2. 再会

「私を助けてくれた、ということで良いのよね?」

「まあ、あいつらといるよりは良い状況になったと思って貰えれば。うちは3食ベッドつき、休暇制度も充実して安全・安心だぜ」

「私、公務員だから副業できないんだけど」

「おっと、こいつは失礼」

ジョンは深々と頭を下げたが、本心かどうか分からない。


「ところで、ここは最寄りのコンビニ、エイトイレブンの従業員スペース…じゃないわよね?」

入った時から、何となく気づいていた。この昼の日光か室内灯か分からない、柔らかな白い光。壁から生えている謎の突起物。まったく静かな外の世界。

3歳の私を家まで送ってくれた動物の後ろ姿が、キツネのジョンに結びついていく。

「私、前にここに来たことがある」

スイはゆっくりと前に歩き出した。20年も前の記憶のはずなのに、当時のままのように思われた。

「確か、この先に窓があって…」

あった。左右に設置された丸窓。

スイは吸い寄せられるように、左側の窓辺に手をつき、それを確認した。


赤い光、白い光、そして青い光。

1つ1つは漆黒の空間上で孤立しているが、自分は確かに存在している、私は主役だ! という主張をスイに訴えかけているようだった。光の訴えは奥へ、奥へ目を凝らしてもどこまでも続いており、今まで見たなかで「永遠」の言葉が一番相応しい形式が広がっていた。スイの瞳は、3歳の頃と同じ輝きを反射していた。


下の方には、我らの母なる水の星が見えるだろうか。

スイが見下ろしてみると、今度は昔とは異なり、黒い鉄の塊のようなものが浮かんでいた。あれはいったい何だろうか。


「あれはISSだ」

コツコツと、靴を鳴らす音がした。

これは明らかに、ジョンのものではない。

「スイたちの国では”きぼう”という研究施設が内部に設けられているのを知っているか? この大きな建物、いや浮きものとでも言うべきか、この影に隠れておけば、あいつらの船に見つかることはないだろう」

その女性の声に、スイは無意識に懐かしさを感じた。


ISSとは、国際宇宙ステーションのこと。”きぼう”には確か、長期滞在中の日本人がいたのだったか。

それが現実であるならば、やはりここは…


「私、宇宙に来ちゃったんですね。それも、人生2回目の」

そう言ってスイが振り返る。

視線の先にいた、この船の船長、マーフはパチパチと拍手をおくった。

「ご明察。20年前のあの時から、身も頭も健やかに成長したようで何よりだ」

マーフはふっと口元を緩めた。


マーフはスイより少し背が高く、見た目はこれまた、スイの少し年上くらいに見えた。休みの日は雰囲気の良いレストランで、クラフトビールでも飲むのが似合いそうな美人だ。服装な先ほどのコマンダーと異なり、黒色をベースに、袖のところがオレンジ色のパーカーを着ている。

つまり、スイの記憶する20年前のマーフと、容姿がまったく変わっていない。

手ごろなクッションと飲み物(においをかいで見たが、おそらく飲める香りをしていた。一口なめてみたらチャイのようなスパイスが効いていて、中々悪くない)を手渡され、ひとまずその場に落ち着いた。スイ、マーフ、ジョンの3名はしばらく無言で、ずるずると飲み物をすすることにいそしんだ。


スイは意を決してカップを床に置くと、マーフとジョンを交互に見た。

「そろそろ、話を聞かせて貰える? 聞きたいことが山ほどあって、どこから始めようか整理がつかないけど…。まずは身の安全が優先なので、なぜ私はあのアンドレア? とラインハルト? というヘビに襲われたのかを知りたい」

ジョンもカップを床に置くと、悔しそうに肉球を握る。

「まったくだ。あいつら、俺たちがスイと接触しようとしているというのをどこかのデータソースから掴んだようで、横取りしようとしてきやがった。全然クールなやり方じゃないぜ」

湯気の香りを楽しんでいたマーフも、そっとカップを置いた。

「相手の戦力を削ぎ、自戦力を増やす、合理的ではあるな。だがその前に」

マーフはクッションの上で、体育座りをした。

「まずは、私たちの自己紹介をしようじゃないか」


「スイ、私たちは人類に見えるか? 正直に言っていいぞ」

「うーむ…外観は、どちらも地球で見覚えがあるものだと思う。貴方たちが変化の術、みたいなのを使っている可能性はあるけれど。マーフはおそらく地球で普通に暮らしていても馴染みそうで、ジョンは物珍しさに捕獲されて、実験施設に収容されそうに思う」

