第4話位階の壁と可能性

* * *

「講義は終わりだ。次は実技だ」

エルネストが本を閉じ、静かに立ち上がった。

「修練場へ案内する。力は座学だけでは身につかない」

その言葉に、萬子さんが肩を回しながら笑った。

「やっと体を動かせるってわけだな。退屈してたんだ」

「萬子さん、緊張とかないんですか?」

俺は小声で突っ込むが、萬子さんは余裕の笑みを浮かべる。

「こういうの、得意分野だから」

その言葉に、俺は思い出す。萬子さんは空手の有段者――黒帯だ。高校の部活でも大会で名前を残していた。異世界でも、その経験が活きるのか?

* * *

廊下に出ると、冷たい石の床が靴音を響かせた。壁には古代文字が刻まれ、窓から差し込む光が長い影を落としている。兵士たちがすれ違うたび、視線がこちらに集まる。

――英雄扱い、ってやつか。正直、居心地が悪い。

萬子さんはそんな視線をものともせず、軽口を叩く。

「ねえケイタ、あの甲冑ってすっごく重そうじゃない?」

「声でかいって……」

俺は焦るが、兵士たちは無言で通り過ぎるだけだ。異世界の空気は、どこか張り詰めている。

やがて、重い扉が開き、眩しい光が差し込んだ。

そこは城の奥庭に広がる修練場だった。灰色の石畳が陽光を反射し、周囲には高い壁と魔力を抑える結界が張られている。兵士たちが列を作り、俺たちを注視していた。まるで見世物だ。

「ここが修練場だ」

エルネストが淡々と告げる。

「魔力の暴走を防ぐため、結界を張ってある。安心して力を試せるはずだ」

安心って言われても、心臓は落ち着かない。昨日まで普通の高校生だった俺が、今は異世界で魔法を使うとか……どう考えても現実感がない。

* * *

エルネストは場の中央に立ち、分厚い本を開いた。

「始める前に、刻印の位階について説明しておこう」

彼の声は講義室と同じ、淡々としているが熱を帯びていた。

「刻印には階梯がある。ノーマ、ヴェイル、ルミナ、エクリス、ゼルファ――五つだ」

俺はその言葉を頭の中で繰り返す。ノーマ、ヴェイル……聞き慣れない響きが、妙に重い。

「ノーマは一般的な刻印だ。兵士や市民の大半がここに属する。ヴェイルは熟練者、騎士や魔術師の中でも優れた者が到達する。ルミナは高位、帝国の将軍や宮廷魔術師長クラスの力だ。エクリスは英雄級、歴史に名を残す者たち。そして――ゼルファ」

エルネストはわずかに間を置き、眼鏡の奥で瞳を光らせた。

「ゼルファは神話級だ。記録に残る存在は、数えるほどしかいない」

萬子さんが口笛を吹いた。

「位階って、ようは能力レベルみたいなもんか」

「そうだな。だが、位階は才能と修練で決まる。努力だけでは越えられない壁がある」

エルネストの声が低くなる。

「二重刻印は、その壁を壊す可能性を秘めている。だが、制御できなければ意味はない」

* * *

「では、実技に移ろう」

エルネストが本を閉じ、兵士たちに合図する。兵士が巻き藁を数本、場の中央に並べた。藁束は太く、異世界の獣皮で固められていて、普通の人間なら拳を壊す代物だ。

「萬子君、まずは火の刻印を使え」

エルネストが指で巻き藁を示す。

「火を想像し拳に宿して、そこの巻き藁を殴れ。全力でだ」

「了解」

萬子さんは結界の中央に立ち、深く息を吸った。肩の刻印が赤く光り、空気が熱を帯びる。拳に炎のような輝きが走った。

「――正拳突き!」

拳が巻き藁を打ち抜く瞬間、衝撃波と熱風が結界にぶつかり、青白い光が揺れた。巻き藁は黒く焦げ、煙を上げる。兵士たちがざわめく。

「おお……」俺は思わず声を漏らす。

萬子さんは得意げに笑った。

「黒帯なめんなよ」

「関係あるんですか、それ」

俺は苦笑するが、内心ちょっと羨ましい。

「次は風だ」

エルネストの声が低く響く。

「風の刻印は、力で押すものじゃない。風のように動く想像をしろ。流れる空気に身を乗せる感覚だ」

「風のように…ね」萬子さんが小さく呟き、目を閉じる。

「そうだ。魔力は意識で形を取る。意識が曖昧なら、力も鈍る」

萬子さんが肩に意識を集中させると、刻印が緑に輝き、彼女の動きが一瞬で軽くなる。踏み込みと回し蹴り――空気を裂く音が響き、巻き藁が粉砕された。兵士たちが息を呑む。

「……速っ」俺は目を見張った。

――イメージでここまで変わるのか。

「火と風、それぞれでできることを切り替えて戦う戦術を磨いていけ。まずは基本だ」

エルネストの声は淡々としているが、奥に熱があった。

「二重刻印は未知だ。だが、基本を積み重ねる者だけが、その先に進める」

「次はケイタ君だ。水の術式を展開してみろ」

「え、いきなり?」

「恐れるな。結界がある」

エルネストの声に押され、俺は深呼吸した。肩の刻印に意識を向ける。青と茶の紋様が光り、水の気配が空気に満ちる。

「よし……」

俺は手を前に出し、術式を思い描く。水流を――

「うわっ!」

突然、水柱が暴発し、俺の頭上で弾けた。冷たい水が顔にかかり、兵士たちが笑いをこらえる。

「ケイタ、びしょ濡れ!」萬子さんが腹を抱えて笑った。

「笑わないでください!」俺は必死に袖で顔を拭う。

エルネストは微笑を浮かべ、指先で空中に小さな円を描いた。

「悪くない。魔力の流れは強い。ただ、制御が甘いな……よし、次は水弾だ」

「水弾?」

「水を圧縮し、弾丸のように撃ち出す。暴発しないよう、形を意識しろ」

俺は息を整え、両手を前に出す。水の気配が集まり、小さな球体が生まれる。

「……いけ!」

水弾が巻き藁に命中し、藁束が濡れた音を立てた。

「おお、当たった!」

萬子さんが驚きの声を上げる。

エルネストは眼鏡の奥で目を細めた。

「良い感覚だ。形を保つ意識ができている」

「次は土だ。防御の基本、土壁を作れ」

「え、もう?」

「やってみろ」

俺は肩の刻印に意識を向ける。茶色の光が走り、足元の石畳が震えた。低い唸りとともに、腰の高さほどの土壁がせり上がる。

「……できた!」

「初めてでこの形状……悪くないどころか、見事だ」

エルネストの声に、兵士たちがざわめく。

萬子さんが笑って肩を叩いた。

「ケイタ、やるじゃん!」

俺は息を吐きながら、胸の奥に小さな自信が芽生えるのを感じた。

エルネストは眼鏡の奥でじっと俺たちを見つめ、静かに言った。

「君たちは筋が良い。想像しろと言われて、すぐにできるものではない」

その声には、研究者の熱が滲んでいた。

「元の世界に、同じような技術があるのか?」

俺は少し考えてから答える。

「魔法は……ないです。でも、創作文化が盛んな国で、幼いころからそういう物語に触れていたから……かな?」

エルネストの目がわずかに輝いた。

「文化が力を育む……面白い」

彼は小さく呟き、視線を本に落とした。その横顔には、探究心が燃えていた。

* * *

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