5. ホワイトホールクリスマス
マーフは、うなだれるアンドレアの肩に、ぽんと手を置いた。
「今日はクリスマスイブだ。今日のところはひとまず引き上げて貰って、お前たちも美味いものでも食べたらどうだ。ロディサリーチキン、あれば絶品だぞ」
パンッ。マーフの手を、アンドレアが払った音だった。
彼女は顔を振り上げると、今にも噛みつきそうな表情でマーフを睨む。
「貴様たちは、故郷の裏切り者だ。特使という大命を授かりながら、その任務を果たそうとするどころか、妨害すら行っている」
「特使の任務とは、故郷が持っていた価値を継承し、発展させることだ。文明の押し付けや侵略ではない」
マーフは平然と言い切った。
「だまれ!マーフ中佐、かくなる上はお前を連合艦隊に連行する!」
怒りに身を任せたアンドレアは、内ポケットから重力銃を引き抜いた。
マーフはそれを目の前にしても、平然としている。
「ふん、これでも余裕ぶっていられるかな?」
アンドレアが重力銃のダイヤルを回すと、周囲の空間がゆがんだように見え始めた。ジョンが「どうかお手柔らかに…」とこぼした次の瞬間。
マーフ班の3名は、強烈に床に叩きつけられた。
全身、身動きが取れないほどの強大な重力が、押しつぶすかのようにのし掛かってくる。常人には、呼吸をすることさえ困難だ。
「どうだ、これに勝る文明があるというなら申してみよ!」
「ぐっ…!」
床に伏しているマーフを見下ろすように、アンドレアが冷たい目を向けた。ほとんど動けない中でもマーフは、手を徐々に動かし、服の中から何かをまさぐろうとする。
「させるかっ! ラインハルト!」
アンドレアが命じるとすぐに、細長いトグロがマーフの体に巻きついた。今度こそマーフは、完全に手も動かせなくなった。
アンドレアは勝ち誇った顔で、マーフが隠し持っているものを取り上げようとした。
次の瞬間。それは音もなく。
アンドレアは右手に、強い衝撃を受けた。
手にしていた重力銃が、はるか後方に吹き飛ぶ。
アンドレアは、一体何が起きたのか分からなかった。ラインハルトが先に気付き、マーフから標的を変更した。しかし今度は続けて、細長いその胴体が音もなく後ろへ吹き飛ばされ、視界から消えていった。
アンドレアは、正面で何か起きているのか見ようとした。
そこには、自遊子銃をまっすぐ両手に構え、アンドレアに間違いなく照準を合わせた、スイの立ち姿があった。
「律導スイ…!」
スイはいたって冷静に、アンドレアに狙いを定めた。
自遊子銃は先ほどの強い重力を吸収したことで、目にははっきり見えないが確かにあると分かる、力強いエネルギーを帯びていた。
「アンドレア、私は何も持ってはいないのだ」
ヘビのトグロと重力から開放されたマーフは、ふうっと息を吐きながら起き上がった。
「ただお前が、3名の中で一番強いのは私だと判断し、私さえ封じ込めておけば良いと考えたということだ。私はスイにあの銃を託し、スイは攻撃を受けるとすぐに重力をあの銃で相殺した後、しばらく床に押し付けられた”フリ”をしていただけだ」
「私は、この地球人にまんまと一杯食わされた、ということか」
「次は、ロディサリーチキンもぜひ食べていってくれ」
マーフはまだ少し体が痛そうだったが、フッと口元を緩めた。
スイが大きく深呼吸を一つすると、手の中の銃はスイの息遣いに呼応するように、自遊子のエネルギーを先端に集め始めた。アンドレアがゴクリ、と息を呑む音が聞こえたような気がした。
町谷区民の皆さん、この国の皆さん、地球人類を代表して。私たちが決して譲ることのできない、人生の奥深さと愛の素晴らしさを届けましょう。
スイが、口を開いた。
「Hello girls, I’m back.」
コンピュータの時計が、12月25日午前0時を示した。
アンドレア中佐は、サーバ室の後方へ吹き飛んだ。
アンドレアの体がラックの1つに激突するのと、ジョンの仕掛けたタイマーが作動したのはほぼ同時だった。
ジョンの仕掛けたそれは、特段悪さをするものではなく、コンピュータ上でアラームを鳴らしたり、適当な相手にWeb通話をかけたりする程度のことだった。それでも、警備室が異常を検知するには十分な仕事ぶりをした。
「サーバ室に侵入者確認。映像によると、女性と思われる姿1名と、ヘビのような動物1匹の模様。至急確認のうえ、
