4. 対決の夜
その夜は、深夜から雪が降るという予報が出ていた。
都内某所のとある施設も、ほぼ全てのフロアがすっかり消灯して店じまいの雰囲気だった。
施設内の暗くだだ広い部屋の中では、高さ2m、幅50センチほどの大きなラック棚が、ずらりと何十台も並んでいた。
部屋のそこらじゅうからは、ヴィィーンという機械音が鳴っていた。耳栓がないと、長い時間はうるさくて少しウンザリしてしまいそうな音だった。ラックの中には大量のコンピュータが入っており、それが一斉に動いていたのだった。
何十台と並ぶラックの1つが、おもむろにゴトゴトと左右に動いた。一瞬収まったかと思うと、今度はキイ…と扉が内から外に開いた。
扉の向こう側には、どこかの薄暗い室内と思われる景色が見える。その室内から、アンドレアとラインハルトがそっと姿を現した。
このラックが並んだサーバ室(制御用コンピュータが沢山置かれている部屋をこう呼ぶ)の中には、至るところに監視カメラが設置されていた。しかし、2名の存在を検知することができない。両名は、重力を加工することによりカメラの映像に検知されない、特殊な潜入用スーツを着用していた。
アンドレアたちはサーバ室のラックの群れを物色しながら歩き続けると、程なく中央付近にあった1つのラックに目をつける。その扉を静かに開けると、1台のコンピュータがスリープ状態になっていた。ラインハルトはシュルシュルとキーボードの近くまで這い寄ると、尻尾を器用に動かしてパスワードを簡単に突破した。
このコンピュータでは、世の人がもっとも利用する生成AIサービス「ChatAPT」の中央コントロールをしていた。
アンドレア班は昨日、ジョンがこのChatAPTのプログラムの中に、今日の0時に起動する「タイマー」を仕掛けたことを察知した。そこで本丸のサーバ室に乗り込み、この「タイマー」を直接解除するか、解除が困難であればセットされた時刻の0時より前に、全世界にブラックホールのデータを投入しようと考えていた。
ラインハルトがキーボードを叩き続ける。アンドレアは周囲を警戒しながら、自船のエンジニアに状況を確認した。
「おい、状況はどうだ」
「まだタイマーを解除できていません。相手方は、何か複雑なロックをかけているようです」
「あのキツネとお前は大学の同期で、お前は主席だったんだろう。負けていてどうする」
「私は情報学部でしたが、向こうは工学部です。計算は負けませんが、ものつくりは向こうが得意かもしれません。もう少し当たってみます」
ラインハルトは黄色い目をカッと見開き、自身が知る限りのパターン分析をして高速でキーボードを叩き続けた。寸分の隙も無い、完璧な動きのそれは、地球人の理解を遥かに超えるものだとお考え頂くのが良い。
そのまま十数分が経過したが、タイマーは依然として
「うーむ、これはどうしたことか。解除できません」
「仕方ない。それならさっさと、データをアップロードするぞ」
コマンダーの指示があると、ヘビはそれまでタイマー解除に熱中していたのが嘘だったかのように、素早く作業内容を切り替えた。町谷区のテストで成果が確認された、ブラックホールに関するデータを、全世界が利用可能なChatAPTの学習領域にアップロードした。
「さあ地球人よ、深い夢の中に酔いしれ、休みなく働き続けるのだ」
言っていることが完全に悪役になっていることに気づかず、アンドレアはアップロード成功の文字を見守った。
アンドレア班はその後しばらく、AIの動きと人々の反応の様子を待った。
ラインハルトがインターネットを巡回していると、妙な数字が出ているのを見つけた。
「コマンダー。我々がデータアップロードをしてからというもの、SNS上で急速に再生数を伸ばしている投稿があるようです。XXも、インストも、Tiktikにも見られます」
アンドレアの眉が、ピクッと上下した。
「何? 地球人はまだそんな時間泥棒のコンテンツを使っているのか。私たちの見立てでは、AI以外のコミュニケーションサービスは衰退していくはずだったろう。一体どんな投稿が伸びているのだ」
「いずれも同一団体のようです。投稿者名は、”町谷区役所ITヘルプ係”」
「ああん? 何やつだその係は」
「投稿映像、出ます」
ラインハルトが別の小型端末を取り出し、インストを起動させた。
その画面に表示されていたのは。
「…律導スイ!」
スイと、そして上司の係長、そのバックに何人かの職員と思われる男女が映っている。格好は各々、オフィスカジュアルな冬のコーデというところだ。ただし視聴者は服装に構っている暇はなく、全員の頭の上に乗っかっている、昆虫の触角のように先が2つに分かれた、真っ白なサンタ帽に目を奪われたことだろう。
そして一団は、ジングルの鳴る軽快なBGMに合わせ、一斉に踊り出した。
スイは、上手いというよりは一生懸命踊っている感じだった。係長のは目も当てられなかった。バックにいる職員はそれなりにしなやかな動きをしていた。
動画には、オンラインストアでは配信されていない、オリジナル曲が使われているのが目に留まった。作者は「町谷区役所ITヘルプ係」とされている。
曲名は、「ホワイトホールクリスマス」。
この投稿は、区役所がオリジナル曲を作成して世に発信したという新規性。前に立つスイと係長の絶妙にぎこちない、しかし必死の形相で一生懸命に踊る様子の愛おしさ。何より「ホワイトホールクリスマス」の曲が、最近の音楽シーンには見られない音の手法、寒空の下に立つような開放感、そしてクリスマスを皆で喜び合う幸せを全身で感じられるものになっており、スペースシャトルを打ち上げるように万バズを達成したのだ。
町谷区役所の元の動画に加えて、SNSアプリを開けば自然と目にするインフルエンサーたちも反応していた。
