3. ブラックホールよこんにちは

12月某日木曜日、町谷まちや区役所のITヘルプ係の窓口には、思考を宇宙のどこかへ置き忘れてしまったかのような顔をした、スイの姿があった。原因の1割は、深夜にあのチャイ風ドリンクを摂取しすぎたものによる寝不足だったが、残りは昨日の出来事について考え続けているからであった。


たったひと晩で、世界が変わってしまった。平凡な人生を受け入れようとしていたはずの私は、宇宙人に銃を突きつけられ、誘拐されかけ、別の宇宙人が助けてくれたかと思うと今度はクルーになってくれと、果てしなき宇宙への旅の同行を迫ってきた。


昨日、アンドレアに狙撃された足のあたりをさすってみる。特に痛みも傷跡もない。もしかすると、夢だったという可能性はまだ残っているかもしれない。

あの足元が鉄のように重くなった武器は、マーフによると「重力銃じゅうりょくじゅう」とでも呼ぶべきものらしい。あの武器の中で強い重力を発生させ、特定の相手に放つことで動きを止めることができ、その気になれば押し潰してしまう程の出力にすることもできるだろうと。アンドレアは少し気の抜けた人物に見えたが、彼女も特使、持っている力には注意しないといけない。


一方、アンドレアがスイのベッドに吹き飛んだのはジョンによる救助で、重力と反対の力、「自遊子銃じゆうしじゅう」のおかげだとマーフは教えてくれた。

強い重力がはたらいた時に生まれる逆向きの力”自遊子”を収集し、重力にぶつけてプラスマイナスゼロに戻したり、宇宙船の揚力に活用したりできる、ジョンの発明品だ。ジョンはマーフ班の特使補佐にして優秀なエンジニアでもあり、宇宙船の床に転がっていた部品は、ジョンが自遊子銃でいくつかの機械の性能を上げようと試みた結果、エネルギーが強すぎて故障させてしまったものの残骸ざんがいらしい。


マーフとジョンはしばらく宇宙ステーションに船を隠しつつ、アンドレア班の次の動きを見張ることにすると言っていた。スイの方にも再び接触してくる可能性があったが、公務員のご用納めはまだまだ先であり、役所の窓口を開けないといけないので一旦解散となった。


果てしなき宇宙への旅の選択を迫られてから、スイは、自分はどうしたいのだろうとずっと考えていた。敷かれたレールの上をなぞるくらいならいっそ…と思う自分も、ゼロではなかったのだ。

しかし。ジョンは昨晩の別れ際、唯一まじめな顔をして、スイに言った。

「スイ、もう一度よく考えろ。人間の愛すべき点について、スイの中に今何があり、これから何を捨てようとしているのかを。スイはなぜ、今の仕事になっても楽曲制作ソフトの譜面を開くのかを」


私の、音楽のルーツ。それはいつからだろうとスイは考えた。

スイにとって音楽とは、既に世の中に生まれた曲を楽しむものであり、まだ見ぬ曲を自分で生み出す楽しさに没頭するものでもあった。それが、後者までやり遂げられる人間はごく限られることを知ってから、曲を作ることを真剣に追い求めたいと考えるようになった。


曲を作るためには、ドレミファソラシの7音と、半音の変化、あとは音の大きさやリバーブといったシンプルな材料があれば良い。その組み合わせを考えるだけの作業はとっくにネタ切れになっていてもおかしくないのに、宇宙と同じく無限に続くかのように、色とりどりの曲が生み出される。あるいは同じ曲を繰り返し聴くたびに、新しい音の意味を発見する。


スイは中学生の終わりごろから、スマホアプリで簡単な自作曲を作成するようになり、高校時代からは動画共有ソフトに投稿するようになった。再生数は数百回に留まることが日常的だったが、1つでも2つでも、「いいね」を貰った時のあの感動、コメントを貰えた時の緊張と感謝はすべて覚えていた。その1つ1つを思い返すと、胸が高鳴るのがはっきり分かる。

まだ、諦めたくないー。


「あのう、すいません」

もの思いにふけっていた区役所職員スイのことを、窓口から呼びかける声があった。

「Meナンバーカードの更新をお願いしたいのですが」

「…はい! ご予約済みですか?」

身分証明書となるMeナンバーカードの更新と問い合わせ対応は、ITヘルプ係が行う主要な業務の1つだ。引っ越しシーズンの3月と4月は恐ろしい残業時間になるが、年末は比較的落ち着いて対応ができた。