アンドレアは、吹き飛ばされた衝撃で頭の上で星が回っている気分になっていたが、その放送からある事実に気づいた。
「スーツが…無効化された?」
よくぞ聞いてくれました、とジョンが胸を張った。
「自遊子と重力がぶつかると、お互いに反対の力がはたらいて打ち消し合うように出来ている。そのスーツは重力で空間をゆがめることでステルス能力を得ているので、自遊子銃を貰うとそれもなかったことになるのさ」
「…私にわざと重力を使わせて、銃のエネルギーを溜めた、ということか」
マーフは、そうでもあり違ってもいる、と答えた。
「この武器はカウンター専用だ。お前が銃を抜かずに今夜はクリスマスを楽しもうと思ってくれれば、こうならない道もあった」
マーフとアンドレアの間に、しばしの無言の時間が訪れた。しかしそれはすぐに、警備班が駆けつける騒がしい音で中断を迎える。
アンドレアは、両膝の汚れを手でパンパンと払うと、目を合わせずにマーフに告げた。
「いずれ、この借りは返す。お前たちは故郷の裏切り者だ。…このままでは、だ」
そう言い残すと、アンドレア班が侵入したラックの中に帰ろうとした。
「アンドレア!」
マーフが呼びつけると、アンドレアが振り返った。その手元に、ゲームのコントローラーくらいのサイズのものが投げつけられた。
アンドレアが空中でそれをキャッチし、表面を確認する。
それは、冬季限定発売で有名な、サイコロ型のチョコレートの詰め合わせだった。
マーフは優しく、口元を緩める。
「メリークリスマス、アンドレア中佐」
アンドレアは無言でそれを胸に抱えると、ラックの中に消えていった。
ラインハルトはジョンに向き直ると、しばしの別れだと告げた。
「我々はサーバ室の監視カメラに記録されてしまった。データベースには容疑者として登録され、当分は地球を、大手を振って歩けないだろう。もう生存していないと思われ、データベースから削除されるくらいまで。ざっと100年〜数百年になるだろう」
「まあ、暇だったら高速飛行で未来にワープでもすると良いぜ」
ジョンは何のことはないというように、両手を頭の後ろで組んで答えた。
ヘビもコマンダーに続くべく、後ろを振り返った。しかし思い出したように、再びジョンの方に頭を戻した。
「ジョン博士よ。私は、貴方やマーフ中佐、そして、律導スイの描く未来が本当に実現するかどうか、興味がある。地球人とともに、その仮説を立証してみよ。ところで」
「ん?まだ何かあったっけ?」
ヘビは、チロチロと長い舌を動かした。
「私のようなヘビの姿をしたものが地球人に話しかけても、どうも信用してもらえないことが多い。地球では、ヘビは神話の世界でアダムとイブをたぶらかした存在ということになっている。いつか私が来た時に人々が耳を傾けないような話を広めたのは、…ジョン、お前ではないのか」
ジョンは、面白い説だね、とイタズラっぽく目を細めた。
「それは何とも、キツネにつままれるような話だな」
寝静まる子供の枕元にプレゼントを置き、それぞれの家にいるサンタクロース達もホッとしてそろそろ寝ようかという深夜。
アンドレア班の船が、未来に向かうためにワープ機能を発動し、真っ白な光をまといながら夜空を駆け抜けた。
その様子を見た地球の人々は、クリスマスの夜に特大の流れ星を見ることができたと喜び合い、この夜をくれたサンタクロースに感謝したという。
その30時間後。
町谷区役所は、年末の締め日を迎えていた。今年は金曜日が区役所の年内最後で、通常であれば、きょう1日を頑張れば寝正月にありつけるという訳だ。
通常であれば、だ。
ITヘルプ係は本当に今日で終わるのかというほど、目まぐるしく業務に追われていた。年内最後の平日は、会社員の方々が有休をとって飛び込みの申請を片付けるのにもってこいだ。
それに加え今年は、ホワイトホールクリスマス動画に関連した案件もまだまだ続いていたし、コラボレーションしてくれたインフルエンサーからは、年末の年越し企画や年始のすごろく企画などにも出てほしいとオファーを受けていた。クリスマスに協力頂いた手前、区役所職員としてむげに断ることは出来まい。係長も髪をボサボサにしながら、一心不乱にノートパソコンと格闘していた。