「正直でよろしい。星によって”普通”の基準は異なる」

「では、マーフとジョンは別の星から来たの?」

「この宇宙で生命体として活動できることは珍しくない。ジョンはもちろん、先ほどのアンドレアやラインハルトを含め、地球人と同じ仲間だと思ってもらえたら嬉しい。ただ地球人の歴史がまだ始まったばかりで、同じ時代に仲間を見つけていられないに過ぎない」

マーフは世間話でもしているかのように、スイに語り始めた。


「私とジョンの旅の目的は、私たちの文明が築いた知識や技術を、次の文明に継承し、発展させること。私はこの天の川銀河の特使として任命され、太陽系の地球と呼ばれる惑星に、水と生命が誕生したことを発見した。地球に誕生したものが生命を謳歌おうかし、好奇心のままに自分の決めたことに没頭して、誰かの幸せを願う。私はそのような星として発展するために、特使としてこの身を捧げて尽力したい」


ジョンがチャイ風ドリンクのおかわりを注いで来ると、マーフは有難うと言って受け取る。

「アンドレア班も二人組だったけど、貴方たちはペアで行動するものなの?」

スイが質問すると、マーフはカップを口に近づけながら、「何名いても良いが、スタートは2人と決まっている」と答えた。

「アンドレアとラインハルトも天の川銀河の特使?」

「それが、ちょっとややこしくてな」

マーフは唐辛子の当たりを引いたように、苦々しく口元をゆがめた。

「あの班は別の銀河担当なのだが、最近こちらに、”ちょっかい”を出してくるようになった」

「何それ、本務をサボってそんな事するなんてヒドいね」

「サボっているのは、私のほうかもしれない」

「え?」

マーフは近くに転がっている端末をたぐり寄せると、細長い指でいくつかの操作をした。すぐに端末から、3Dのホログラム画像がスイの目の前に表示された。


そこに映し出されたのは、汚れ1つもない、深い、深い漆黒の球。


その周辺では輪郭のぼけた白い光が、今にも燃え上がりそうに発色している。漆黒の中心をのぞこうとすると、イメージ画像のはずなのに飲み込まれそうな感覚になり、スイはクラっと視界に違和感を覚えた。

「地球で作られたイメージ画像ではなく、実物の記録映像を見るのは初めてだろう。これが、光をも飲み込む宇宙の穴だ」


ブラックホール。地球人の目には強烈すぎる。

「これが、特使の任務と関係があるの?」

まだ少し胸がドキドキするのを感じながら、スイはたずねた。チャイ風ドリンクを一口飲むと、ドキドキがスパイスに相殺されて少し落ち着いた。

いかにも、とマーフはうなずいた。

「今、ブラックホールの周辺に、白い光が見えたか? ブラックホールはあらゆるものを吸収するが、一瞬で全部を飲み込む訳ではないのだ。遠くから徐々に、円を描きながら内側に取り込んでいく」

マーフは漆黒の球の外側を指さすと、その指を円周に沿うように、くるくると回した。

「そして、その移動の道中では、大量のエネルギーが生まれる。このエネルギーがあれば、火力発電所も、原子力発電所も全く不要で、光速ワープができる宇宙船を数十万年動かせるほどの動力を得られる」


エネルギー問題。地球人の多くが課題と認識し、そして見ないことにしている話題。

ブラックホールの周辺からエネルギーを採取することができれば、この問題を気にすることなく、おそらく善悪の判断もないままに、あらゆることを実行することができる。


つまり、とスイはマーフに答え合わせを求めた。

「貴方たちの文明は、遠い将来にいつか、その漆黒の中へ吸収されることを知りながらも、ブラックホールの軌道に乗ることを選んだのね」

マーフは、悲しそうに目を伏せた。どんなに説得しても耳を貸さずに戦場へ旅立ってしまった、愛する友を見送る時のように。

「ブラックホールに手を出せば、必ず逃げられない。自分たちはブラックホールに取り込まれるという事実を知った文明は、それが遠い遠い将来のことだとしても、死と残り時間に追われ続け、それが恐怖心の波となり、生産性と機械化の海に溺れる」

