3.「エリナ・クチュール様」

 そうして七年の歳月が経った。

 ついに学園入学式の日――つまりゲームでいうプロローグが終わり、いよいよ本編突入ですわ。

 入学式。私はあえてレオナール様と距離を置き、校門前に堂々と立っていた。

 それは、ゲームのあるワンシーンを完璧に再現するために。


「ハァ……ハァ……ま、間に合うかしら……初日から遅刻なんて……!」


 校門へ向かって、一人の少女が必死に走ってくる。

 あれは――


(きゃあああああああああああ!! つ、ついについに現れてくれたわよ――)

(私の“もう一人の推し”――エリナ・クチュール様よ!!)


 いざ平常心を保とうとしても、推しを目の前にしたこの歓喜は抑えきれない。

 だって七年……七年よ。推しのエリナ様に会うために、七年待ったのだから。

 全速力で駆ける彼女の金髪が風に舞い、黄金の宝よりもまぶしく輝いて見える。


(おっと……落ち着きなさい。私は悪役令嬢セレスティン・オートなのよ!)

(望み通りのカプを成立させるためには、正史ゲーム通り“憎き悪役令嬢”を演じなければならない――そう決めたでしょう!)


 七年間考え抜いた末に出した答えがこれだった。

 エリナ様×レオナール様ルートを確実に成立させるには、一番よく知っている正史ゲームの攻略方法をトレースするのが最も安全で、余計な不確定要素を防ぐ最善策。

 私は正史ゲーム通り、悪役令嬢セレスティン・オートとしてエリナ様を徹底的にいじめ、レオナール様の優しさに付け込み、嫌な女を演じる。


 それが完璧な計画――……だった、はずなのだけれど。


 この七年間、レオナール様に優しさにつけ込んで束縛しようとして……できるわけがなかった。

 推しを酷く扱うなんて、私には到底無理無理。

 束縛どころか、レオナール様とくっつきすぎず、離れすぎず、まるで放任主義の夫婦のような生活となってしまいましたが。

 まあ、レオナール様への態度は正史ゲームと違うけれど……まだ挽回はできるでしょう。

 肝心なのはエリナ様への対応。そこさえ正史ゲーム通りなら、ルートはきっと望み通りに進むはず。

 正史ゲームの行動を再現するということは、私にとって破滅エンド一直線の、自爆に等しい行為。

 それでも……それでもいいと決めたじゃない。

 むしろ、私の犠牲によって、エリナ様 × レオナール様が結ばれるなんて……尊すぎる。

 かえって原動力カプ燃料になって、めちゃくちゃモチベ上がるんすけど。


(さぁここよ……心を鬼にしてエリナ様にきつく当たるの! 頑張れ私、頑張れ悪役令嬢セレスティン・オート!!)


 深呼吸をひとつ。顔を引き締める。

 嫌な女――悪役令嬢セレスティン・オートになりきるために。


「よかった……なんとか間に合いそう……」


 エリナ様が校門をくぐった瞬間――


「お待ちなさい!」


 私は扇をパタンと鳴らし、悪役令嬢らしく顎を上げて声をかけた。


「しょ、しょ、初日から遅刻ギリギリで入るなんて……い、いい度胸ですわねぇ……」

(しまった、ちょっとぎこちなかったですわ!)


 ここは正史ゲームで、遅刻ギリギリのエリナ様と悪役セレスティンが初めて出会う重要イベント。

 初対面からいきなり嫌味を言って、プレイヤーに「あの女、性格悪ッ!」と思わせる導入シーンなのですが……


(ヤバい……出だしからつまずいた影響か、次に言うセリフを忘れてしまった)

(何だっけ? セレスティン、ここでエリナ様にどんな嫌味を言っていましたっけ?)


 表面上は涼しい顔で意地悪な令嬢を演じつつ、内心は完全にパニック。

 そんな私をよそに、エリナ様は深々と頭を下げてきた。


「あ、あのっ! はじめまして! 私、エリナ・クチュールと申します! 