スイはどうにか締め日の業務を終えることができ、体から魂が抜けて行きそうな気分になりながら、帰り道をよたよたと歩いた。最寄りのコンビニでビールでも買おう、そう思うと少し足取りに元気が出た。
そして。
目標のコンビニに到着すると、勝手口の横で、マーフがスイを手招きしていた。
「やあ、お疲れさま」
そこでスイは思い出した。そうだ、今回の件が片付いたら私はー
「察しがついたようだな。スイの今後について、話をしに来た」
この1ヶ月で、スイの生活と世界の見方は、以前の自分が別人かと思うほど変わった。実感はまだわかないがきっと、文明にとっても意義深いことを成し遂げたのだと思う。
でも、それ以上に覚えているのは。
町谷区役所ITヘルプ係のみんなの顔。
久しぶりに曲をつくることに熱中する高揚感。
動画の投稿ボタンを押す時に
曲を聴いてくれた人が伝えてくれた言葉。表情。
スイにとっては、それが人生の意味だと気づいた。
「スイ。私たちが迎えにいった日のこと、覚えているか。あの時、今までの作曲データを全て削除して、もう曲づくりは終わりにしようとしていただろう」
…ハッとしてスイは、マーフの方を見た。
マーフは、納得したようにうなずいた。
「今は、なすべきことを見つけたのだな」
マーフは、スイに近づくと、そのなで肩にぽんと手を置いた。
「律導スイ特使。貴方に10年の地球駐在任務を命ずる。この星が、生きる喜びで満ち溢れるために自分に何ができるか考え、考えて、しっかり励んでくれ。10年後に様子を見にくるぞ」
そう告げるとマーフは、役目を終えたようにコンビニの勝手口に歩いていった。
スイは何だか急に、ものすごく寂しくなって、マーフを呼び止めた。
「マーフ!」
「うむ、どうした?」
ドアノブに手をかけたところで、マーフが振り返った。
「あの…私達を、地球人を愛してくれて、ありがとう」
スイがそう伝えると、マーフは。
初めて、にかっと白い歯を見せた。
「笑顔というのはな。人類が、生きることを素晴らしいと思えるために、宇宙のルールからちょっぴり反則して獲得した、勝利の証なのだ」
バタン、とドアが閉まると、そこはもう、いつものコンビニの勝手口に戻っていた。
年末を告げる夜空に、まぶしいほどの白い流れ星が駆け抜けていく様子を、スイが静かに見守っていた時だった。
「ふうん、船の外から見ると、飛行機雲みたいで綺麗なもんだな」
「…え??」
左隣から予期しなかった声が聞こえ、スイはビクッとしながら横を確認した。
そこには、両手を頭の後ろに回したジョンが立っていたのだ。
「ジョン!?貴方、船に乗らなかったの?」
「マーフとは合意済みだぜ。久しぶりにここに残って、地球の油揚げを楽しむことにした」
「楽しむって…マーフを1人にして大丈夫なの?」
「中佐なら1人でも問題なく船を運転するぜ。心配なのは、スイの方だろう。本当にここから、俺の助けなくインフルエンサーを続けるつもりだったのか? 俺の役割は、特使補佐だ」
正直、区役所職員は素人集団だったので、今後について少し困っていたところだった。ジョンにサポートして貰えるなら心強かった。
スイは、ジョンに微笑みかけた。
「引き続きよろしくね、ジョン」
「おう」
スイは思う。しかし、キツネはやはり油揚げが好きなものなのだな…
いや…逆ということはないだろうか…?
「ジョン、貴方もしかして。人々から、”お稲荷さま”って呼ばれていたりする?」
ジョンは、小さくあくびをした。
「さあな。ただちょっと昔、奈良の方で人助けをしたことがあって、お礼にイケニエを差し出すなんて言うものだから、そんな不味いものはいらないから、油揚げでも備えておくれって言ったことは、あったような、なかったような」
何だか、キツネに化かされたような感じだ。それでもスイは、何だかちょっと面白かった。
私には、出来ることが沢山ある。
たとえ今見えているものの価値が分からなくなったとしても、それを簡単に超えてしまうのが人生の醍醐味であり、主体性を持ってプロデュースする価値があるのだ。
さあ、お次はどんな展開が待っているだろうか。
星の海に抱かれながら、律導スイは。
楽曲制作ソフトのキーボードを、叩いた。
ホワイトホールクリスマス aobuta @aobutaloid
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