引退ホームラン王のダンジョンソロキャンプ ~静かに肉を焼きたいのに、ドラゴンを場外へ飛ばしたら「伝説のS級」として知らぬ間にバズってました~

他力本願寺

第1話 引退ホームラン王、深層で薪を割る


 打てば英雄。打てなければ戦犯。

 そのどちらにも、俺はもう飽きていた。


「……剛田選手! 力の衰えを感じたということですか!?」

「ファンの期待を裏切る形になりますが、責任は!?」

「最後にもう一回、ホームランを見せてくださいよ!」


 無数のフラッシュが焚かれる。

 会見場のマイクは、まるで俺を責め立てる鋭い刃物のように突きつけられていた。

 俺は深く息を吐き、用意されていた優等生な回答原稿を無視して、一言だけ告げた。


「探さないでくれ」


 それが、国民的ホームラン王と呼ばれた男、剛田豪(ごうだ ごう)の最後の言葉だった。


 ◇◇◇


 あれから、数日。

 俺は今、世界で一番静かな場所にいた。


 木漏れ日が揺れ、鳥のさえずりだけが響く。

 空気は澄んでいて、深呼吸をすると肺が喜ぶのがわかった。

 人類未踏破エリア、S級ダンジョン『奈落の森』の深層だ。


「……いい場所だ」


 地上では、俺の行方不明騒動で大騒ぎになっているかもしれない。

 だが、ここまでは誰も来られない。

 探索者ランキング上位の連中でさえ、深層の入り口で引き返すレベルの危険地帯だからだ。

 つまり、ここなら誰にも邪魔されず、ヤジも飛ばされず、ただ自分のためだけに時間を使える。


 俺の格好は、探索者らしくない。

 動きやすいジャージに、プロ仕様の高性能作業着(防寒・耐刃仕様)を羽織っているだけだ。

 背中にはソロキャンプ用の巨大なリュック。

 そして右手には――


「グルルァァァァ……ッ!」


 目の前の茂みが割れ、巨大な影が飛び出してきた。

 トレントだ。

 樹齢数千年クラスの巨木が、醜悪な顔を浮かべて襲いかかってくる。推定Lv.80。普通の探索パーティなら、遭遇した瞬間に遺書を書く相手だ。


 だが、俺は少し嬉しくなった。

 ちょうど、焚き火用の薪を探していたところだったのだ。


「悪いな。少し貰うぞ」


 俺は右手のグリップを握りしめた。

 握っているのは剣ではない。

 ミスリルの塊から削り出した、特注の薪割り斧だ。

 重心バランス、グリップの太さ、長さ。すべてが現役時代に使っていたバットと同じになるように調整してある。


 トレントの丸太のような腕が、俺の頭蓋骨を狙って振り下ろされる。

 速い。

 一般人には目視すらできない速度だろう。

 だが――【選球眼】が告げる。俺には止まって見えた。


(インコース高め。……甘いな)


 俺はリラックスした状態で、スッと左足を踏み出した。

 下半身から腰、背中、肩、そして腕へ。

 身体の中に一本の芯を通すように、運動エネルギーを伝達させる。


 インパクトの瞬間だけ、力を込める。

 それだけでいい。


 ――カォンッ!!


 森に、乾いた快音が響き渡った。

 探索者が聞けば「何の音だ?」と首を傾げるだろう。

 だが、野球ファンなら聞き覚えがあるはずだ。

 ボールの芯を完璧に捉え、スタンドの最上段へ叩き込む時の音だ。


 トレントの上半身が、弾けた。

 斬撃ではない。打撃による衝撃波が、木の繊維を粉々に粉砕したのだ。

 バラバラと降り注ぐ、手頃な大きさの木片たち。


「……よし。乾燥具合も悪くない」


 俺は汗ひとつかいていない顔で、足元に落ちた「薪」を拾い上げた。


 ◇◇◇


 設営はスムーズに終わった。

 手際よく石を組んでかまどを作り、さっきの薪をくべる。

 メタルマッチで火花を散らすと、パチパチという心地よい音と共に炎が育っていった。


 本日のメインディッシュは、厚切りのブロックベーコンだ。

 ナイフで格子状に切れ目を入れ、熱した鉄板の上に置く。


 ――ジュウウウウウウッ!


 森の静寂を、脂の爆ぜる音が彩る。

 立ち昇る香ばしい匂い。桜チップのスモークが効いた、濃厚な肉の香り。

 表面が飴色に焦げ、脂が溶け出して輝いている。


「……そろそろか」


 俺はクーラーボックス(魔法鞄の中に入れておいた)から、銀色の缶を取り出した。

 架空銘柄『ドライスター』。

 表面には細かい水滴がつき、指先が痛くなるほどキンキンに冷えている。


 プルタブに指をかける。

 プシュッ。

 軽快なガス音。

 そのまま、喉へ流し込む。


「……トクトク……ゴキュッ、ゴキュッ……プハァ」


 炭酸の刺激と、ホップの苦味が喉を駆け抜ける。

 熱いベーコンを齧り、冷たいビールで追う。

 口の中で、熱と冷、脂と苦味が混ざり合い、脳髄を痺れさせるような快感が走った。


「うまい……」


 誰の目も気にせず、記録も勝敗も関係なく、ただ美味いものを食う。

 これだ。俺が求めていたのは、この時間だったんだ。


 俺は焚き火の炎を見つめながら、二口目のビールを煽った。


 ◇◇◇


 アリスは息を殺して、茂みの陰から焚き火を見つめていた。

 数メートル先には、無防備に肉を焼く男の背中。――剛田豪。


 (……助かった。人がいる)


 泥だらけの指で、アリスは相棒の小型ドローン――ではなく、残っていた操作端末を握りしめる。

 ここへ来るまでに機材はほとんど壊れた。残った賭け札は、あのステルスドローン一機だけ。


(あの人、すごい。トレントを一撃で……それに、あの匂い……)

(お腹すいた……でも、今は生き残るのが先決よ)


 探索者としての本能が告げていた。この人に助けを求めれば、生き残れる。

 そして配信者としての業が囁く。――この映像は、絶対に伸びる。

 罪悪感はある。けれど。


「特別措置法の“緊急記録”モードなら……深層での撮影は合法。記録を残さなきゃ」


 そう言い聞かせて、アリスは震える指で起動操作をした。


『……接続完了。緊急記録を開始します』


 透明化した機体のレンズカバーが静かに開き、焚き火の前でビールを煽る“元・伝説”の背中を捉えた。


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**【本日のキャンプメモ】**

**道具:** ミスリルの薪割り斧(ドワーフ特注)。

**感想:** 重心がバット寄りで振り抜きがいい。薪割りには過剰だが、俺にはちょうどいい。明日は“でかい客”が来そうだ。

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