決められた手順でぽちぽちとシステムに入力を行い、スイは難なくカードの更新作業を完了した。

「お時間頂きありがとうございました」

スイが挨拶すると、その区民の方はもぞもぞと、何か聞きたそうな顔つきをしてその場に留まった。

「何かご不明点がございましたか?」

「…あのう、担当が異なるかもしれませんが、お伺いのですが」

「ええ、なんでしょう?」

すると、区民の方は、目をキラキラさせながら。

こんなことを言った。

「町谷区役所は、に参加されるのですか? もし、寄附を募集されるようでしたら参加したくて。ブラックホールの力を借りればもっと沢山のシステムを同時に動かすことができて、わざわざ平日に休暇を取って区役所に来なくても、もっと効率的に文明に貢献できるようになるんですよね?」


スイは、ぽかん、とした顔で相手を見つめた。この方は何を仰っているのだろう。

その後も何往復かやり取りをしたが、話がかみ合っていないような感じで、その区民の方はこれ以上は時間の無駄だと思ったらしく帰っていった。

「変なの…」

その後の業務についてはいつも通り、マニュアルという名前の楽譜を淡々とキーボードで演奏した。

定時になって帰り支度を始めた際、スイは係長に一応報告しておくことにした。

「係長、お疲れ様です」

「おう、お疲れ様」

「あの、なんか今日、窓口で不思議なことを仰った方がいて」

「不思議なこと? たまによくある、この国の政府はMeナンバーカードを使って国民の脳をコントロールしようとしている、とかいうタイプのやつか?」

そうかもしれない、と思いながら、スイは先ほどのやり取りを係長に共有した。


係長は、うんうんと頷きながら。

こんなことを言った。

「そうだな。確かにこれから先、で、国の競争力は変わってくるだろう。私も時代に乗り遅れることなく、今度ブラックホール活用セミナーに参加するつもりだ。律導も一緒に行くか? 昼飯ならおごってやらんでもないぞ」


ほどなく、日の暮れた遊歩道をスイは早足で移動していた。向かうのは、例のコンビニの勝手口、いやその先に繋がっている宇宙船だ。

何か、異常なことが起きている。

電車の車内ニュースでも、若手社長を名乗る者が「これからはブラックホールを制する者がビジネスを制する」という内容の発言をしている動画が再生されていた。昨日のマーフの話を聞いた手前、アンドレアが何か仕掛けたに違いないと思った。


十字路の角を曲がろうとしたところで、スイの足は急停車した。

目の前に、獣の目のような黄色いマダラ模様の、ヘビが待ち構えていたからだ。

「ラインハルト…!」

スイの握りしめた拳に汗がにじむ。

「そんなに身構えなくても良い、律導スイ。アンドレアがいるとすぐに物騒な手段に出るので、今日は私だけで来た。私は本来、理性的な行動を好む」

「区民の皆の様子がおかしい。あなた達、一体何をしたの?」

ラインハルトはトグロを巻くと、その場でぐるりと一回転した。

「これは、文明の進化として自然な反応だ。未知の力に魅了され、危険を承知で手を伸ばす。人は、火を起こす。雷の力で車を動かす。人工的に脳を拡張する。それはそうとして」

ヘビの両目が、じいっとスイをとらえた。

「律導スイ、今からでもアンドレア班に合流しないか。マーフ中佐はとても優秀な方で、私も尊敬している。ただし今のように地球人の営みを愛するあまり、文明の効率化を遅らせているようでは、故郷に対しては裏切り者になる可能性がある。そうなればお前も追われる身となるぞ」

スイは、自分の身体が勝手に身ぶるいしたのを感じた。未知の力を使う者たちに追われる。その恐怖心に本能が反応したようだった。


でも…でも! とスイは自らを奮い立たせる。スイの好きな、ちょっと寝ぼけた感じの雲が浮かぶ青空と、鼻から深呼吸すると全身が洗われる星空に、漆黒の冷たい穴を開けたくない。

ヘビにらみに対しスイが硬直していると、ラインハルトはくるっと細長い身体を再度ひねると、きびすを返した。

「この先は、お前の選択だ」

そう言うと一瞬のうちに、ヘビの姿は夜の闇の中に消えた。


スイは、マーフの姿を思い浮かべた。

話し方から伝わってくる聡明そうめいさと、床にものを散らかしたままにする一面。

地球の美しさのために身を捧げたいと言っていた情熱と、仕事をサボって自分の描いた絵を見せてくれる天才を愛おしく思っている時の顔。


そうしてスイは、3歳の時の記憶が思い出される。


手を引いてくれるマーフの後ろ姿と、その横を歩くジョンの姿。


マーフが振り向く。口を開いて、スイに話しかける。


良い歌だな。


スイは思い出す。あの時、スイは宇宙から見た星の輝きに興奮し、自作の歌を口ずさんでいた。3歳の語彙ごい力なので、多分でたらめだったのだろうが、マーフは自分の歌を褒めてくれた。

