第14話シンジュクへの道
* * *
朝の空気は澄み切り、山の稜線が白く光っていた。獣道を進む俺たちの足音が、乾いた土を踏みしめる音を刻む。
旅の合間、エルさんに何度も稽古をつけてもらった。萬子さんは風と火の切り替えが驚くほど滑らかになり、俺も刻印の扱いに少しずつ慣れてきた――はずだ。
(……まだまだだけどな)
昨日は風の流れを読む練習で、草原を駆け抜ける萬子さんに置いていかれたのを思い出し、苦笑する。
「ここで少し稽古をしよう」
エルさんが立ち止まり、岩場を指した。冷たい風が草を揺らし、遠くで鳥の声が響いている。
「火なら燃え広がる勢いと熱、風は吹き抜ける速さ。水は流れと冷たさ、土は重くて厚い感じだ。頭で考えるんじゃなく、意識を沈めて、その感覚をつかむんだ」
本を抱えたまま、彼の声が静かに落ちる。
萬子さんが肩を回しながら笑った。
「じゃあ、私の火と風は性格みたいなもんだね。熱血と自由って感じ?」
「面白い例えだね」エルさんが口元を緩める。「ただ、刻印は気まぐれじゃない。君の集中力次第だ」
「はいはい、集中ね……」
萬子さんが両手を広げると、風が草を撫で、火が指先で踊った。切り替えが驚くほど滑らかだ。
「おお、すげぇ……」俺が思わず声を漏らす。
「でしょ?」萬子さんが得意げに笑う。
俺も杖を構え、水弾を放つ。青白い光が弧を描き、岩に当たって弾けた。
(……遅い。もっと速く、もっと正確に)
「ケイタ君、狙うときは意識を一点に集めるんだ」
エルさんが歩み寄り、指先で杖を示す。
「水の重さを想像し、その流れを自分の腕に重ねる。散らすな、絞れ」
「……イメージはあるんですけどね」
「なら、意識を深く沈めるんだ」
再び水弾を放つ。今度は軌道がわずかに安定した。
「そうだ。悪くない」
* * *
休憩中、岩に腰を下ろしながら萬子さんがふと尋ねた。
「ねえ、エルさんって、位階どれくらいなの?」
エルさんは本を閉じ、少し笑った。
「ルミナだよ」
「えっ、高位じゃん!」萬子さんが目を丸くする。
俺も思わず息を呑んだ。
(……将軍や魔術師長と同じレベルってことか)
ケイタの疑問が口をつく。
「刻印って、相性とかあるんですか?」
エルさんは静かに答えた。
「あるにはあるが、ないとも言える。大規模な山火事を、小さな器で汲んだ水で消せるかい?」
「……無理ですね」
「そういうことだ。力の差が大きければ、相性なんて意味をなさない。だが、同じくらいの力なら話は別だ。その時の環境次第で、風が火を煽ることもあれば、水が土を崩すこともある」
彼の声は淡々としているが、言葉の奥に重みがあった。
* * *
夜、焚き火の明かりが草を赤く染めていた。遠くで虫の声が響き、冷たい風が頬を撫でる。
俺は一人、杖を握りしめて立っていた。
水弾を放つ。青白い光が走り、岩に当たって弾ける。狙いより少し外れた。
「……くそ、イメージはあるんだけどなぁ」
頭の中では完璧なのに、現実は違う。
もう一度。魔力の流れを整えようと意識を沈める。だが、集中が途切れると水弾は軌道を外れる。
土壁も試す。展開が遅い。間に合わない。
(もっと速く、もっと正確に……)
火の粉が夜空に舞う。俺は深く息を吐き、杖を握り直した。
「……やるしかない」
静かな夜に、練習の音だけが響いていた。
* * *
翌日の稽古は、緊張感が漂っていた。
「二人でかかってきなさい」
エルさんが本を開き、土の刻印を指先でなぞる。淡い光が走り、足元の土が低く唸った。
「行くよ!」萬子さんが地面を蹴った瞬間、風が足元を巻き、体が弾丸のように加速する。
火が拳に宿り、赤い光が瞬く。火で攻撃力を高め、風で速度を乗せる――その切り替えが驚くほど滑らかだ。
「はっ!」
火を纏った拳が土壁を砕き、熱気が爆ぜる。
地面が震えた。嫌な予感が走る。
(来る……!)
俺は杖を振り抜き、土を引き寄せる。次の刹那、槍が突き上がるより早く、厚い壁が地面からせり上がった。
槍が鈍く壁に突き刺さり、衝撃が腕に伝わる。
(これで道は開けた……行け、萬子さん!)
「ケイタ、ナイス!」萬子さんが風を纏い、さらに加速。火が拳に戻り、攻撃力が跳ね上がる。
「いまだっ!」
彼女の声が鋭く響き、火を纏った蹴りが突き込まれる。風で加速し、火で威力を乗せる――その一撃は、まさに必殺。
(決まった……!)
俺の心臓が跳ねる。視界の中で蹴りが槍のように伸び、エルさんの胸元を狙った。
――届く。そう思った瞬間、地面が唸った。
厚い土壁が瞬時に立ち上がり、火が砕け散った。
萬子さんの足が止まり、熱気だけが空気に残った。
「あと一歩だったね」
エルさんが本を閉じ、静かに笑った。
「二人とも、よくやった。ここまで追い詰めるとは思わなかったよ」
その声には、確かな称賛が込められていた。
「連携も悪くない。力の使い方も、昨日よりずっと良くなっている」
俺と萬子さんは顔を見合わせ、息を整えながら笑った。胸の奥が熱くなる。
(……くそ、あと少しだったのに。でも、やれる)
エルさんが空を見上げ、穏やかに言った。
「明日はいよいよシンジュクだ。長い道のりだったが、ここからが本当の始まりだよ」
夕暮れの空にその言葉が溶け、遠くで風が街の匂いを運んできた。
* * *
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます