第6話 パーティ

 校門の前で、二人は並んで立った。

 校名のプレートを背に、証書の筒を抱える。


 レンは構えた瞬間、また手と足が同時に動いてしまい、慌てて姿勢を直す。

 静香さんが少し離れたところからスマホを向ける。


「……撮りますね」


 静香さんがそう言うと

 シャッター音が一度、軽く鳴った。

 画面を覗き込んだレンが、小さく息を吐く。


「ちゃんと写ってる」


 沙織が歩み寄ってきた。

 コートの襟を整えながら、周囲を一度見渡してから、明るく声をかける。


「ねえ、せっかくの卒業でしょう?」


 母さんはレンと静香さんの方にも視線を向け、にこやかに微笑んだ。


「うちで簡単なパーティー、しません? ケーキも用意してるし。ハヤトのお祝いも兼ねて」


 突然の提案に、レンが一瞬目を丸くする。

 静香さんは少し驚いたようにしながらも、すぐに姿勢を正した。


「……そんな、お気遣いまで……」


「遠慮しないで。大人数の方が楽しいもの」


 母さんは軽く手を振り、決定事項のように言った。

 その様子に、レンが小さくうなずく。


「じゃあ……行きます」



 ☆



 玄関の扉が閉まると、外のざわめきが一気に遠のいた。

 まだ昼の明るさが残る時間帯で、リビングには白い光がまっすぐ差し込んでいる。


 母さんは靴を脱ぐなり、すでに頭の中で段取りが組み上がっている様子だった。コートをハンガーに掛け、手首の時計を外すと、迷いなくキッチンへ向かう。


「まずはテーブルを広げましょう。人数分のお皿、出してもらえる?」


 声は軽やかで、仕事現場で人を動かすときと同じ調子だ。

 レンが少し背筋を伸ばし、静香さんの方を見る。静香さんは一歩下がった位置から、周囲を見渡して状況を把握している。


「……私、飲み物を冷やしてきますね」


 控えめにそう言って、静香さんは冷蔵庫の前に立った。

 中を確認し、種類ごとに並べ替えながら、静かに手を動かす。主張はしないが、必要なことはきちんとやる、そんな動きだった。


 リビングでは、母さんがテーブルクロスを広げる。

 一度端を持ち上げ、角度を微調整してから、ぴたりと揃える。その仕草は手慣れていて、準備そのものを楽しんでいるようにも見えた。


「レン、証書は汚れないところに置いておいてね。今日は主役なんだから」


 そう言われ、レンは慌てて証書の筒を棚の上に置く。

 動きは相変わらず少しぎこちないが、顔にはさっきよりも余裕があった。


 キッチンからは、食器が触れ合う軽い音がする。

 母さんが冷蔵庫から下準備していた料理を取り出し、カウンターに並べていく。色とりどりの皿が、少しずつ「場」を作り始めていた。


 静香さんはグラスを人数分用意し、間隔をそろえてトレイに並べる。

 その横顔は落ち着いていて、必要以上に周囲に視線を向けない。


「……ハヤトさんの家、広くて……素敵ですね」


 ぽつりと漏れたその一言は、誰かに聞かせるというより、場に溶けるような声だった。

 母さんが振り返り、にこりと笑う。


「ありがとう。今日は遠慮しないで、楽しみましょう」


 準備が進むにつれて、部屋の空気が少しずつ変わっていく。


 インターホンが鳴ったのは、テーブルの配置がちょうど整った頃だった。

 沙織がぱっと顔を上げる。


「来たわね」


 玄関に向かい、軽やかなやり取りのあと、大きな箱が二つ運ばれてくる。蓋を開けた瞬間、温かい匂いが部屋に広がった。


「わあ……」


 レンが思わず声を漏らす。

 円い箱の中には、色とりどりのピザ。切り分けられた表面が、昼の光を受けて艶やかに見えた。


「取り皿、こっちに置きますね」


 静香さんが控えめに言って、皿を並べる位置を少し調整する。動きは静かだが、場の流れをよく見ている。


 母さんが手を叩いた。


「じゃあ改めて。準備完了、パーティー開始!」


 グラスが配られ、ピザとケーキ、オードブルがテーブルの中央に置かれていく。

 レンはどれから取るか迷って、少し手を伸ばしては引っ込める。その様子に、沙織が笑った。


「遠慮しないの。今日は主役なんだから」


 部屋は一気に“お祝いの場”に変わり、卒業の一日は、ここから本当に動き出した。


 テーブルを囲むと、自然と席が決まっていった。

 レンは静香さんの隣に腰を下ろし、少し遅れて反対側に母さんが座る。箱のふたが完全に畳まれ、切り分けられたピザが取りやすい位置に置かれると、場の空気が一段と和らいだ。


