第2話 路上の惨劇

「ところで…」

 麻生田会長が話題を変える。

「さきほど吹上さんの息子さんについて話をしていたのですが、今年20歳を迎えたとのこと。員弁さんの娘さんも吹上さんの璃空くんと同い年のはずでしたよな。同じく新成人ですかな?」

「そうです。吹上さんの璃空くんとは、小学校時代一緒に登校していた仲でしてね。まあ高校以降は学校が別になったこともあってさすがに疎遠にはなっているようですが、娘も璃空くんのことはもちろん覚えています」


 達人は最近にも員弁の長女澪と町中で会っている。すっかり大人の女性となった彼女は達人を見ると軽くお辞儀をした。その振る舞いは同い年の璃空よりもずっと大人びて見えた。女子の方が先に大人になるというのは本当のようだ。

「今、吹上さんとも話していたのですが、町内会から渡す記念品はどのようなものがいいとお考えですかな?」

 いきなり話を振られた員弁は答えに詰まってしまい、少し考える素振りをする。

「うーん、どうですかね。以前はたしか人形でしたよね。そうだなあ、今回はなにか、実用的なものがいいかなあ」

 奇しくも達人の考えと一致していた。

「なるほど、どうやら皆さんの傾向がはっきりしたな。では町内会でも実用的なものを中心に考えましょう」

 3人でほぼ納得した結論となった。麻生田会長はそっこまで言うと、「失礼」と述べ、関副会長の待つ席へと呼ばれていった。


 残された達人と員弁はどちらとはなしに子供の話となった。

「吹上さん、おたくの璃空くんもいよいよハタチですなあ」

「そうですね。今では18歳成人とはいえ、ハタチにはまた別の感慨があります」

「まったくだ。うちのも、今は専門学校に通ってるのですが、まあしっかり大人びてきましたよ。彼氏もできたみたいで、妙にめかしこむようになりました。父親には寂しい時期の到来ですかな」

 笑いながら語る員弁だったが、言葉の雰囲気には寂しさなどは感じない。それに女の子はやはり成長だけでなく、行動パターンにおいても大人っぽくなるのが早いようだ。精神的にそういうものなのだろう。

「そうですか。うちの璃空はまだまだ子供っぽくてね。いまだにゲームや漫画にハマっていますよ。ここのところテレビでも放映してる異世界転生ものとか好きのようです。いいかげん彼女のひとりでも連れてこないかなと思ってるんですが」


 どうでもいいような会話ではあるが、そのあと、員弁は妙なことを言い始めた。

「ところで、うちは駅から少々離れていて、静かな場所にあるんですが、なにやら毎晩のように不思議な音楽が聞こえてくるのですよ」

「音楽?」

「ええ。なんというか、哀しげというか、重い感じの曲です。…よくわかりませんが、童謡だか民族音楽のような…」

「近所の人ですか?」

「いやそれがですな、嫁も子供も知らないと言うのですよ。いや確かに音楽は聞こえてきてる。俺の部屋だけじゃなく、寝室にも聞こえてくる。嫁も一緒にいますから聞こえないはずはないと思うのですが」


 どこからともなく聞こえてくる音楽。おそらくは近所の誰かが鳴らしている楽器かオーディオだろうが、ひとりにしか聞こえないというのは妙だ。ひと部屋だけしか聞こえないというのならわかるが、夫婦の寝室でもひとりにしか聞こえないというのはいったいどういうことだろうか?

「それは少し気味が悪いですね。音楽は外から聞こえているのですか?」

 達人は話に少し興味が湧いたので訊いてみた。

「部屋の中には音源となるようなものはないので、おそらく外だと思うのですが、感覚からするとなんとなく近い距離から聞こえてくるようにも思えるのですよ。さがしても見つからないのですが」

