第4話:神経系が選ぶ「真の伴侶」

第4話:神経系が選ぶ「真の伴侶」


 その日は、空気が硬かった。


 朝から城の廊下に、ざわつきが溜まっている。

 足音が多く、声が反響し、金属が触れ合う音がやけに鋭い。


 ギルバートは執務室の奥で、指先を組んでいた。


(……来る)


 理由はわからない。

 だが、神経が先に察知している。


「辺境伯様。王都より視察団が到着しました」


 扉の外の声が、少しだけ高い。

 緊張が、伝染している。


「……通せ」


 返事をした瞬間、胸の奥がきしんだ。


 扉が開く。


 最初に流れ込んできたのは、光だった。


 白く、強く、逃げ場のない光。

 祝福の魔法。

 浄化の魔法。

 称賛されるべき、正しい力。


「まあ! ここが噂の辺境ですの?」


 高く澄んだ声。

 笑顔。

 完璧な姿勢。


 その隣に立つ男を、ギルバートは見なくてもわかった。


「久しぶりだな、ギルバート」


 アルベルト・フォン・クラウゼン。


 その声が、空気を押し広げる。


 そして――光が、増した。


 聖女が一歩踏み出す。

 足元から、祝福の波が広がる。


「この地にも、神の恩寵を」


 瞬間。


 ギルバートの視界が、白く弾けた。


 音が、歪む。

 光が、刃になる。


(……やめろ)


 喉が、うまく動かない。

 息が、吸えない。


 肩に、強い力が入る。

 心拍が、跳ね上がる。


 発作の兆し。


「ギルバート様?」


 アルベルトの声が、遠くなる。


 そのとき。


 一歩、前に出る気配があった。


 リリアだ。


 彼女は、何も言わない。


 詠唱もしない。

 腕を振り上げもしない。


 ただ、光とギルバートの間に、静かに立つ。


 そして――世界が、少し暗くなる。


 完全な闇ではない。

 祝福を否定しない。


 ただ、減光。


 白が、乳白に変わる。

 刺激が、輪郭を失う。


「……っ」


 ギルバートの喉から、息が漏れた。


 次に広がったのは、眠りに似た感覚だった。


 落ちるのではない。

 沈むのでもない。


 包まれる。


 暖炉の前にいるときの、あの感覚。

 夜、目を閉じる直前の、境界。


 心拍が、ゆっくりになる。


 ――どくん。


 ――どくん。


 そのリズムに、もう一つ、重なるものがあった。


(……?)


 気づいた瞬間、彼は理解した。


 リリアの鼓動だ。


 彼女は、彼と同じ速度で呼吸している。

 合わせようとしているのではない。


 自然に、同期している。


「……!」


 視界が、戻る。


 音が、刺さらない。


 ギルバートは、膝をついていない。

 倒れてもいない。


 ただ、立っている。


「……何をした?」


 アルベルトの声には、苛立ちが滲んでいた。


 リリアは、振り向かない。


「減らしただけです」


「減らした?」


「過剰だったので」


 それだけ。


 聖女が、目を丸くする。


「そんな……祝福を、弱めるなんて……」


 リリアは、初めて彼女を見た。


 敵意はない。

 ただ、距離がある。


「必要な人には、必要な分だけでいいんです」


 ギルバートは、その言葉を身体で理解した。


 選ぶべき伴侶は、

 魔力の強さでも、

 血筋でも、

 正しさでもない。


 ――神経が、安全だと判断する相手。


 彼は、リリアを見た。


 彼女は、何も誇らない。

 勝ち誇らない。

 支配しない。


 ただ、ここにいる。


「……もう、大丈夫だ」


 自分の声が、静かであることに、彼は驚いた。


 リリアは、頷く。


 その小さな動きが、世界を安定させる。


 アルベルトは、何か言おうとして口を開いた。

 だが、言葉が出ない。


 彼には見えないのだ。

 この静かな選択が。


 ギルバートは、確信した。


 ――この人だ。


 恋ではない。

 激情でもない。


 生きられる相手。


 それが、真の伴侶だと。


 彼は、リリアの隣に立った。


 それだけで、世界は十分だった。


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