ある者は、ホワイトホールクリスマスの曲に合わせて綺麗に踊って見せ、ある者は、町谷区役所ITヘルプ係とのコラボ動画を上げている者もいた。これらの掛け合わせで、ブラックホールに包まれるはずの夜は、ホワイトホールクリスマスのちょっぴりおかしなダンスと、人の温もりが拡散されていった。
「コマンダー。この曲の波長と過去のデータベースから、この曲は律導スイが作ったものである可能性が高いです。SNSでバズるようにタイミングを見計らい、インフルエンサーとのコラボを取り付けたのは、おそらくジョンのやつの仕業でしょう。あいつは昔から、任務の合間に人間との付き合いを深めることを好んでいた」
ラインハルトが淡々と証拠集めをする横で、アンドレアは、わなわなと肩を震わせ始めた。
「ええい、いまいましい! いち区役所の投稿がSNSでチヤホヤされる影響など、一部のアジア地域だけだろう。我々のデータは、世界中に向けてアップロードしたのだぞ!」
「それが、どうも、人々の関心が全く別の方に向かっていくようで…」
「どういう事だ?」
「こういう事です」
ラインハルトは、地球人がAIとチャットする様子をコマンダーに見せた。
―今夜、子供にクリスマスプレゼントを渡そうと思うんだが、何を買ってあげたら喜ぶだろうか。
(―良い質問ですね。お菓子やぬいぐるみなどが定番ですが、ブラックホールのエネルギーを社会実装することができれば、もっと良い製品が今後生まれて来ることでしょう)
―ふうん、そうかい。まあ宇宙の神秘に思いをはせることは、子供の夢を広げるのに良いことだな。よし、今年は地球儀を買ってあげるぞ。目をキラキラさせる姿が楽しみだ。
―今日、愛する人に告白をしようと思うんだ。どんな言葉を伝えたら良いか教えて!
(―告白ですか、頑張ってください! ずばり決めセリフは、一緒にブラックホールに愛を誓おう、です!)
―うん? なんかピンとこないなあ。僕の愛は底つきないほど深いということを、精一杯自分の言葉で伝えることにするよ。
ラインハルトは、再び画面を自分の手元に戻した。
「今夜の地球人は、東西南北どこを見ても、誰かを喜ばせたい、愛を確かめ合いたいということしか考えていません。我々の美しい思想を伝えても、それは今日この日、クリスマスイブをどう楽しませてくれるかという価値を高めることに全変換されます」
AIは、質問者に寄り添い、その相手に恩恵を与えられると思った回答をするように作られた。
大量の質問を受けるうちにAIの学習エンジンは、アンドレア班が提供したデータは質問者にそのまま提供するよりも、「未知への探究心は、人の心を豊かにする」というニュアンスで使用する方が価値が高いと判断するようになった。
結果としてアンドレア班の作戦は、クリスマスイブの人々をさらに楽しませるAIエンターテイメントに変わったのである。
あまりの結末に呆然と立ち尽くしているアンドレアの横で、カチッ、とラックの開く音がした。
そのラックの中から出てきたのは、マーフ、ジョン、そしてスイのトリオだった。こちら側も、監視カメラに検知されないスーツを着用していた。
「ここしばらく地球に来てなかっただろ、アンドレア。今の地球人はクリスマスの夜、人々の繋がりが希薄になっていると言われているむしろ今だからこそ、熱狂的なほどに愛と幸せを求めるようになったのだ」
マーフがアンドレアの正面に立った。アンドレアはなおも理解できないという風に、ぼうっとマーフを見ている。
アンドレアの背後から、ラインハルトがニュッと顔を出した。
「解除が困難なタイマーを今日の0時に仕込み、わざと0時より早い時間に我々がデータアップロードに踏み切るように仕向けたか。しかし、故郷の知識をフル投入しても解けないコードを、どこで手に入れた、ジョン」
「ライン、お前は昔から頭が硬い。どうせ今回も、1ミリ秒の隙もなくタイマーに攻撃し続けたんだろ」
ジョンは両手を合わせると、子どもが枕元に届くはずのプレゼントに期待しながら眠るように、顔の横に持ってきた。
「正解は、”何もしない”だ。そのタイマーは触れば触るほど、それを嫌がって殻に閉じこもる。放置しておけばいずれ、解除コードが出てくるんだ。常に何か手を動かしていないと生産的ではないと考えている、古代文明の皆さんへの教材さ」
なるほど一理ある、とヘビはトグロを巻いた。こういう時に素直に受け入れられるところは偉いな、とスイは心の中で感心していた。
スイがマーフ班に、クリスマスイブに勝負を仕掛けることを提案してからというもの、彼女の日々はまるで違うものになった。
仕事終わりには毎日スタバで曲を書き、楽曲制作ソフトに音を打ち込み、打ち込み、閉店時間に冷めたラテの残りを一気飲みした。
完成した曲を係長に持ち込んで、区民の皆さんにクリスマスの温かい気持ちを届けたいと交渉した。係長は、スイの側から何かを提案してくるのが初めてだったので驚いていたが、スイの曲を聴くと何か自信を得たのか、やってみようと話が進んだ。
そうやってスイが動画づくりと格闘していると、ジョンがひょっこり現れ、どこでいつの間にコネクションを作ったのか、有名な配信者やインフルエンサーとのコラボ案件を続々と持ち込んできた。
ホワイトホールクリスマスの曲を賞賛し、いち区役所職員の活動に賛同してくれた彼ら彼女らは、スイの動画制作や振り付け考案を手伝ってくれ、1人きりで作るより、何倍も何十倍も良い動画に仕上がった。
その後は、あれよあれよと、先ほどご説明の通り、町谷区役所ITヘルプ係はSNSを起動すると最初に出てくる一員になった。
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