コミック書評:『未完成キャンピングカー』(1000夜連続29夜目)

sue1000

『未完成キャンピングカー』

――終わらない改造、終わらない青春


『未完成キャンピングカー』は、完成を目指す物語ではない。むしろ「完成を永遠に先送りする快楽」を、三人のキャンピングカー改造マニアの生活断面を描き続ける作品だ。

特筆すべきは、劇中に“キャンプの場面が一切ない”ことだ。焚き火も、夜空も、湖畔の朝も出てこない。代わりに映るのは、蛍光灯に照らされる夜のガレージ、雨上がりの駐車場、ホームセンターの通路、SNSのタイムライン——つまり「出かけるための準備」そのものが物語の主役であり、旅はつねに可能性としてのみ描かれる。

その抑制が、彼らの改造を可笑しくも尊く見せている。


物語はある三人の改造沼を描いている。

ハンドルネーム「セカイイチ」こと藤原健司は外資系コンサルの30代。週末になると大型車体に潜り込み、断熱、電装、給排水、収納を最新化する。財力を最大限生かした彼の改造は豪奢だが、そこには快適への飽くなき探求心が同居している。

ハンドルネーム「軽子」こと佐伯涼子は20代の高校の数学教師。軽ワゴンをベースにした彼女の改造は、廃材と100円ショップの素材から折り畳みキッチンや自作シャワーを組み上げ、空間効率を極限まで押し広げる。黒板では整然、ガレージでは無限級数のように増殖する工夫。彼女のSNSに上がるビフォー/アフターは、理詰めの発想が跳ねる瞬間を可視化する。

ハンドルネーム「安眠運転」の森下敦は理学療法士。彼のステーションワゴンは“眠るためだけ”に進化を続ける。角度可変のベッド、沈み込みを制御する層構造のマット、寝返り誘発のための微傾斜。載せられる写真は研究記録に近く、もはや車より可搬式スリープラボだ。


そもそも三人はリアルでは繋がっておらずSNSでのみ交流していて、これもまた作品の特徴のひとつになっている。

彼らは本質的に何も共通・共有しておらず、それぞれの辿るプロセスのみが描かれている。旅やリアルな"体験"の描写を廃することで、準備が目的となり、ひとつの旅になる——その逆説が作品の推進力だ。


それにしても、趣味人の飽くなき探求心というものに、改めて「呆れと羨望」が湧いてくる。なぜここまで、と思う一方で、ここまでやれる対象があることが眩しい。私は料理が趣味だが、完成した皿に「あとひと手間」を足して壊し、次の週末に作り直すあのループ。スパイス一粒、火入れ数秒の差に執着する手つきが、彼らの配線一本、角度1度のこだわりと地続きだと気づいた瞬間、三人の“未完成”は他人事でなくなる。効率で測れば愚かでも、手を伸ばさずにはいられない——その衝動の尊さは、誰でも体験したことがあるだろう。


『未完成キャンピングカー』は、「キャンプ=ゴール」「リアルの交流=現実」を描かないことで、作り続けることそのものを祝祭化している。趣味という行為に内在している"意味のなさ"や"無駄"は、実は人生そのものの喜劇化であり、矛盾であり、そして生き様だ。


ページを閉じても、頭の中ではまだ電動ドライバーが回っている。完成は来ない。だから常に自分自身をアップデートできる。終わらない日常を抱えて生きる大人たちのための、果てしない青春コミックである。








というマンガが存在するテイで書評を書いてみた。

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