そこに誰も居なかった

御子柴 流歌

前篇、あるいはナンセンスな問題提起

 僕が三時間目の授業をサボるときには、大抵の場合『事件』の存在が必要になる。


 ただのサボリと名探偵としての現地調査は、倫理的に全く別モノである。もちろんこれは当社比だが、周りがどう思おうと関係は無い。みんなにはみんなの捉え方があるのだから、僕にだって僕なりの捉え方があるという話だ。


 ――それはともかくとして。


「……というわけで、事件よ」


 目の前でアイスコーヒーを混ぜている有村千景は、グラスの氷をカランと鳴らしながら言った。生徒会副会長で成績優秀、しかしながらやや口が悪い、僕のサボり仲間である。何でそれで生徒会役員が務まるのだろうか。僕は当然ヒラの高校生なのに。


「今のどこに『というわけ』の要素があったんだ?」


「細かいことは気にしない。とにかく事件なのよ。ミステリ研の看板が伊達じゃないところを見せてよ、名探偵さん?」


「僕は正式名称『なんとなく推理してしまうだけの一般高校生』なんだけど」


「長い。要するに暇人でしょ?」


 ひどい。だけど、だいたい合ってるから反論できない。世の中ツラいことだらけだ。


「でさ、タイトルは決まってるのよ」


「事件にタイトル付いてるの?」


「説明のためには、適切な文字数の梗概を用意しろって勉強しなかった?」


 たしかにそうだけども。だいたい四百字詰めくらいで用意しろと言われがちだけれども。


「じゃあ、どうぞ発表してくださいませ」


「うん。『そこに誰もいなかった』」


「……もう帰っていいかな?」


 タイトルだけでクライマックスみたいなこと言うのはやめてほしい。


「訊いておいてそれは失礼だと思うわけよ」


「まぁ、それはすみませんでした?」


「疑問符を文末につけるな」


「¿だったら文頭にも付けとく?」


「スペイン語じゃないのよ? あれは文頭文末どっちにも付けないといけないでしょ。……ああ、もう! ほら、そうやってすぐに話を脱線させないでくれる?」


 お互い様だと思うが、これ以上のやりとりは不毛なので僕は口をつぐむことにした。


 ……『噤む』ってスゴいよね。口から言葉を出すのを禁ずることで「噤む」とするなんて、先達は随分と洒落たことを考えたものだ。


 ――閑話休題それはともかくとして


「で、要件というのは」


「昨日の放課後、空き教室で演劇研究会が特別公演をしたことになってるの」


「……『ことになってる』?」


「そう、ことになってる。でも、職員室的には『してない』ことになってる」


「どういうこと? ……あぁ、そういうことか」


「ええ、そうよ。だって――」


 千景は、ストローをくわえたまま、意味ありげな目をした。


 この意味ありげな目も、だいたい意味がないことで有名だ。


「――そこに、誰も居なかったんだから」




     ○




 状況を整理しよう。整理しないと、三限をサボる名目として弱い。


 一つ目。昨日の放課後、三階の合同教室Cが『演劇研究会特別公演』のために、生徒会を通して正式に予約されていた。


 二つ目。ところが今朝、教頭先生が「無断使用だ」と怒り出した。


 三つ目。理由は簡単。入退室のカードリーダーのログに、昨日その教室に入った生徒が「一人もいない」。監視カメラにも「一人も映っていない」。


 四つ目。でも、今朝教室を覗いたら、机の配置は変わってるし、ホワイトボードには謎の書き込み、ペットボトルのゴミまで残っていた。


 五つ目。謎の書き込みの内容が――


「『そこに誰もいなかった』、ということか」


 僕はその合同教室のホワイトボードを見上げる。


 真ん中に赤いマーカーで、ややクセのある字体。


 周囲には「立ち位置A」「B」という印に加えて、適当な走り書きのセリフ。


 どこからどう見ても、完全無欠に稽古の痕跡だ。


「ちなみに、教頭先生の主張を要約すると?」


「『ログも映像も存在していないのに使われた形跡だけあるなんておかしい。幽霊でも出たのか? いや出ない、出たとしても届出を出せ』って感じ」


 教頭先生の口調はだいたい容易に想像できた。千景のモノマネ通りだ。


 ハッキリ言う。ウチの教頭は控えめに言っても人気が無い。教頭になる前は生徒指導担当に居ただけあって、本当にネチネチとした厭らしい性格と言動だ。ウラで侮蔑的な意味合いを多分に含んだモノマネで笑いものになる程度には人気が無いのだ。