 本日より入学します。よ、よろしくお願いします!」

「あ、はじめまして! 私セレスティン・オートです。以後お見知りおきを――」

「セレスティン様ですね! どうぞよろしくお願いいたします!」


 挨拶されたので、スカートの裾を軽くつまみ、膝を折って丁寧にお辞儀をする。

 ――うん。うん。人として挨拶は大事。やっぱり初対面では相手に失礼がないように……

 ――って違うぅぅぅ!!


(ここは“失礼な態度こそ正解”の場面でしょうが!! なに普通に礼儀正しくしてんのよ私!!)


 危うく自分の役割を忘れるところだった。

 このままでは望みのルートに行けず、計画が崩れてしまう。


(そうだ……思い出したわ! セレスティンの嫌味セリフ!

 たしか……『初日から遅刻ギリギリなんて、まあ、平民さんは時間にルーズで、気楽なこと――それとも学業でトップの点数で入れたことによる余裕なのかしら?』と言う場面でしたわ!)


 セレスティンが身分で見下す超嫌な女であることと、そしてエリナ様が秀才で努力家であることをプレイヤーに伝える重要なセリフ。これを抜かしてはならない。


(よし……言うのよ私! これを言えば正史ゲーム通りに戻れる!)


 意を決し、口を開く。


「しょ、しょ、初日から……ち、ち遅刻……」

(む、無理ぃぃぃーーっ!! こんな嫌味、エリナ様に言えない!!)


 私はプレイしたからこそ知っている。

 エリナ様が遅刻ギリギリになった理由を。

 彼女は途中で倒れていたおばあ様を見つけ、光の回復魔法で治療し、さらにおばあ様の家族のもとまで付き添って送っていたのだ。

 ――そんな天使に、誰が嫌味を言えるというの。……あっ、いや、私が言わないと駄目なのですけれど。


「ぎ……ギリギリなんて……」


 言葉を紡ごうとしても、どうしても口が震え、セリフが続かない。

 そのとき。


「あ、あのっ……大丈夫でしょうか?」


 エリナ様が、心底心配そうに美顔を近づけて、私を覗き込んだ。

 やめて、そんなアクアマリンのように透き通った瞳で、カビのように腐った黒い瞳の私を見ないでぇええ!


「汗が……すごく出ていますけど……もしかして、体調優れないのでしょうか?」

「えっ?」


 エリナ様に言われて気づいた。

 今、物凄く汗びっしょりであることを。

 すると、エリナ様は自分の額に左手を当てたかと思うと、右手をそっと私の額へ近づけて――


「うーん、どうやら熱はなさそうですね?」


 体温を測るために――エリナ様の生お手手(てて)で……生お手手(てて)で私の額を触ったのだ。


(あ……私、もうとっくに破滅エンド迎えていたみたいです)

(これはおそらく、天国なのでしょう。

 私はとっくにこのププライでも亡くなり、今天国に天使に導かれ――)


 あまりの幸せに脳がショートしたのか、私は何をしようとしていたのかさえわからなくなっていた。

 温泉に浸かったときのように全身がふわっと緩み、バッテリーがプツンと切れたみたいに、ただぼうっと立ち尽くす。


「あのっ……よろしければ、これ、使ってくださいっ!」


 エリナ様が差し出したのは――ハンカチだった。私の汗を拭くために。


「ああ……はい。ありがたく頂戴します……」

「あのっ……体調は大丈夫ですか? 私、応急処置程度の回復魔法なら――」

「いえ、結構です……むしろ、ヒヒヒ♡ 幸せすぎて、身体が元気すぎて……これ以上抑えないと」


 そのとき、チャイム音が鳴った。


「あっ、もう時間!?」

「えへへ♡ そうですね。なら一緒に行きましょうね!」


 私は早速、エリナ様がくれたハンカチで汗を拭く。

 そして気づけば――いつの間にかエリナ様と手を繋いで、学園へと歩き出していた。

 ……あれ? なにか大事なことを忘れているような気もしますけれど。

 でも、いいですわ! 推しから貰ったハンカチグッズ! この喜びに勝るものなんてないのですから。

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