第2話:沈黙を愛する辺境伯
第2話:沈黙を愛する辺境伯
辺境の城は、音が多かった。
風が壁を叩く音。
古い石が軋む低い唸り。
遠くの森で折れる枝の乾いた響き。
それらすべてが、刃のように研ぎ澄まされて、ギルバート・ロウエンの神経を削っていた。
「……また、か」
執務室の椅子に深く腰を下ろし、彼は額を押さえる。
視界の端で、光がちらつく。
暖炉の炎が、やけに眩しい。
――強すぎる魔力。
祝福でもあり、呪いでもある力。
世界の些細な変化が、すべて増幅されて流れ込んでくる。
人の声は大きすぎ、
感情は重すぎ、
沈黙すら、完全ではない。
「辺境伯様。追放された令嬢が到着しました」
扉の外から、部下の声。
ギルバートは小さく息を吐いた。
「……通せ」
正直、誰とも会いたくなかった。
説明、同情、哀れみ。
それらはすべて、音になる。
扉が開く。
そこに立っていたのは、思ったよりもずっと静かな女性だった。
派手な装いはない。
視線を押しつけてこない。
入室の音すら、やけに小さい。
――妙だ。
普通なら、ここで何かが起こる。
魔力がざわめき、空気が歪む。
だが、何も起きない。
彼女は一礼したあと、何も言わなかった。
名乗らない。
事情を語らない。
許しも、助けも求めない。
ただ、そこに立っている。
「……」
ギルバートは、思わず彼女を見た。
その視線も、強くない。
値踏みもしない。
“期待”が、ない。
(……うるさくない)
その瞬間、彼は気づいた。
胸の奥が、少し楽だ。
彼女が一歩、部屋の中に入る。
その足取りは、床を踏まないような慎重さだった。
暖炉の前。
窓と窓の中間。
彼女は、立ち位置を選んでいた。
――魔力の流れが、一番荒れない場所。
ギルバートの眉が、わずかに動く。
「……何の用だ」
ようやく絞り出した声は、低く掠れていた。
だが、彼女は答えない。
代わりに。
何かが、変わった。
ほんの、ほんのわずか。
水に一滴、温度の違う雫を落としたような変化。
空気が、柔らかくなる。
耳鳴りが、遠のく。
炎の揺らぎが、穏やかになる。
時計の音が、刺さらない。
「……?」
ギルバートは、ゆっくりと瞬きをした。
呼吸が、深く入る。
(……鎮静……?)
だが、魔法陣は見えない。
詠唱も、ない。
ただ、そこにいるだけ。
沈黙が、落ちる。
不快ではない沈黙。
逃げ場のある沈黙。
暖炉の薪が、ぱちりと鳴る。
それすら、心地いい。
ギルバートは、初めて感じた。
――壊れない。
ここにいても。
この人となら。
「……君は」
声を出すと、少し惜しい気がした。
彼女は、初めて口を開く。
「……リリアです」
それだけ。
声は低く、柔らかい。
張り上げない。
期待を乗せない。
「……そうか」
ギルバートは、頷いた。
それ以上、言葉はいらなかった。
彼女は、何も求めていない。
説明もしない。
理解を強要しない。
ただ、彼の神経系に合わせて、世界を少しだけ静かにしている。
彼は、椅子にもたれた。
久しぶりに、目を閉じる。
怖くない。
音が暴れない。
感情が押し寄せてこない。
「……ここに」
彼は、独り言のように言った。
「……いても、いい」
リリアは、微かに頷いた。
その仕草すら、静かだった。
こうして、二人の間に生まれたのは――
恋でも、契約でもない。
沈黙という名の、最初の信頼だった。
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