第2話 喫煙所の距離感


 観測課のフロアは、思っていた以上に静かだった。


 寿命調整課では、

 数字が飛び交い、

 何千、何万という死の予定が同時に処理される。

 音はなくとも、そこには常に忙しさがある。


 一方、観測課は──

 余白が多い。


 椅子は少なく、机も簡素。

 誰も急いでいない。


 原田は、その空気にわずかな違和感を覚えながら、

 木村の後を歩いた。


「まずは……喫煙所」


「私は吸いません」


「知ってる。でもね」


 木村は振り返らずに言う。


「観測課は、ここがスタートなんだよ」


 薄く笑い、ガラス戸を開ける。


 喫煙所は狭かった。

 換気扇が低い唸りを上げ、

 壁際の灰皿には吸い殻が積もっている。


 木村は迷いなく一本取り出し、火をつけた。

 細い煙が、ふわりと広がる。


「……苦手なら、距離を置いていい」


 煙越しにそう言われ、

 原田は半歩だけ後ろへ下がった。


 木村は気にする様子もなく、

 ゆっくりと煙を吐き出す。


「観測ってね。最初は、無駄に見えるんだ」


「……そう思っています」


 木村の眉が、わずかに動いた。

 意外でも、否定でもない。

 ただ──知っていた、という反応。


「寿命が決まっているなら、意味はない。

 そう考える死神は多いよ」


「事実では?」


「事実、だね」


 木村は煙で輪を描いた。

 淡々としているのに、

 どこか楽しんでいるようにも見える。


「じゃあ、なんのために観測するか。分かる?」


「……分かりません」


「昨日の匂いを確認するため」


 原田は黙った。


 木村は続ける。


「人間ってね、死ぬ前に必ず揺れる。

 怖くなったり、

 思い出したり……

 昨日に引っ張られるんだ」


 煙が原田の方へ流れる。

 原田はわずかに顔を背けた。


 それでも、木村は言葉を止めない。


「その匂いを、死神は見届けなきゃいけない。

 数字に出ない部分をね」


「……匂い、ですか」


「うん。揺れの匂い」


 換気扇が、ゆっくりと煙を吸い上げていく。


 黒髪が揺れ、

 煙が揺れ、

 時間だけが静かに進む。


「煙は嫌い?」


「……はい」


「正直でいい」


 木村は笑わず、ただ言った。


「でもさ。

 嫌いな匂いほど、残るんだよ」


 一拍置いて、付け足す。


「昨日みたいにね」


 原田は言葉を返せなかった。


 木村はタバコを灰皿に落とし、背を向ける。


「行こ。

 初めての“観測”」


 その背中を見つめながら、

 原田は喉に残る煙を、ゆっくり吐き出した。


 ──嫌いなのに、消えない匂いだった。

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