第4話:零(ゼロ)の土地と管理外の操作

人里離れた山奥、昼下がりの陽光にさらされた、周囲に何もない孤立した古い屋敷。屋根の瓦は剥がれ落ち、壁の土は崩れて骨組みが剥き出しになっている。住人がいなくなってから数十年は経過しているのだろう。庭は膝丈まで雑草に覆われ、湿ったカビの臭いと腐敗した木の匂いが漂っていた。

ゼウスはその庭先で胡座(あぐら)をかき、空中に展開した管理パネルを無表情に叩いていた。

(……座標定義、エラー。魔力密度、計測不能。限りなくゼロに近い。これでは領域の維持すら……)

ゼウスは自身の足元を見た。魔界から王都、転移の衝撃を越えてこの未知の地まで。魔王城から繋ぎ止めて持ってきた「光のライン」が、地面に突き刺さり、この地の座標に辛うじて固定されている。

(……このパスが唯一の命綱か。だが、この細いラインで繋がっているのは情報のやり取りが限界だ。物質転移に必要な魔力には到底足りない。俺自身の魔力はまだ莫大に残っているが、この魔力が枯渇した環境では回復は望めない。使い切れば終わりだ。まずは、魔界側との通信パスを優先確保する)

ゼウスは無造作に指先を動かし、ラインの先端から流れる信号を管理パネルへと同期させた。次元間の干渉により一瞬ウィンドウが揺らぐが、彼はそれを指先で固定し、強引に押さえつける。

「……接続試行。リソースの一部を通信ポートへ。この程度のノイズ、無視だ」

エラーログが奔る間もなく、ゼウスが自身の魔力を僅かにラインへ流し込むと、強引に信号が安定し、魔王城の作戦会議室へと繋がった。

「……聞こえますか。私です」

静かな声が響くと同時に、魔王城の会議室の中央に、ゼウスの姿を映し出した透明な空中ディスプレイが浮かび上がった。静まり返っていた部屋は、一転して割れんばかりの歓声に包まれる。

「若様! ご無事でしたか……!」

「若様! 隣国の王都を中心に、凄まじい魔力衝突と空間の崩落を観測しました。直ちに千里眼(サーチ)を最大展開しましたが、若様の魔力反応が完全に途絶え……!」

「落ち着いて。……迎えを寄こそうなんて考えないでください。リソースの無駄ですから。ここは皆さんの術式が届くような距離じゃないです」

ゼウスの淡々とした制止に、家臣たちが言葉を失う。中央に座す父は、信じがたいものを見るように、ディスプレイに映るゼウスの姿を見つめていた。

父にとって、魔王が持つ「権限」とは、土地の気候を安定させ、作物の実りを助けるための管理の実務であった。だが、ゼウスは今、その力を自身の姿を遠方へ投影する映像魔法の媒介へと作り変えてみせたのだ。

「……ゼウス、お前。その力……いったい、何をどうしているのだ?」

父の声には困惑が混じっていた。ゼウスは淡々と答えた。

「父上が土地を育てるために使っていた権限と、根源は同じものです。ただ、どうやら私には、こういう使い方のほうが馴染みが良かったようで。……さて、詳しい話は後ほど。まずは、そちらに戻るための方法を再構築します。時間はかかるとは思いますが、私が不在の間、魔界の統治をお願い申し上げます」

「だがゼウス、権限はお前に移譲してしまった。今の私では、土地を健やかに保つための……魔王としての実務すら満足に行えん」

「そのための通信(ライン)です。私がこの接続を維持している限り、私の権限の一部をそちらへ預けておきます。魔界の環境を維持し、管理を滞りなく進めるための権能は、それで十分に振るえるはずです」

父は目を見開いた。一度譲り渡した力を、次元を越えた遠隔地から一時的に貸与するなど聞いたことがない。だが、目の前の光景が、それを可能にするゼウスの圧倒的な構築能力を証明していた。

「……どこまでも規格外な息子だ。承知した、ゼウス。お前が戻るまで、この場所は私が守っておこう」

ゼウスはふと思い出したように尋ねた。

「あの使者たちは?」

「ああ。……地下牢へ放り込んである。自分たちが捨て駒だった事実に加え、死から戻った私と、お前の力を見せつけられたことで、もはや牢の隅で震えるばかりだ。何も知らされていないようだしな、放っておけ」

「……そうですか。彼らの処遇は父上に一任します。今はそれよりも、そちらへ戻るための算段を」

ゼウスは一拍置き、ディスプレイ越しに父の目を真っ直ぐに見据えた。

「必ず、方法を見つけ出します。……それまで、魔界をよろしくお願いします」

「……ああ。待っているぞ、ゼウス」

父の言葉を最後に、ゼウスは指先でウィンドウをなぞった。高負荷な映像通信を切断し、魔界との接続を最低限の維持モードへと切り替えてから、彼はあぐらを解いて立ち上がった。

(……まずは拠点の確保だ。このボロ屋を俺の領域(ドメイン)として再定義する)

ゼウスは掌を地面にかざし、自身の内にある膨大な魔力を、細く、鋭く、正確に削り出した。無駄な放出は一滴たりとも許されない。

「システム構築、物理干渉プロトコル。まずは……腐敗の停止と、境界の固定だ」

指先から放たれた極細の光線が屋敷の四隅を貫き、瞬時に目に見えない結界を張り巡らせる。朽ち果てた木材を魔力で補強し、構造的な崩落を防ぎながら、情報の死角となっていた地下層の空間を拡張していく。

その作業の最中、ゼウスは足元の瓦礫の隙間に挟まっていた、一枚の古びた紙片を見つけ、それを無造作に拾い上げた。それは、『大分新報』という題字の新聞だった。

(……大分、か。ならばここは日本か。だが……)

端がボロボロに欠けた紙面には「二〇〇〇年(平成十二年)」という日付が残っている。ゼウスはそれを現在の自身の感覚と照らし合わせた。

(……この屋敷の朽ち果て具合と、俺の持ち合わせている知識上の時間軸から推測するに、これは三十年ほど前のものか。しかし……)

紙面に躍る「羽柴首相、緊急事態宣言を採択」という見出しと、その傍らに記された「別府湾大地震から一年の現状」という特集記事を、ゼウスは前世の記憶と照らし合わせる。

(……知らないな。羽柴なんて首相は、俺のいた歴史のどこにも存在しない。それに、三十年前に別府湾を震源とするこれほどの巨大地震が起きた記憶も……。座標は同じだが、辿ってきた歴史が異なる別の世界というわけか)

ゼウスは興味を失ったように新聞を足元の瓦礫の中へ捨てると、再び魔力を振るった。

自身の魔力の一部を「物質構成」へと変換し、屋敷の核(コア)を生成する。その際、足元の新聞や周囲の瓦礫さえも構成要素(リソース)として取り込み、再定義していく。ボロ屋だった内装は、瞬時に黒檀のような深い光沢を持つ床と、魔導回路が刻まれた堅牢な壁へと変貌を遂げる。外部からは依然として朽ち果てた廃屋にしか見えないが、一歩足を踏み入れれば、そこは魔王城での生活を再現した、合理的で静謐な居室であった。

(魔力消費、想定内。拠点の基盤構築は完了した。……これ以上の分析は、この地の「現在」に触れなければ進まないな)

ゼウスは自身の容姿から魔族特有の気配を削ぎ落とし、ごくありふれた人間の青年へと偽装するための術式を多重に展開した。

(まずは山を降り、人里を探すとしよう。この世界の理(ことわり)を見極めるために)

陽光が降り注ぐ静寂の中、ゼウスは静かに屋敷の門を後にした。

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