「近い距離からですか…」

 確かに人情路地はどこもかしこも家が密集しているので、近い距離といっても隣の家ということもあり得る。

「それがね、時間的には未明で、近所はもう真っ暗。灯りもついていないのに音楽だけが流れてくるなんておかしくはないですか?」

 確かに妙だ。部屋を真っ暗にしてCDやらレコードやら音楽だけかけているというのも不自然だ。

「別にうるさいというほどではないんで、特に迷惑もしてないんですけどね。俺にだけ聞こえる音楽ってのが不思議でね」

 音楽なら不協和音ではないので、よほどうるさくもない限り不快感はないかも知れないが、音の出どころは気になるところだ。

「だからといって別にどうということはないんですけどね。まあ妙なことがあるというだけの話です」

 員弁がそう言うと残りのビールを飲み干した。

 それと同時に幹事が声をあげた。

「え、宴たけなわではございますが!」

 どうやら宴会…いや会議はこれにて終了ということらしい。予定されていた2時間はあっさりと過ぎて会はお開きとなった。

(会議らしい会話、少しでもしたか?)

 達人は思い起こしても思い出せなかった。


「お帰りの方はバスが用意されています。お乗りの方は西出口の方へどうぞ」

 ビヤガーデンの店員が口メガホンでこう呼びかける。それに従い数人が西出口へと向かっていく。


 ここから自宅のある人情路地まで歩くと少し時間がかかる。とはいっても15分程度ではあるが。路地入り口までバスで送ってくれるそうなので、達人もそちらのほうに歩こうとしたが員弁に止められた。

「どうです。せっかくだから酔い覚ましに歩いて帰りませんか? 10分や20分遅くなっても奥さんは鬼にはならないでしょう」

「まあそうですね」

 達人も同調し、たまには町中をブラつくのもいいかと思い、員弁と人情路地までの道を歩くこととした。


 町は夜のとばりがおりてすっかり暗くなっている。ビヤガーデンから人情路地までの道は約1キロ程度だ。繁華街から離れている道を歩くため、人通りはすでに少ない。ただ脇を産業道路が通っているため、トラックの往来は多かった。土曜のこんな夜でも走るトラックはあるものだなと達人は思う。


 徒歩で帰るのは5人、すべて男性だ。全員アラフィフということで、道がてら話すことといえば仕事と子供のことくらいだ。

 達人はほかの3人とは少し遅れて10メートルほど後ろを歩いていたが、ある交差点の信号待ちで前の集団に追いついた。幅数十メートルはある広い交差点には、双方から乗用車やトラックが走り続けている。

「いやー、土曜の夜だというのに車が多いですね」

 ひとりの言葉に達人が返す。

「まあ隣が産業道路だからね。きっと彼らもノルマに追われているんでしょう。そう考えるとなかなか身につまされますね」


「しかしこれらのトラックですか、少々飛ばしすぎじゃないですか? ここは高速道路じゃないんですよ」

 走るトラックは相当なスピードを出している。おそらく法定の60キロは大きく上回っているのだろう。

「長い信号だな…」

 誰とはなしに声が漏れる。お互い道幅の広い交差点とあって、歩行者信号が青になるまでずいぶんと待たされる。だがそうして待つこと1分余、やっと信号が青になった。5人はいっせいに渡り始める。最初はふたりが、そして員弁、最後のふたりがそれぞればらつきながら渡っていく。


 達人は最後尾にいて、員弁はその左斜め前4~5メートルを歩いていた。横断歩道を横切る道路はさほど交通量はなく、信号待ちの車もまばらだった。

 員弁は達人を振り返り、手招きしながら声をかけた。

「吹上さん、こちらに来たらど…」

 その瞬間だった。疾風が達人の顔を覆った。轟音とともに、大きなカタマリが目の前を通過していくのがわかった。

 ゴシッといういやな高い音が上がると同時に、達人はなにやら霧雨のような水滴を横殴りに浴びるのを感じた。


 20メートルほど先に、員弁が倒れている。すでに地面には黒く、血があふれている。手や足は考えられない方向に曲がり、肉片が路上に散らばっている。

 員弁が生きているはずがないことは誰の目にも明らかだった。

 交差点に突入してきたトラックは、対向車線からひっきりなしに走る車の間隙を縫って青信号の横断歩道に突っこんできた。そして猛烈な勢いで員弁をはね飛ばし、一瞬のうちに生命を断ち切ったのである。


