後篇、もしくは少々アレな幕切れ
とりあえず、演劇研究会の話も聞いておく必要がある。
僕がC組の廊下で待っていると、千景が細身の男子と、妙にテンションの高い女子を連れてきた。
「こっちが演劇研究会、正式部員の二人。部長の星野結衣と、副部長の氷室智康」
「三人いるって聞いたけど?」
「三人目は『不在の部員』らしいわよ、設定上」
もう帰っていいかな。面倒くさい連中だな。
「はじめまして。なんちゃって部長の星野です。いやあ、まさか本当にミステリ研に捜査を依頼する日が来るとは。台本に書いとけばよかった」
「脚本にないところで依頼しないでください」
星野は無駄に芝居がかったお辞儀をした。
氷室はその横で腕を組みながら、どこか得意げだ。
何故そんな態度でいられるのか甚だ疑問。
「ちゃんとやりましたからね。不在劇」
「昨日の放課後、この教室で?」
「そう。この教室。合同教室C」
星野がホワイトボードをぽんぽん叩く。
「観客は?」
「……えーと、通りすがりの先生が一人、あと、生徒が二人かな。でも、不在劇だから。観客がいようといまいと、そこに誰もいないことには変わりないんですよ」
「演劇理論で押し切ろうとするな」
千景のツッコミを耳には入れつつ、僕は質問を続ける。
「このホワイトボードの『そこに誰もいなかった』って文字を書いたのは?」
「僕です」
答えたのは氷室だった。
「ラストシーンで、ここを指し示して終わるんですよ。言葉と文字で二重に『不在』を強調する高等テクニック」
「高等かどうかは知らないけど、まあ演出ってことね」
氷室の説明によると、こうだ――。
昨日の放課後、彼らはこの教室に集まり、台本を読みながら「舞台には上がらず」、あくまで客席側から、声だけで芝居をした。
舞台上の「不在」は、観客の想像力によって補われるのだとか。
なんやかんや芝居が終わった後は簡単に片づけをして、ホワイトボードの文字だけはそのまま残して退室した。
そんな流れらしい。
「カード、タッチしなかった?」
「ちゃんとタッチしましたとも。僕なんか、いつも二回タッチする癖あるし。ピッピッて」
「それは一回目を信用してないだけでは」
あと、誤作動に繋がり得るから、正直止めておいた方が良いのでは。
「星野は?」
「しましたよ。っていうか、しないと開かないじゃないですか、あのドア」
確かにその通りだ。
「で、その様子が、監視カメラにも写ってないと」
「写ってないはずないんですけどねえ。氷室、私ちゃんと実体あったよね?」
「生まれてこの方、そんな質問されたこと無いな」
コントをやってる場合では無いんだがな。
溜め息を吐こうとしたところで、妙な視線を感じてしまう。
「というわけで――はい、名探偵の推理タイムです」
「いやまだ全然情報足りないけど」
千景が無理矢理話を進めようとしてくる。それは結構なのだが、あまりにも強引すぎる。お話にならないとはこのことか。
だが、そんなお話にならない状況の中、ひとつだけ気になるワードはあった。
「さっき、『合同教室C』って言ったよね?」
「ええ。アタシたち、いつもここ使ってるから」
星野は、廊下側のプレートを指差した。
そこには確かに、『合同教室C』と書いてある。
ただし、そのすぐ下に、小さな紙がテープで貼られていた。
『※昨年度まで「合同教室D」でしたが、名称が変更されました』
──ああ。
僕の中で、ぴこん、と何かがつながる音がした。
「ねえ千景」
「なに」
「教頭先生が怒ってたのって、『合同教室C』が無断使用されたって話だよね」
「そうだけど?」
「あの人、
「……ありそうでヤだわ、その話」
○
生徒会室。
千景が職員室から借りてきた分厚いファイルをドンと机に置いた。施設管理の資料だ。
「この赤いのが、教頭が昨日見てたっていう教室管理台帳。こっちの青いファイルが、最新のやつ」
「色分けのセンスが完全に昭和だ」
「たしかに」
「っつーか、そもそも最新のがあるんだからそっち見てろや」
文句をしっかり吐き出しながら、僕はまず赤い方を開く。
フロアマップが印刷されていて、三階の端に「合同教室C」の文字がある。
「これが去年までの配置ね。Cが一番端。Dがその隣」
「で、青い方は?」
ページをめくると、ほとんど同じフロアマップ――ただし、端の教室名が入れ替わっていた。
一番端が「合同教室D」。その隣が「合同教室C」。
「……めんどくさ」
「今年の春に入試会場の関係でね。教室の使い方を変えたのよ。
いろんな書類は更新されたんだけど、この赤いファイルだけ、教頭が『慣れてるから』って古いまま使ってたらしいわ」
つまり。
教頭先生は「旧・合同教室C」のドアのログとカメラ映像を確認し、『誰も入っていない』と判断した。
しかし、実際に演劇研究会が使っていたのは「新・合同教室C」、つまり一個隣の教室だった。
そして、さっき廊下で見たプレート。
ドア横のプレートはちゃんと貼り替えられているが、そのすぐ横の壁に、昔のプレートの跡がうっすら残っていた。
――CとD。
教頭先生の頭の中で、教室の名前だけが、まだ入れ替わっていなかったのだろう。
「ログ、見てもいい?」
