05. やさしい冒険者への道のり
「俺と、周囲の
おっさんに言われたとおり、そっちの方角をぼんやり視る。
わざと、遠くの山でも見るみたいに、焦点を合わせない。そうしないと、存在感のバカでかいおっさんにばかり視線が偏ってしまって、クラゲたちがかすんでしまうから。
今、俺の視界にあるのは、ぼやっと青緑色のおっさん、白く輝くクラゲ、そしてクラゲたちが産み落とした光の粉雪。
おっさんが、ある方向を指さした。
なんだろうと視ていると、フッとクラゲの光が弱まった。目を凝らさなければ見つけられないほど暗くなったそれは、力を失って、暗い海底へ沈んでいく……。
何が、起こったの?
「産卵によって、命が尽きた個体だ。俺たちが採集するのは、珊瑚クラゲの
おっさん、また難しい問題を突きつける。
動きを最小限にしようと思うと、魔力をほんの少しだけ膜へ送り込んで移動することになる。だけどそれじゃ、クラゲの落下速度に間に合わない。俺の手が届かないうちに、クラゲは沈んでいく。
かと言って、早く動こうとたくさんの魔力を流すと、コントロールを失って思った通りに動けない。そして、産卵中のほかのクラゲを怖がらせてしまう。
う~ん、クラゲが落下し始めてからじゃ、とても間に合わないぞ。
その時。
フッと。俺の視界の隅で、ひとつの光が消えた。
あぁ、これ、クラゲが魔力を、命を失う瞬間だ。
俺は、おそるおそるそっち側へ移動して、両手を差し出した。
手の平には、月光を跳ね返してきらめく水晶の傘と、絹の羽衣みたいな触手。海の色と、俺の肌の色を透かして、冷たいのにあたたかい。
「これが……」
さっきまで、俺と一緒に泳いでいた生命体。新しい命を生み出して、自らの命を失った、魂の抜け殻。
俺がぼうっと手にしたクラゲを眺めていると、いつの間にかキノがやってきた。
「貸してごらん。このままじゃ、地上の空気に触れただけで壊れてしまうくらい、
キノの両手の中で淡い光に包まれる、クラゲの命の名残。
キノの神聖魔法は、ひたすら清浄な光の泉みたい。その光に包まれて、美しいけれどどこか冷たい、ガラスのクラゲが誕生した。
「シーズンが限られているし、出回りも少ないから、高く売れるよ。よかったね」
キノはそう言ったけど、俺は頷くのをためらった。
確かに、これでうちの屋根が修理できるのは「よかった」ことなんだけど。
クラゲが死んでしまったことを、「よかった」とは言いたくないなぁ。
その後、俺はなるべく産卵しているクラゲたちの邪魔をしないように、上方にいるクラゲの光が失われるのを察知して、それを受け止めた。採集したものは、すべてキノが保護魔法をかけてくれたから、欠けることなく地上に持ち帰ることができた。
低い満月が、海原を青白く照らしている。人影は見えない。寄せては返す、波の音だけがザザーンと響いている。
俺、さっきまであの中にいたんだな。
たくさんの命に囲まれて。
夜更かしは肌に悪いとホテルに引き上げたカレナに、「疲れちゃったから、寝るね」とキノもくっついていった。
なんとなく、俺はまだ海を見ていたくて、砂浜に座り込んでいる。
そして、後ろでおっさんが待っていてくれるのも感じている。
「あの卵たちのうち、どのくらいが大人のクラゲになれるんだろう。途中で魚に食べられたり、俺たちみたいな
「そうだな。だけど、それも含めて『命』なんだよ。クラゲの卵を食べる生き物、その生き物を食べる生き物。そうやって、命は循環している。
アレック。俺との約束は、覚えているな?」
「もちろんさ」
俺が、冒険者世界に足を突っ込んだとき、おっさんと交わした約束。
魔窟の資源を、最小限しか採取しないこと。
低くて深い、おっさんの声が続ける。
「命の循環を無視する狩りは、単なる
俺は、深くうなずいた。
きっと暗くて見えていないと思うけど、おっさんなら、分かってくれるかな。
「俺たちは、ほかの命を預かって生きているんだ。俺たちが、命の循環の輪に還る、その日まで。
それを忘れないなら、俺たちは自然と共存できるんじゃないかな。
家で待ってるのは、病気のお母さんと、高齢の使用人だろう。屋根は、ちゃんと修理したほうがいいと思うぞ」
「……うん」
おっさんに促されて、俺も宿に戻った。
ずーんと疲れと眠気が押し寄せてきて、俺はすぐにベッドで丸くなった。卵みたいに。
母さんと、父親が出会って、俺が生まれた。仲間と出会って、今は世界を旅してる。ひょっとすると、いつか素敵な女の子と出会って、俺がお父さんになる日が来るかもしれない。
そして最後は、亡骸になって、世界に還る。
俺も、
どうしてだろう。自分がちっぽけな存在だと認識したら、清々しい気持ちになった。
翌朝。波の音でぐっすり眠れた俺は、朝からエビ入り生春巻きをもりもり食べているキノに「おはよう」と言われて、ちょっと微妙な顔になったけど。
「いただきます」
と言って、俺もしっかり朝食を食べた。
これも、命の循環のひとつだと思うから。
母なる魔窟~ひよっこ冒険者、海へ行く~ 路地猫みのる @minoru0302
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