「じゃあ、まずは──」


 母さんがグラスを軽く持ち上げる。中身は炭酸のジュースだ。

 全員がそれにならい、グラスが静かに並ぶ。


 母さんがグラスを持ち、軽く咳払いをしてから口を開いた。


「今日は集まってくれてありがとう。無事に卒業の日を迎えられたこと、そしてここまで元気に歩いてきたことを、心から嬉しく思います」


 一度、レンの方に視線を向け、柔らかく微笑む。


「これから先、不安なことも楽しいこともたくさんあるでしょう。でも、今日みたいに立ち止まって笑える場所があれば大丈夫」


 グラスを少し高く掲げる。


「卒業おめでとう。これからの新しい一歩に──乾杯」

「「「乾杯」」」


 小さく澄んだ音が、テーブルの上で重なった。


「じゃあいただきましょうか」


 レンはピザ一枚取って、端から慎重にかじる。


「……おいしい」


 その一言で、緊張がほどけたように会話が動き出す。

 式の話、写真の話や思い出話。静香さんは聞き役に回りながら、ときどき短く相槌を打つ。必要なときだけ言葉を足し、場の流れを崩さない。


 母さんはレンの話に大きくうなずき、時折笑いを添える。


 レンは少し照れ、肩をすくめた。



 テーブルの上では、料理が少しずつ減っていく。


 レンが紙皿を置き、少しだけ姿勢を正す。


「そういえば……中学校のことなんだけど」


 視線が自然と集まる。

 沙織は先を促すようにうなずき、静香は言葉を遮らない距離で見守っている。


「僕、和敬に行くことにした」


 一瞬の間。

 それから、テーブルの空気が柔らかく動いた。


「同じよね?」


 母さんが穏やかに言う。


 レンは照れたように笑う。


「うん。ハヤトと一緒に、って決めた」


 その言葉に、静香さんが小さく目を見開く。驚きはあるが、否定はない。


「……名門ですものね。ただ、あそこは女性が多いから少し心配だけど、レンが決めたことならいいわ」


 母さんはグラスを置き、どこか楽しそうに続ける。


「もともと女子校だったから、環境も独特でしょうけど。二人一緒なら心強いわね」


 レンは肩の力を抜く。


「一人だったら、たぶん選ばなかったと思う。でも……一緒なら、やっていけそうで」


 言い切りの声は小さいが、迷いはなかった。


 テーブルの上の料理は、いつの間にか量を減らしていた。

 ピザの箱は畳まれ、オードブルの皿も端に寄せられている。ケーキは切り分けられ、最後の一切れが残っていた。


 会話の間隔が少しずつ長くなり、グラスに氷の音が響く。

 レンは背もたれに体を預け、さっきまでの緊張が嘘のように、穏やかな表情をしている。


「楽しかったね」


 ぽつりと漏れたその一言に、静香さんが小さくうなずく。


「ええ……いい一日でした」


 母さんはテーブルを見渡し、満足そうに息をついた。


「そろそろお開きにしましょうか。片付けは後でいいわ」


 名残はあるが、惜しむほどでもない。

 祝う時間は十分にあって、気持ちはもう次へ向いている。


 パーティーの余韻が家の中に落ち着いた頃、リビングの灯りが少し落とされた。


 静香さん達が帰ったのを見届けてしばらくたつ。

 昼の賑やかさが家の中から抜けて、ようやく静かになった頃合いだ。


 スマホを手に取って、短く打つ。


 隼人

『無事に着きましたか? 。今日はありがとうございました』


 送り終えて、画面を伏せる。

 しばらくして、通知が来る。


 静香

『はい、今ちょうど。とても良い一日でした』


 隼人

『そう言ってもらえてよかったです。また、ゆっくり話せたら』


 静香

『ええ、よろしくお願いします』


 静香さんもそのうち口説き落とさないとな。静香さんはあれでむっつりすけべだから難易度は低いはず。たまに熱っぽい視線を見せることもある。

 レンが居ない時にでもアタックしてみるか。


 今日はもう風呂に入って寝てしまおう。

 その日はいつもよりぐっすり眠れるのだった。

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