 さて、そんなくだらない脱線話は、少しだけ脳細胞の片隅に焼き付けておくとして――。少しだけ真面目に状況を見極めることが必要だろう。


 僕らの高校はIDカードをドアにタッチしないと入れないし、同時にその情報がログとして残る。さらに廊下のカメラが一応、出入りを映す。これは校内の治安と秩序のためであり、サボりを検出するためだ。


 三限からちゃんと来たことになっている僕が、今ここにいることは一旦棚に上げる。


「生徒会としては?」


「『ちゃんと申請は受け付けましたけど! 部屋は確かに使われた形跡があるし! じゃあ誰が使ったって言うんですか!』って感じ。で、補足をしておくと、その板挟みになってるのがアタシ」


 ご苦労様である。


「なるほど。……そこで便利な『暇人』にお鉢を回して面倒事を押しつけようと」


「押しつけようなんて思ってないわよ。ちょっとだけ肩代わりしてほしいってだけで」


「大差無いんだよなぁ」


「日頃授業サボってるのを少しお目こぼししてもらえるかもしれないんだから、ちょっとくらいは有り難く思ってほしいけど?」


「……それもお互い様みたいな話なんだよなぁ」


「とにかく! 今回は上流階級暇人として雇ってあげるわ。時給ゼロ円で」


「ブラックすぎて幽霊よりタチ悪いな……」


 もうだめだ。まともな交渉が出来るとはハナから思ってなかったけれど、まさかここまでとは。世も末だ。


 とりあえず、教室を一周してみる。


 机は前に五列、後ろに三列ぶんほど。前の方は少し広く空けてあり、演劇っぽい空間を意識しているのがわかる。


 机の上には、コンビニのレシート、ペットボトル、メモ用紙。


 メモのひとつには、丸文字でこう書いてあった。


『ラスト、セリフ被せる?』


『いや、「誰もいなかった」で一回止めた方が余韻を出せる』


 なるほど。作品タイトルだけではなく、締めのセリフまでも『そこに誰もいなかった』らしい。徹底している。タイトルが実はサゲでした、ということか。さながら『死ぬなら今』みたいな物語だ。


「演劇研究会って、何人くらいだっけ」


「公認団体としては三人。プラス幽霊部員が数名」


「幽霊部員って。ちゃんと届出は出した?」


「そこまで厳密に言うと、アタシたち生徒会の存在も危うくなるからやめようか」


 うまいこと言われた。


「で、その三人は、昨日ここで公演したって主張してる?」


「全員口を揃えてね。『ちゃんとやりました。観客は少なかったけど』って」


 そこまで聞いて、僕はホワイトボードの隅に小さく書いてある文字に気づいた。




『演劇研究会 特別公演

 不在劇シリーズ#1

 「そこに誰もいなかった」』




「……不在劇?」


「そう。パンフも残ってたよ」


 千景が鞄から、適当に作られたコピー用紙の束を取り出した。


 そこには、こう書かれている。




不在劇アブセント・プレイとは?

 ――舞台には誰も立たないが、そこに「いたはずの人々」が観客の脳内で再構成されることを目的とした、新感覚演劇形式である。』




「……うん?」


「ちなみにこれ、演劇研が三日前に提出した企画書のコピーね。教頭先生は『そんなの読んでない』って言ってたけど」


「読め。せめて読め。っつーかそもそも仕事しろ。カネもらってるならそれくらいやれや、マジで」


「あなたも結構言うわよね」


 つまり、舞台には「誰もいない」ことがコンセプトの演劇、……らしい。


 そういうのを許可してしまうこの学校も大概どうかしている。


「で、その不在劇と、ログもカメラもゼロという事実。……合致してるっちゃ合致してる?」


「でしょ。だから教頭は、『いやいやコンセプトはわかったけど、実際に無断使用は無断使用だろう』って怒ってるわけ。


 演劇研は、『ちゃんと使いました! 無断じゃないです!』って逆ギレしてるわけ。


 ほら、面倒くさいでしょ?」


「うん、見事に平行線だね」


 僕はパンフレットを閉じた。


 演劇研究会は「ここで演劇をした」と主張している。


 学校側は「ここで演劇をした形跡はあるが、人間の出入り記録がないから無断使用だ」と主張している。


 しかも作品自体のコンセプトは『そこに誰もいなかった』。


 ナンセンスは三段重ねくらいがちょうどいい、ということらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る