第15話シンジュク
* * *
山道を抜けると、視界が一気に開けた。遠くに石造りの城壁が連なり、その向こうに街の屋根が重なっている。夕陽が瓦を赤く染め、風が街の匂いを運んできた。
「……あれがシンジュクか」
思わず息を呑む。長い道のりの果てに、ようやく人の営みが見えた。
門の前には槍を構えた兵士が立っていた。鎧は簡素だが、肩の刻印が淡く光っている。
「旅人か?」
低い声が響く。エルさんが一歩前に出て、本を開いた。指先で刻印をなぞり、静かに言葉を紡ぐ。
「――土よ、紋章を描け」
淡い光が走り、土の粒が宙に舞う。やがて帝国の紋章が空中に浮かび上がり、柔らかな輝きを放った。
兵士の目が見開かれ、声の調子が変わる。
「……宮廷刻印士様でいらっしゃいましたか。失礼いたしました」
視線が俺たちに移り、丁寧な言葉が続く。
「何かご調査でございますか?」
エルさんは笑みを浮かべ、紋章を消しながら答えた。
「少し調べ物をね。危険なことはしないよ」
兵士は深く頷き、声を低める。
「この街は三つの種族が暮らしております。人族、エルフ族、獣人族。それぞれ区画が分かれておりますので、どうか揉め事などございませんよう」
「心得ている」
「情報をお集めになるなら、中央市場がおすすめでございます。三種族が集まる場所でございますので、旅人の方にも役立つかと存じます」
重い扉が軋み、街の喧騒が流れ込んできた。
* * *
石畳の道を歩きながら、俺は周囲を見回した。人族の区画は木造の家が並び、露天商が声を張り上げている。香辛料の匂い、焼き立てのパンの香りが鼻をくすぐった。
萬子さんが露店の前で足を止め、笑顔を向ける。
「ねえ、名前聞いてもいい?」
商人の男が怪訝そうに眉を上げたが、すぐに笑った。
「キクチだよ」
「へえ、キクチさんか。じゃあ、そっちの人は?」
隣の店の男が答える。
「ムラタだ」
萬子さんが目を丸くする。
「なんか日本っぽい名前だね……あたし、カトウっていうんだけど」
すると商人が笑いながら言った。
「カトウ? あそこの武器屋のカトウさんの親戚かね?」
「えっ、武器屋にカトウさんいるの?」
萬子さんが声を弾ませる。俺は心の中で苦笑した。
(……やっぱり、この世界には何か繋がりがあるんだ)
* * *
中央市場は、まるで色彩の渦だった。人族の商人が果物を並べ、エルフ族が薬草を売り、獣人族が毛皮を広げている。言葉が交錯し、香りが混ざり合う。
俺たちは市場を歩きながら、記憶の神殿について尋ねることにした。
最初に声をかけたのは、長い耳を持つエルフ族の女性だった。緑のローブに身を包み、冷たい瞳がこちらを見据える。
「記憶の神殿を探している?」
「はい」エルさんが答える。
彼女の声は低く、硬かった。
「あそこは神聖な場所。何人たりとも踏み入れてはならない」
その言葉に、背筋が冷える。
次に獣人族の男に尋ねる。毛皮の肩当てをつけ、鋭い牙が覗いていた。
「キオクノシンデン? チカヅクナ」
短い言葉が、低く唸るように響いた。
最後に人族の商人に聞くと、肩をすくめて笑った。
「何にもない場所だよ。街から少し森に入ったところにある。誰もあんなとこ行かない。でも、行くなら守り人に注意しな」
彼にとっては、ただの寂れた神殿らしい。
胸の奥にざわめきが広がる。何かが、その森の奥で眠っている――そんな予感がした。
* * *
市場での情報収集を終えた俺たちは、宿へ向かって歩きながら顔を見合わせた。
「……エルフと獣人の反応、ちょっと怖かったね」萬子さんが肩をすくめる。
エルさんは静かに言った。
「人目のある時間に動くのは良くない。今日は宿を取って、明け方に向かおう」
その声には、淡い緊張が滲んでいた。
* * *
宿の酒場は、夜のざわめきに包まれていた。木の梁に吊るされたランプが温かな光を落とし、テーブルには三種族の客が混ざり合っている。獣人族の笑い声が低く響き、エルフ族は静かに杯を傾け、人族は陽気に談笑していた。
俺たちは窓際の席に腰を下ろし、料理を頼む。
「お待たせしました」
店主が運んできたのは、香り豊かな皿の数々だった。
人族の定番――ハーブ香る薬草スープ、ミルダススープ。
エルフ族の料理――淡く光る葉を使ったリュミナリーフサラダと、花弁を煮出したエルディアスティープ。
獣人族の料理――骨付き肉を豪快に焼いたガルドファングロースと、赤黒い果実を絞ったラグナベリージュース。
テーブルの上は、異世界の色彩で満ちていた。
萬子さんがスプーンを手に取りながら、ふと店主に声をかける。
「ねえ、ここって昔から三つの種族が一緒に暮らしてるんですか?」
店主は少し驚いたように目を瞬かせ、それから笑った。
「そうさ。なんでも、この街を作ったのは異世界から来た人間らしい」
「異世界から?」萬子さんが息を呑む。
店主は懐かしむように語り始めた。
「その人はとても変わっていてね。おおらかで、悪く言えばいい加減。でも憎めない人だったそうだ。世界中を旅して、いろんな種族と知り合って……街を作ると聞いたとき、その人間性に惹かれた者たちが集まってできたのが、このシンジュクだって話だ」
「じゃあ、その人が記憶の神殿も?」
「そう、晩年に築いたらしい。ただな……いつからか種族ごとに認識が違っていてね」
店主は指を折りながら続ける。
「エルフは『いつかその人が復活する場所』だと言う。獣人は『その人の墓』だと信じてる。人族にとっちゃ『気まぐれで作ったけど、結局失敗した観光名所くらいのもんだ』」
エルさんは黙って杯を傾け、深い思索に沈んでいた。
* * *
夜が更け、酒場のざわめきが遠のく。
俺たちは翌朝に備え、静かに部屋へ戻った。
窓の外には、森の影が黒く広がっている。
その奥に――記憶の神殿が眠っている。
胸の奥で、不安と期待が絡み合っていた。
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