが、眠れない。


 窓の外では、隣町の灯りが静かに揺れている。


 ――あそこは、眠れている。


 彼は、初めて理解した。


 捨てたものが、

 今、最も価値のあるものだったと。


 皮肉は、叫ばない。

 静かに、確実に、効く。


 リリアは、城に戻る。


 ギルバートが、迎える。


「……終わったか」


「……始まりです」


 二人は、同じ時間に茶を飲む。


 同じ温度で。


 その外で、世界は、静かに塗り替えられていった。


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