 達人が霧雨のように感じたのは…顔を手でぬぐって判明した。それは細かく飛び散った員弁の血であった。

 達人は恐怖した。

 もちろん、細かく浴びた血もおそろしかったが、わずか数メートルの差でトラックに吹き飛ばされていたのは自分だったかも知れないのだ。


「か……」

 ほかの3人は突然の惨劇に言葉もない。10秒…20秒と誰も言葉を発することなく時間が過ぎていく。

「す…すぐに救急車を!」

 最初に声をあげたのが達人であった。おそらく員弁は死んでいるのだろうが、勝手に結論を出すわけにはいかない。達人は片手に持っていた携帯電話で緊急連絡し、消防と警察を呼んだ。


 ひと息つくことで皆が我に返り、現場は騒然となった。

「員弁さん…員弁さん…。へ…返事を…」

 グループのうちのひとりが倒れている員弁に小さな声をかける。しかし当然のことのように員弁からは応答がない。なにせ身体が原形を保たないまでに破壊され、員弁はピクリとも動かない。


 いつまでもこうしているわけにはいかない。危うく難を逃れた達人は員弁のもとへおそるおそる近寄った。員弁はもちろん身動きひとつしない。

「員弁さ…ひっ!」

 員弁はただ血の海に横たわるだけではなかった。頭部は避けて眼球は飛び出し、首から身体の損壊は目を覆うレベルで、たとえ救急車が来たとしてもひと目で死亡が判別するほどだった。

「これは、むごい…」

 誰もが現実とは思えない光景に4人は呆然としている。


「そうだ、運転手は?」

 誰かが言い出し、トラックの運転台を覗きこむと、そこには視線を宙に浮かべたままの運転手が座っていた。まるで心ここにあらずのような表情。誰かが声をかけるまでは、運転手はまったく無反応だった。


「とにかくえらいことになった…」

 誰かしらからの連絡を受けた麻生田会長は10分ほどして現場に駆けつけ、自分に言い聞かせるように小声で述べた。動揺を落ち着かせるためか、さっきからシニアグラスを何度も拭いている。別に汚れているわけでもないのに。

「町内会の会合の席で起きた事故とあっては、このまま知らぬ顔を通すことはできない。なんらかの行動を起こさなくては」

「そうですね…」


 その直後、麻生田会長の胸ポケットがジーッと鳴った。どうやら携帯電話が鳴っているらしい。会長はすぐに電話を取り出してひとしきり会話をした。話の内容を横から聞いていると、どうやら相手は今日出席できなかった町内会員のひとりのようだ。事故の様子を又聞きながら伝えているようだ。

「ちょっと町内会のほうで今回の事故に対して、何らかのアクションを起こす動きがあるらしい。やはり町内会主催の飲み会(会議です)で起きた事故だけに、そのまま家族に任せっきりともいかんのでしょう」

「それで、会長は?」

「これから幹事たちの会合が急遽行われることだそうだから、そちらに顔を出すことにするよ」

「わたしはどうすればいいんです?」

「吹上さんには帰ってもらってもいい。もう夜も遅いしね。明日が休日なのは不幸中の幸いでしたな」

 小さな手荷物をまとめると会長は席を立った。

「じゃあ、しばらくの間、すまんがよろしく頼みますよ」

「わかりました。気をつけて…」


 悪夢のような一夜が明けた。

 員弁の死亡はすぐに確認され、遺族が呼ばれた。彼のふたりの子も一緒に呼ばれた。突然の不幸に皆が動揺していた。


 不可解だったのは、運転手の供述だ。運転手は事故の一部を否認している、というか事故が起きたときのことを覚えていないという。新聞記事ではこの程度のことしか書いていないため詳細まではわからないが、確かにあの時の運転手の表情は異常だった。警察は居眠り運転の疑いを視野に入れて捜査していると言っているようだが、本当にそうだろうか? それよりもなにかに取り憑かれて事故を起こしたとでもいったほうがしっくりくるような…。

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