そうだ。スイは確信する。

あの日、不思議なお姉さんに褒めて貰えたことが嬉しくて、私は曲を書くようになった。そして私は、その不思議なお姉さんと再会した。

スイの目には、決意という星がくもりなく輝き、その足はコンビニの勝手口に向かった。


「…よし、アンドレア班のアクセス記録を見つけることができたぞ」

宇宙船内の端末をタカタカと打つジョン。その両サイドにはスイとマーフが立ち、3名揃って画面上の文字列を眺めていた。

ジョンはインターネット上の様々な情報にアクセスし、アンドレア班の痕跡がないかを入念に調査した。同じくエンジニアのラインハルトはジョンが格上と認めるほどの腕前であり、簡単に尻尾をつかむことはできなかったが、今回は街中への影響が大きいため、その痕跡も大きく特定することができた。

「ジョン、彼女らが何をしようとしているか分かったのか?」マーフが問う。

「これは…いま地球で流行りのあれだな」

ジョンが画面を切り替える。それはスイも見覚えのあるものだった。


真っ白な背景に浮かぶ、細長いフランスパンのような見た目の入力画面。

「生成AI。アンドレア班はAIの思考回路、つまりアルゴリズムの部分に、地球にまだ無いブラックホールに関する知識や観測結果をを投入した。それによりAIが、ブラックホールの情報を価値が高いと判定して、人々の検索結果に反映するようになったんだ」

生成AI。彗星すいせいのごとく現れては、急速に人々の生活に定着し始めている人工知能。スイも今年に入ってから、プライベートでも、時々仕事でも、AIを使うようになった。

マーフは、ふむ、と手を顎に当てた。

「なるほど。アンドレア班は地球に生成AIが普及するタイミングを、ターニングポイントの1つと判断した訳だな。人間の情報処理能力をはるかに超える存在の登場。確かにブラックホールを神格化するには相性が良いかもしれない」

「マーフ、どうする。何か対策を打つ必要がありそうだぜ」

「生成AIの普及を止めることはできないだろう。地球人はサボり上手だから、便利なものがあれば、多少苦労してでもそれを実現させようとする根気がある。矛盾しているようだがな」

その後のジョンの調査によると、今日影響があったのは町谷区の住民に限られたようだった。アンドレアはまずテストとして、町谷区のネットワークに限定してこの仕掛けに出たようだ。


スイは急に、手元のスマートフォンが怖いものに思えてきた。緊張で息を呑みつつ、2人に話しかける。

「何か、対策はないのかな?」

マーフは顔を向けると、正面にある顔を指差した。

「策は、ある。スイだ」

「ふぇ?」」

不意の指名に、スイは間抜けな声を出してしまった。

「質問。スイも町谷区民だ。他の区民と同じようにスマホを使い、AIに意識的、あるいは無意識に触れているのに、思想に影響を受けていない。何故だか分かるか」

「あ…そういえば確かに…」

マーフは、ピンと立てた指をそのまま頭に持って行った。

「スイの頭には、既に私たちと話した内容がインプットされていたからだ。だからブラックホールに繋がる情報が出てきても、それを自分の価値判断の天びんにかけることが出来ているのだ。地球人のよくあるミスとして、生成AIを自分の脳の代わりのように扱い、回答をすべて委ねてしまうことがあるが、本来はAIから出力された結果を自分なりに解釈し、受け入れても拒否しても良いのだ」

「じゃあ、皆がブラックホールの魅力を提案されても、主体的な判断ができるようになれば良いってこと?」

おそらくは、とマーフはうなずいた。

「愛や創造性を尊び、大切な誰かの笑顔を増やすこと。そのために未知の世界を知り、人の営みを豊かにするのだと考えることができるようになれば、地球人は、漆黒の神よりもずっと良い文明を築くことができるだろう。スイに地球人としての意見を聞きたい。出来るだけ多くの人がそのような前向きな気持ちになりやすい、良いきっかけはあるだろうか?」


そう遠くない日程で、ということよね。

スイは、もう怖くなくなったスマホのカレンダーを確認した。実はマーフの話の途中から、スイには1つのアイデアが浮かんでいた。


地球人代表として。いや、もっと身の丈に合った立場で良い。

いち区役所職員として、区民の幸せを守らなければ。


「あるわ。たぶん、この日しかない。この件…私にプロデュースさせてください」

スイの脳内で、新しい五線譜が用意された。

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