第2話

「まじか‥」


病室の片隅。

俺はそっと、【嫌われ悪役令息に転生したので、改心して王子様に愛されます!】と書かれた本を机に置く。

全てを思い出した。


ーー俺には前世があるということを。


前世で普通のサラリーマンだった俺。この剣や魔法のファンタジー世界とは違い、日本という科学が発展した国で平凡に生きていた。


唯一の趣味は本を読むこと。中でもBLというジャンルは純粋さと切なさが綺麗に表現されている作品が多くて、男ながらに強く惹かれた。


王道BL小説【光の守護者】。前世に愛読していた本だ。

物語はヒロインが聖女として選ばれ、試練を乗り越え魔王を倒し、愛する者と幸せなラストを迎える王道ストーリー。そして、俺が今存在するこの世界は、小説【光の守護者】を舞台に構成された剣と魔法のファンタジー世界である。


俺は確かにこの世界に生まれ変わり、ヒロイン(♂)として生を受けた。たくさんの友人や愛する人と出会い、時には葛藤して最後には幸せな最後を飾る、はずだったーー本来ならば。


イレギュラーとして″転生者が世界に介入してきたのだ。そこからストーリーの崩壊が始まった。


孤児から光魔法を発現し、貴族の養子となった俺は、魔法王立学園に特別入学してすぐにその男と出会った。三大公爵家のひとつ、レイブン家の令息で、第一王子の婚約者候補であるレイブン・リアキスと。


美しい黒の髪と赤い目を持ち、絶世の美人の家系と謳われている。が、幼い頃から甘やかされて育った本人の性格はひん曲がっており、ある意味可愛いぐらいの我儘で傲慢だと有名だったキャラクター。作中では第一王子と仲良くなったヒロインへの嫉妬や妬みからの行動で行き過ぎたいじめを繰り返し、最後にはヒロイン殺害未遂容疑により流刑に処される。俗にいう悪役令息キャラだ。


だけど、この世界のレイブン・リアキスは原作通りではなかった。

ただ暴れて怒鳴りつけるだけの原作のリアキスとは違い、俺の行動や発言の全てを冷静に分析し反論する。話題の誘導がうまく、暴論、感情論だと周りを巻き込んでは呑み込んでいく。そんな頭脳と説得の才能が彼にはあった。そして少しの闇魔法しか使えなかった原作とは違い、先読みの目を持ち、何度も物語の軌道を逸らされたのだ。


最初は俺に賛同していた仲間達も、リアキスと関わる機会が増えると共に次々と寝返り、ついには愛する者からも拒絶され、裏切りに煮えくりかえりそうなほどの傷を負った。だけど、絶望でどうにかなりそうでも、罪人だと罵られ地下牢に閉じ込められても、俺は自分の信念を曲げなかった。助けを求める人々に手を差し伸べること。見える範囲でいい。救える範囲でいい。目の前で傷ついたものがいたのなら聖女の力で癒すこと。世界を愛していた。愛する者達を信じていた。そう、信じれば諦めなければきっと叶うのだと。


俺は誰からも望まれていなかったというのに。


皮肉なことに世界には俺の聖女の力が必要だった。原作とは違い、俺の代わりに転生者と元仲間達が魔王を倒した後も、死体から溢れ出したという闇の魔力により、たくさんの森や街が犠牲になっていく。

牢から解放され知らぬ他人から暴言や暴力を受け心をボロボロに千切られてなお、それでも聖女として求められればその力を分け隔てなく使った。


そしてついに最後の闇の魔力を浄化することに成功した。世界を救ったのだ。でも、

そんな俺に残ったのは強大な負荷と闇の汚染による、右目、右腕の消失。そして孤独な死のみだった。


最後に見えたのは愛する者の何の感情も宿らない表情。隣には全てを奪ったリアキスが憐れんだ表情で俺を見つめていた。


俺は馬鹿だったから、頑張ったら自分の疑いが晴れて、また笑ってくれるんじゃないかって、信じてくれるんじゃないかって‥最後の力を振り絞って愛する人へと手を伸ばした。


『罪人でも聖女の務めだけは果たしたようだなーー』


『‥でも‥彼の体が‥』


『お前は気に病むことはない‥。これも罰だ。きっと彼の運命だったのだろう。これからは、俺たちを照らす明るい未来が待っている。改めて言おう。リアキス、愛しているーー』


『うん、僕も愛してるーーー』


伸ばした腕は空を斬る。愛する人とリアキスのキスシーンを見せつけられて、心臓が氷のように冷たくなった。

その時になってやっと気づいたんだ。俺にはもう何も残ってなかったんだって。ついにこの世界からも必要じゃなくなったんだって。

何の価値もない、地面に転がった石ころと同じ。


ーー信じ続ければきっと、いつかまた俺の話を聞いてくれるんじゃないか


ーーまた君が笑顔を向けてくれるんじゃないか


ーー″愛してると、また君が俺に


涙は出なかった。いや、出てたのかもしれないけど感覚がもう残って無かったんだ。

彼らが去っていく背中を事切れるまで俺はぼーっと見つめていた。


″悪の聖女は、自分の犯した罪を背負い、1人で孤独に死んでしまいました。そしてようやく、世界に平和が訪れたのです。″


机の上に置かれた本の最後のページの一文を見て、俺はゆっくりと目を閉じた。


最悪の気分だ。

原作や事実とは捻じ曲げて俺を悪役のように仕立て上げられた本。作者名はノアールと名乗っているが、この国では幻の鳥型のモンスターか、レイブン家を象徴する言葉である。確実にレイブン・リアキスが書いた本だろう。記憶を思い出した今、確信した。


ーーレイブン・リアキスは転生者だ。

しかも原作をしっかりと知っている。


窓に映る自分の姿に笑えてくる。桃色の髪に淡い薄紫の瞳。垂れた瞳の下には泣きぼくろがあり、肌は雪のように白い。口は小さくて、リップを塗っても無いのに薄ピンクに色付いている。俺が大好きだった小説の挿絵そっくりだ。どうして今まで前世の記憶を思い出さなかったのだろう。知っていれば少しはマシな未来に変えられたのだろうか。いや、リアキスは俺のことを最初から嫌っていたようだった。記憶が無くてもあっても結局は敵対していたのかもしれない。


手元の小説には死んだと書かれているが、残念ながら俺はこの小さな診療所の先生に奇跡的に拾われて生き延びてしまった。


そして絶望し死んだように過ごしていた日々に、偶然にも首都で流行っているというこの本を読んで前世を思い出したのだ。


何の因果か、

転生者、レイブン・リアキスにより見事に改変されたヒロインとは名ばかりの悪役転生物語に、まだ自分が必要とでもいうのだろうか。


俺は記憶を思い出す前の哀れな今世の自分では絶対に表現できなかったであろう、呆れを含んだ乾いた笑みを浮かべた。


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