おっさんとエルフのジレンマ

雪村灯里

庭に2羽ニワトリを持ったキミが現れた(前編)

 嗚呼……。なんて背徳的なんだ。


 俺は焼き立てのパンケーキを前に、精神を集中する。ムラなくキツネ色に焼きあがった表面。その滑らかな肌の上でバターが官能的セクシーに溶けてゆく。黄金に煌めく蜂蜜を回し掛け、深く息を吸った。甘い香りが鼻孔をくすぐり、背筋がゾワゾワと震える。これは、煩悩の塊!


「いただきます」


 箸で一口分に割いて口元に運ぶ。肌理きめ細やかで、幸福を包み込んだ内相クラム。禁断の柔肌が唇に触れようとした、その時――



「のーーう! アスナ、邪魔するぞ」



 本当に邪魔だ。禁断のおやつタイムに水差しやがって。あの能天気な声は……ミモザ!?

 ――説明しよう。ミモザとは過去、共に旅したエルフだ。俺は彼女の声が聞こえた庭を見て、凍りついた。



 庭に、2羽ニワトリを持ったアイツが居る。



 これは、幻覚か? 静かに箸を置いて目頭を揉んだ。20代前半・色白。エルフにしては小柄で、蜂蜜色の長髪にバター色の髪束メッシュが混ざっている。美人だが特徴的な糸目は間違いない、アイツだ。はぁ……。



 早口言葉を体現するんじゃない!



 久しぶりに見た彼女は、全く変わっていなかった。まぁ、長寿で緩やかに老いる種族だから当たり前なのだが……。それでも俺の記憶から飛び出して来たみたいで、懐かしさと淡い切なさを感じた。俺はガラス戸を開け放ち、懐かしい顔に答える。



「俺はアスナじゃない! アスナロだ!!」



 もはや俺達の挨拶テンプレと化した、このセリフ。これを聞いたミモザは嬉しそうに「ふん!」と鼻を鳴らした。ガチで悪戯イタズラ5秒前の笑みを浮かべ、小脇に抱えるニワトリ達に向かって優しく語りかける。



「ほ~ら、見て? パパだよ♡」



 はぁ? なに言ってんだコイツ!

 行儀よくミモザの小脇に収まる2羽の雌鳥めんどり。持ち主より賢そうな顔つきをしている。これは将来有望だ。ニワトリ達は彼女の声に反応した。


「コッ?」

「ココッ?」


 おい、お前たち。何で『え? マジで?』みたいな反応をした??

 さっきまで大人しかったニワトリ達が羽ばたいた。目を輝かせ、俺に向かってくる。




「「ココ~ッパパ~ッ!!」」





 ちがーーーーう!!





 俺はミモザに焼きたてのパンケーキを差し出した。


「わぁ♪ 相変わらず料理が上手いのう♪」


 彼女は嬉しそうに蜂蜜を回し掛け「いただきまーす♪」と、食べ始めた。パンケーキを口に含んだミモザは、幸せそうに身悶える。

 俺も冷めたパンケーキをぱくりと食べた。うん、旨いものは冷めても旨い。そのリアクションに免じて、俺のパンケーキの焼きたてを奪ったことは許そう。


「それより、あのニワトリはどうしたんだ?」


 話題の2羽のニワトリ達は、庭の木陰でくつろいでいる。


「ん~? 最近、人を助けてな。礼に卵を貰ったのじゃ。良い卵だったから、アスナロに食べさせたくてのう。好きじゃろ? 卵料理」


「ああ、好きだ。それで? 貰った卵はどこ行った。まさか、その卵が孵ったとか馬鹿な事言わないよな?」


「話のオチをヨムな! せっかちだのーう。だが、そうじゃ? あーしの豊満な胸で抱いて、大切に持ち運んでいたら孵った」


『孵った』ってそんな……!!


 ミモザは「どうだ!」と、言わんばかりに胸を張った。俺もまさかと思い、チラリと盗み見る。……何が豊満だ! 育ったかと思って損した。普通だ普通。手に収まるサイズ・・・!! ゴホン。込み入った大人の話は置いておこう。


 というか、ミモザがあのニワトリ達のママじゃないか。いくらエルフが動物に好かれ易いとはいえ限度がある。簡単に孵り過ぎだ!!「責任もって育てるんだぞ」と、言おうとした時だった。


「まだ独身ひとりなのか?」


 鋭い角度の質問を投げられ、咽そうになった。慌てて茶を煽り飲み、鳶色とびいろの目でジロリと彼女を睨む。


「……ああ。めとって居たら、今一緒にパンケーキを食う相手が違うだろ。それよりその質問、俺以外にするなよ? 『だからエルフはデリカシーガーッ!』って言われるぞ」

「分かっておる。ワザとお主にだけ聞いてるのじゃ」

「訂正。だからババアは……」

「でりかしーが無いのはオマエじゃ」


 開眼して睨まれた。新緑のような瞳も久々に見た。こんなやり取りも懐かしく、あの旅を思い出す。感傷に浸りそうになった俺に対して、ババアの応酬が始まった。


「ふ~ん。あーしはピッチピチの? ボンキュッボンな? 美女エルフのままじゃが、アスナロはちょーっと会わないうちに白髪が増えたの~う?」

「当たり前だ! 俺だってもうすぐ40なんだ。あの旅でミモザに掛けられた苦労が、いま髪にキてるんだよ。ちなみに会うのは8年振りな」


 彼女の言う通り、俺も歳を取った。黒々としていた髪も、チラホラ白髪が混ざりはじめた。まだ後退はしていないと信じたい。


 俺が彼女と出会ったのは29歳の時だ。2年間の旅を経てパーティは解散。その後は荒れた国内を復興する為、各地を点々としていた。さすがに「生活拠点をつくるか」と、なって5年前にこの薬屋を開いた。なかなか濃密な10年だ。


「で、最近ミモザはどうなんだ?」

「ああ。探求の旅を楽しんでおる。旧世界の言語にもハマり始めてなぁ。楽しみが尽きないわい!」


 茶を飲みながら「かっかっか!」と楽しそうに笑う彼女。ミモザはこの国の創生神話に興味があるらしく、各地を旅して調べていた。心の支えが有って何よりである。


「それでな? いま最も、あーしの中でアツいのがこれじゃ!」


 彼女はおもむろに白手袋を身につけると、カバンから布袋を取り出した。小さな袋から、卵型の宝石がコロンと出てくる。彼女は石を布袋の上に置き、机の上を滑らせて俺に差し出した。


「何だこれ。卵型の宝石?」


 尋ねるとミモザの纏う空気が変わった。彼女は妖しく笑って、この石の名前を告げる。


「これは『女神の卵』じゃ……」

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2025年12月26日 12:00

おっさんとエルフのジレンマ 雪村灯里 @t_yukimura

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