第9話記憶の神殿への道

* * *

まぶしい光が、重厚なカーテンの隙間から差し込んでいた。目を開けると、見慣れない天井が視界に広がる。昨日の疲れはまだ体に残っているが、頭は妙にすっきりしていた。異世界の空気は澄んでいて、どこか甘い香りがする。

(……ここ、やっぱり夢じゃないんだよな)

ベッドから起き上がると、絹のように滑らかなシーツが肌を離れる感覚が心地よい。壁には金糸で縫われたタペストリー、床には深紅の絨毯。窓の外には、帝都の朝が広がっていた。石造りの街並みが淡い光に染まり、遠くで鐘の音が響いている。

扉が静かに開き、侍女が入ってきた。柔らかな声が耳に届く。

「お目覚めになられましたか。朝食のご用意ができております」

ケイタは慌てて異世界の衣服に着替える。深い藍色のチュニックに銀糸の刺繍が施され、袖口は広がっていて動きやすそうだ。布地は軽く、肌に吸い付くような感触がある。侍女が器用に紐を結び、仕上げてくれる。

「……なんか、貴族みたいだな」

鏡に映る自分を見て、苦笑した。髪も整えられ、昨日までの自分とは別人みたいだ。

* * *

広間に入ると、萬子がすでに席についていた。髪を後ろでまとめ、異世界の衣服を着こなしている姿は、どこか凛々しい。

「お、ケイタ。やっと来た。見てよ、これ!」

テーブルには豪華な料理が並んでいた。香ばしいパンが籠に山盛りになり、黄金色のバターが小さな陶器に盛られている。銀の皿には、ハーブの香りが立ち上るスープ――「ミルダススープ」と侍女が説明した――が湯気を立てていた。透明なスープの中で、緑の葉と白い根菜がとろけるように浮かんでいる。

さらに、肉料理――「グラントロース」――は表面がこんがりと焼け、肉汁が滴っている。香辛料の香りが鼻をくすぐり、思わず唾を飲み込んだ。

「……やば、めっちゃうまそう」

ケイタはパンをちぎり、バターを塗って口に運ぶ。外はカリッ、中はふわっと。バターが舌の上で溶け、濃厚な香りが広がる。

「うまっ……!」

思わず声が漏れる。萬子はスープを飲みながら、満足そうに笑った。

「これ、やばいな。異世界グルメ、最高じゃん」

果物も並んでいた。赤紫の果実「リュシェル」は、噛むと甘酸っぱい果汁が弾ける。黄金色の「サルナ」は、蜜のような甘さで舌に絡みつく。飲み物は淡い琥珀色の「ルミナ茶」。口に含むと、花の香りがふわりと広がり、体が温まる。

(……異世界の飯、やばいな。これだけで来た価値あるんじゃないか)

エルネストも席にいて、パンをかじりながら刻印談義を始める。

「このスープ、薬草の効能もあるんですよ。体力回復に最適で――」

「いや、今は食べさせてくれよ……」

ケイタは心の中でツッコミを入れながら、異世界の朝食を堪能した。

* * *

食事が終わる頃、侍女が静かに近づいてきた。

「宰相様がお呼びです。執務室までご案内いたします」

萬子とケイタは顔を見合わせる。エルネストも立ち上がり、目を輝かせていた。

(何だろうな……昨日の続きか?)

胸の奥に小さな緊張を感じながら、侍女の後に続いた。

回廊は静かで、壁には古代文字が刻まれている。灯りが淡く揺れ、足音が響くたびに空気が重くなる。窓の外には帝都の朝の光が差し込み、遠くで兵士たちの訓練の声が聞こえた。

* * *

執務室は重厚な雰囲気に包まれていた。壁には地図が広がり、机の上には古い書物と魔法具が並んでいる。宰相レオニードは椅子に座り、鋭い目で三人を見つめた。

「来てくれて感謝する。……単刀直入に言おう。王の証を探す旅を始めてほしい」

ケイタの心臓が跳ねた。萬子も真剣な表情になる。

「中央国のはずれ、山奥にシンジュクという街がある。異世界人が興したと伝えられる街だ。その街には記憶の神殿がある。そこには膨大な世界の記憶が眠っていると噂されている。王の証の手がかりも、そこにあるかもしれん」

「記憶の神殿……?」

ケイタは息を呑む。萬子が眉をひそめた。

「異世界人しか入れない間があるという噂もある。君たちなら可能だろう」

宰相は一拍置き、さらりと言った。

「エルネストも同行させる。学者として、そして……君たちの力を補佐するためだ」

萬子は「心強いな!」と笑い、ケイタも「頼りになる」と素直に思った。

だが、エルネストは一瞬だけ宰相の目を見て、内心で呟いた。

(……なるほど。お目付け役ってわけか。でも、構わない。記憶の神殿に行けるなんて、学者冥利に尽きる!)

宰相はさらに続ける。

「将軍や魔術師長からも依頼があるだろう。彼らも立場上、表立って動けないことが多い。助けてやってほしい」

その声には、言葉以上の圧力があった。ケイタは背筋に冷たいものを感じる。

(……やっぱり、この人、ただの宰相じゃない)

* * *

執務室を出た後、ケイタは胸の奥に不安と期待が入り混じるのを感じていた。

(シンジュク……名前が日本っぽい。記憶の神殿、王の証……異世界の謎に触れる。怖いけど、ちょっとワクワクしてる自分がいる)

萬子が隣で笑った。

「面白くなってきたじゃん、ケイタ」

ケイタは小さく息を吐き、頷いた。

「……ああ、そうだな」

* * *

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