第8話元の世界への道はあるのか
* * *
皇帝の言葉が胸に重く沈んだまま、部屋に静寂が満ちていた。燭台の炎がわずかに揺れ、長い影が黒曜石の壁に伸びる。香木の匂いが淡く漂い、冷たい空気が肌を撫でる。俺は息を整えようとしたが、心臓の鼓動がやけに速い。
その沈黙を破ったのは、萬子さんだった。
「あなた達の目的はわかりました。でも……私たちが元の世界に帰る方法はあるんですか?」
声は落ち着いていたが、奥に鋭さがあった。
ヴァルディオスは目を伏せ、長い沈黙のあと、低く答えた。
「……わからない」
その一言が、冷たい空気に重く落ちた。
(……わからない?)
胸の奥がざわつく。
萬子さんの眉が跳ね上がり、声が震えた。
「わからない? そんなの、無責任じゃないですか!」
その響きに、燭台の炎が小さく揺れた。
「無責任……」
その言葉を繰り返した皇帝の瞳に、深い影が差した。ほんの一瞬、悲しげな色が宿る。
(……今の顔、なんだ?)
ヴァルディオスは静かに顔を上げ、力強く言った。
「だが、帝国は総力をあげて帰還の方法を探す。必ずだ」
その声は、冷たい空気を震わせるように響いた。
萬子さんはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……お願いします」
その言葉に、皇帝は深くうなずいた。
* * *
客室に戻ると、柔らかな灯りが部屋を包んでいた。窓の外には夜空が広がり、遠くに街の灯が瞬いている。机の上には古い書物が積まれ、革の匂いが漂っていた。エルネストは椅子に腰掛け、ページをめくる指先が淡い光を受けて白く浮かんでいる。
「おかえり。どうだった?」
萬子さんは肩をすくめる。
「帰る方法、わからないって」
「そうか……」エルネストの目がわずかに曇った。
俺はたまらず口を開いた。
「本当に戻る方法はないんですか? 元の世界に戻った話とか……」
エルネストは首を振る。
「残念だけど、そういう記録は残っていない。ただ、招かれたなら送り出す方法もあるだろう。理屈の上では、ね」
「理屈の上では……」俺は苦笑した。
「世の中、不可逆なこともあるでしょう。混ざり合った液体を、元の二つに戻せないみたいに」
その言葉に、エルネストがふっと笑った。
「上位の水の刻印者なら、できるかもしれないな」
冗談めかした声に、萬子さんが吹き出す。
「それ、すごいな。じゃあケイタ、修練頑張れ」
「いやいや、俺にそんな才能ないって」
笑い声が、重かった空気を少しだけ軽くした。
(……戻れるのか、俺たち)
窓の外の夜空を見ながら、胸の奥で不安と希望がせめぎ合っていた。
* * *
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