04. 感動は、満月の夜に舞う

 人間が展開する魔力は、はっきりとした質量、熱、色がある。

 だけど、ようとしてもぼんやりとしてつかみどころのない、気配のようなものが、この海の中にはたくさんあった。

 そのうちのひとつに、注目してみよう。


 カレナの魔力がキャンプファイヤーの炎なら、それは、舞い散る火の粉に隠れてかすんでしまった、夜空の暗い星。

 だけど、まぶしいものを取り除いて、じっくりと腰を据えて観察すれば、ぼんやりと薄暗かったそれも、はっきりとした輪郭りんかくを持つようになる。


 これは……クラゲ?

 ひらひらと掴みどころのない、レースみたいな長い紐が2本、それを包むように長い糸が数本、ふわりと広がる。ふつうのクラゲって、ゼリーみたいにぷるるんと丸い傘を想像するんだけど、これは違ってる。透明な木の枝みたいな、枝分かれした突起がたくさんついている。それが、ぱふんぱふん、と海水を吐き出して、暗い海の中を漂っている。


「見つけたか。それは、珊瑚さんごクラゲというんだ。昔はたくさん生息していたんだが。人間の進出とともに、住処にできる魔窟ダンジョンが減ってな。ここはたぶん、俺たち以外の冒険者が見つけてない魔窟だから、たくさんいるんだよ」

 おっさんの声が教えてくれる。

 絶対に、そっちの方角は見ないけど。怖いから。


 ぱふんぱふん……と上下するクラゲが、そこらじゅうでふよふよしている。

 眠れぬ夜に数えたら、5匹目ぐらいで寝れそうだ。


「こいつらは臆病だから、大きな音を立てたり、派手な魔法を使っちゃだめだぞ。カレナの作ってくれた結界の中で、思い通りに動けるように、練習しておけ」

 と、言われたので、頑張ってみることにしたけど……実際には、デカいシャボン玉の中でじたばたしてるだけ。どうすりゃいいんだ?


 クラゲたちは、優雅だなぁ。

 ふさぁ、と触手をたなびかせて、焦らずゆったり、月明りの海を漂う。


 そうだ。真似してみよう。

 クラゲたちが海水を吐き出すように、魔力を後ろに吐き出してみる……あ、ダメだ。魔力の膜と、俺が馴染んでない。えぇっと、両手で膜に触れて、俺と同じ温度まであたためてやると、なんか一体感が出た。じゃあこれを、クラゲの傘みたいに変形させたらいいかな。

 ふにゅん。と、両手で膜を押すと。


「わあぁっ!?」

 穴の開いた風船みたいに飛んでいくぞ。ちょ、目が回る!


 ふぅ、岩にぶつかって、止まった。

 膜の形を変えると、魔力の均衡みたいなものが崩れて、制御できなくなるらしい。

 ちょっとだけの変形なら、俺でも調節できるかな。

 あ、クラゲたちに怖がられてる。ごめんごめん、もっと静かにやるよ。



 そんなこんなで四苦八苦している俺に、おっさんの静かな声が届く。

「お前、運がいいな。今夜は、当たりのようだ。周囲を見てみるといい」


 当たりって、何の話?

 俺は、一旦「シャボン玉を変形して推進しよう」作戦を諦めて、海の中を視た。

 そこには、現実を忘れるような光景が広がっていた。


「す、っげぇ……」

 言葉にならない感動って、こういうことか。


 月だけが見守る、青灰色の暗い海をただよう、白く透明なクラゲたち。そのクラゲたちが、ふつりふつりと産み落とす、小さな光。

 一斉に産み落とされた光は、潮にさらわれて、遠くへ広がっていく。冷たさはなくて、むしろ心が温まるような優しい粉雪のような光。俺たちを包み、離れ、海の呼吸に合わせて揺れる……。

 それはまるで、海の中に、吹雪が舞い込むような幻想的な光景だった。


 珊瑚クラゲは、初夏、満月の夜に一斉に産卵するのだと、おっさんが教えてくれた。でもその日付は、毎年クラゲたちが暗号を交換し合っていて、人間に正確な予測はできないのだそうだ。

 ひとつの卵の中に、男の子と女の子が入っていて、やがて卵が割れると、彼らは外の世界へ出てくる。そして、恋をして、新しいクラゲが生まれる。遠い海のどこかで。


 すごい、すごいなぁ。

 そんな、途方もない恋物語が生まれ落ちる瞬間に、俺は立ち会ったのか。


 笑みを含んだおっさんの声が、俺を現実に引き戻す。

「感動するのはいいが、採集はこれからだぞ」

 

 そういえば、採集に来たんだった。

 だけど、卵を採っちゃうなんて、できないし。

 俺、今から何をすればいいんだろう?

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