「それがね、名前でしか表示されないのよ。『合同教室C』って。
でも実際には、内部的な部屋番号があって、それはちゃんと入れ替わってる」
千景が、タブレット端末を操作して見せてくれた。
画面には、『3F-MultiC-NEW』みたいな英数字。
そのログを開くと、昨日の放課後、ちゃんと星野と氷室――そして通りすがりの先生と、生徒二人ぶんの入退室記録が残っていた。
「つまり、教頭が見たのは、『3F-MultiC』の方のログだったってことね。すでに使われていない、空っぽの教室の」
「で、その空っぽのログを見て、『誰も入ってない!』って怒ったと」
「教頭の頭の中でだけ、不在劇が上演されてたのよ」
誰がウマいことを言えと。
とはいえ、演劇理論的にはなかなか高度だ。
「監視カメラの方も、同じ。旧C教室側のカメラは、去年の工事で位置を変えたまま物置の映像しか映らなくなっててね。それを『C教室の映像』だと思い込んでた」
そこまで一息に言って、千景が肩をすくめた。
「そりゃ誰も映らないわよ」
「要するに、教頭は『誰もいない教室』の証拠ばっかり必死で集めてたのね」
「そして、実際に人がいた教室の証拠には、一切目を向けていなかった、と」
実に教育現場らしい。
見たいものだけ見る、という高等テクニックである。
「結論としては?」
千景が、僕の顔を見る。
僕は深呼吸して、探偵っぽく指を立てた。
「事件の真相――。『そこに誰もいなかった』のは、教頭先生のファイルの中だけ、でしたとさ。めでたしめでたし」
「……」
「……」
妙な沈黙が落ちた。
「……しょうもな」
「しょうもな、って言われるのは覚悟してたけど、即答だね」
「だってさあ。教頭が古い資料しか見てなくて、部屋の名前勘違いしてました――って、それ、ミステリですらないじゃない」
「現実ってだいたいそういうもんだよ。大抵の『謎』は、人間のうっかりで説明がつく」
それでも、そのうっかりに意味を見出そうとするのが、たぶん僕らみたいな暇人なのだ。
○
翌日。
演劇研究会は正式に「使用許可済み」として扱われ、教頭先生からの謝罪――らしきものもあったらしい。
「『まあ今回は特別に見逃してやる』……って言われたよ」
「それ謝罪じゃないよね」
「ははは」
星野が苦笑しながら、ホワイトボードの文字を消している。
氷室は、ペットボトルのゴミをまとめながら言った。
「でもまあ、不在劇らしいオチだったんじゃないですか。実際にはちゃんと人がいたのに、『そこに誰もいなかった』ことにされかけたっていう」
「そのフレーズ、多用するとタイトルのありがたみがゼロになる気がする」
僕は窓の外を眺める。
昼休みの校庭には、人がうじゃうじゃいる。
でも、教室の中にいると、あのざわめきが急に遠い別世界のことのように思える瞬間がある。
――そこに誰もいなかった、みたいに。
「次回作のタイトル、どうしましょうかね」
「もう『本当にそこに誰もいなかった』でよくない?」
「続編で自分の前作を全否定するのやめて? それって、前作は誰も居なかったわけじゃなかったって話にならない?」
くだらない話をしながら、僕はふと思う。
きっといつか、本当に「誰もいない」瞬間が、僕たちにもやってくる。
卒業とか、進路とか、そういう大人びた単語が、まだうっすらとしか実感を伴っていない今は、
この、どうでもいいミスと、どうでもいい推理の方が、ずっと濃くて、鮮やかだ。
「そういえばさ」
千景が、教室の入口から顔を出した。
「今回の件、ミステリ研の活動報告として出しといていい?」
「やめて。学校中に『しょうもない事件』として共有されるじゃん」
「大丈夫大丈夫。『誰もいなかった事件』って匿名にしとくから」
「余計ひどいわ」
みんなが笑う。
その笑い声に混ざって、どこからかチャイムの音が聞こえてきた。
昼休みの終わりを告げる、いつもの電子音。
「――あ、やば。次、数学だ」
星野と氷室は慌てて教室を飛び出していく。
千景も、半分走りながら振り返った。
「ほら、あんたも行きなさい、名探偵。今度は出席簿に『誰もいなかった』って書かれるわよ」
「それはそれで、タイトルっぽくてちょっとカッコいいけどね」
僕は、誰もいなくなった合同教室をぐるりと見渡した。
さっきまで人がいて、声があって、笑い声が反響していた場所。
今は、そこに誰もいない。
――でも、ホワイトボードの隅に、消し忘れた小さな文字が残っていた。
『観客:0』
「……アイツら、本当に最後まで不在にこだわるなあ」
僕は苦笑して、その文字を指でこすった。
赤いインクが薄くにじみ、やがて消える。
窓の外から、廊下を走る足音が聞こえる。
教室はきれいに無人になった。
そこに、誰もいなかった。
――少なくとも、出席簿と監視カメラとログに残るような、「ちゃんとした誰か」は。
僕一人くらい、数に入らなくてもいい。
そう思いながら、こっそりとドアを閉めた。
今日の三限もまた、僕なりの正当な理由を持ったサボりとして、静かに完了した。
そこに誰も居なかった 御子柴 流歌 @ruka_mikoshiba
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