第3話宝くじと神話の狭間で

扉の向こうで甲冑の音が遠ざかる。

宰相レオニードは窓辺から振り返り、鋭い視線を俺たちに向けた。

「君たちの力は帝国にとって希望だ。だが、刻印を知らぬままでは使いこなせぬ」

その声は低く、冷たい刃のようだった。

「宮廷刻印士を呼べ」

扉が静かに開き、黒いローブを纏った男が入ってきた。

銀縁の眼鏡、整えられた髪、落ち着いた仕草。

その目は冷静なのに、奥に強い光を宿している。

「エルネストだ。宮廷刻印士にして、刻印の探究者」

レオニードが短く告げる。

「異界の客人に刻印の本質を教えろ。力を制御できねば、帝国の命運は尽きる」

「承知しました」

エルネストは俺たちに視線を向けた。

その目が、研究者の目に変わる。好奇心と緊張が入り混じった光。

「講義室へ案内します。ここでは話しきれません」

レオニードは背を向ける。

「任せる。私は政務に戻る」

黒いローブの裾が揺れ、宰相は部屋を去った。

エルネストはその背中を一瞥しただけで、すぐに視線を本へ戻した。

「権力争いには興味がない。私が欲しいのは、刻印の真理だ」

その声は低く、しかし熱を帯びていた。

「君たちの存在は、私の研究にとって――いや、この世界の理解を一歩進める鍵になる」

眼鏡の奥で、瞳がわずかに輝いた。政治の重圧など、彼にとっては背景に過ぎない。

* * *

案内されたのは、城の奥にある小さな講義室だった。

壁は白い石造りで、窓から差し込む光が床に長い影を落としている。

机と椅子が並び、棚には古びた本や巻物がぎっしり詰まっていた。

エルネストは分厚い本を開き、指で複雑な紋様をなぞった。

「刻印とは、魔力を流す回路だ。紋様はその回路の形を示している。属性ごとに形状は異なる。火は鋭角、水は曲線、風は螺旋、土は重なり合う層を持つ」

彼の声は淡々としているが、奥に熱がある。

「刻印には二つの傾向がある。魔法型と強化型。魔法型は術式を展開し、遠距離攻撃や環境操作に向く。強化型は肉体や武具を強化し、近接戦闘に適する」

エルネストは視線を俺たちに向ける。

「ただし、これは単なる分類ではない。個人ごとに得手不得手がある。魔法型寄りの者は強化型の技術を身につけるのが難しく、逆も同じだ。修練で多少補えるが、完全に克服できるものではない」

彼は指先で本を軽く叩きながら、声を落とした。

「両方を自在に操ることは、普通は不可能だ。だが――歴史上、ごくわずかにそれを成し遂げた者がいる。彼らは天才と呼ばれ、伝説になった」

視線が俺たちに向けられる。

「初期の反応から見て、萬子君は強化型寄り、ケイタ君は魔法型寄りだろう。だが、二重刻印は例外だ。その特異性から、何が可能で何が不可能か、誰にも分からない。普通の刻印を基準にして語ることはできない」

彼はわずかに笑みを浮かべる。

「強化型と魔法型、両方の素質を持って生まれる確率は――そうだな、宝くじに当たるようなものだ」

萬子さんが眉をひそめて、すかさずツッコむ。

「ちょっと待って、宝くじあるの?この世界に?」

エルネストは肩をすくめ、口元に笑みを浮かべた。

「あるとも。異界人がもたらした文化だ。数字を選び、当たれば大金が手に入る遊戯。今では民衆の娯楽になっている。だが、その言葉の本質は――極めて低い確率を示すものだ」

萬子さんが「へぇ、異世界でも庶民は夢見るんだね」と笑い、場の空気が少し和らいだ。

エルネストは再びページをめくり、別の図を示した。

「種族ごとに属性の偏りがある。人族はランダムだが、大半は火か土。水は少なく、風はさらに希少。他種族はもっと顕著だ。獣人は火と土に偏り、エルフは風と水、ドワーフは土一色だ」

彼はわずかに笑みを浮かべる。

「そして、俗説もある。性格占いのようなものだ。火は情熱的で短気、水は冷静で理知的、風は自由奔放、土は堅実で頑固――とね。科学的根拠はないが、民衆は好んで語る」

萬子さんが肩をすくめる。

「じゃあ、私は情熱的で短気で自由奔放ってこと?」

「君の反応を見る限り、俗説は当たっているかもしれないね」

エルネストの冗談に、萬子さんが「失礼だな!」と笑い、場の空気が少し和らいだ。

エルネストはさらに声を落とした。

「そして、もう一つ。無刻印者――刻印を一切持たない者がいる。発生確率は千年に一人。帝国では不吉とされるが、歴史を紐解けば、彼らの中には常識外れの力を発揮した者もいた。刻印に縛られない分、魔力の流れが自由で、異端の術式を編み出した例もある」

萬子が目を丸くする。

「千年に一人って……それ、神話じゃん」

「事実だ。だが、確認された記録はわずかだ」

俺はその言葉を聞きながら、胸の奥に小さな疑問が芽生えた。

――刻印がない方が、自由ってことなのか?

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