マーフは、手元にあるカップの縁をそっとなぞった。

「星空を見上げた時の感動や、休日のクラフトビールが美味しいといった喜びを忘れる。手を出した時点で、暗い穴の底に思想が取り込まれてしまうのだ。私は、地球に同じ運命をたどらせたくない」

スイは、マーフの故郷の空を思い浮かべた。そこにはいつも、ぽっかりと黒い穴が空いているのかもしれなかった。


アイザック・ニュートンを知っているか、とマーフはスイに訊ねた。スイは首を縦に振る。

「リンゴの落ちる様子から、万有引力の発見をした人だよね」

「あれは、アンドレアが当時、ニュートンに入れ知恵をしたのだ」

「ええ?!」

マーフは立ち上がると、お尻に敷いていたクッションを両手に掲げ、おもむろに手を離した。

クッションは垂直に落下して地面に衝突すると、ぽすん、と間の抜けた音を立てた。

「ここは宇宙空間だが、船内には地球の言葉でいう適度な万有引力、つまり重力を持たせてある。その方が生活に不便がないし、骨や筋肉も退化しないからな。地球人はこのエネルギーに、gravity(重力)という名前を与え、重力こそ世界の真理であるかのような考えに縛りつけられた。ブラックホールは強大な重力の巣だ。将来、地球人がブラックホールに魅了されるように、アンドレアに誘導された訳だ」

重力にそんな秘密があるとは。というか、マーフやアンドレアはいったい何歳なのだろう。スイは、マーフの肌ツヤの秘密も知りたいものだと呑気に考えた。


マーフの目はしかし、床に転がるクッションの方ではなく、落ちる直前に位置していた空中のあたりを見ていた。

「だがな。私は、宇宙の本質は”重たい力”の方ではないと思っている。重力が発生した時、それと同じだけ、反対側のエネルギーが発生しているのだ」

マーフは、右手で地面の方を指しつつ、それと対をなすように、左手で天井の方を指した。

「重力はすべてを飲み込むことしか出来ないが、この反対側の力は、重力を打ち消すこともできるし、空を飛ぶ浮力にもなるし、あらゆる用途がある。私がこのエネルギーを発見し、応用する研究を始めた時、これに”自遊子(じゆうし)”という名前をつけた」


自遊子じゆうし…なんだか、旅人のような名前だね」

「私はアンドレアより先に、自遊子の存在を、ある地球人に教えたことがあった。そやつは当時、地球で一番の天才だったのだが…」

マーフは脳内で当時の回想をしているようで、フッと口元を緩めた。

「あのレオナルド・ダ・ヴィンチという男、私の説明を理解しながら、その研究を世に広めることをせず、いつも絵を描いてはニコニコと私に見せてきた。これが地球人の目に見えない自遊子を具現化した形だ、などと、嘘か誠か分からないことを言ってな。計画は失敗したが、あいつの絵は素晴らしかった」

またしても出てきたビッグネームに、スイはチャイ風ドリンクを吹きそうになった。改めてまじまじと、マーフの顔をのぞき込む。横顔がモナリザに少し似てなくも…ない?

「なんだ、私は今、変な顔をしていたか?」

「いえいえ、めっそうもございません」

ゴホン、とマーフは、これ以上の追及を避けたいかのような咳払いをした。

「今のは一例だが、ここのところ、マーフ班とアンドレア班は小競り合いが続いている。この時代に滞在しているのも、相手方が何か仕掛けてきそうな動きを察知したことが発端だ。相手の作戦を見抜き、地球の文明が暗闇に取り込まれないよう回避するのが今回の目標だ」

船長としての威厳ある口調に、スイは思わず、ラジャーと敬礼しそうになった。


…上げかけていた手をおそるおそる降ろすと、今までのお喋りについてに落ちない点に気づいた。

「あのう…どうして私は、こんな神々の争いのような話を聞かされたのでしょう?」

「うん? ジョンからまだ説明を受けてなかったか?」

質問返しをされてスイが硬直していると、ジョンがそろりそろりと、遅くなってすいませんねえ、と2人の間に入ってきた。

「故郷の掟で、宇宙船の存在を知ったものは、クルーとして迎え入れるか、”処分”しないといけない決まりなんだ。20年前にスイが迷いこんでしまった時、君はまだ幼かったから、マーフと相談して、大人になるまで判断を保留することにしたのさ」

いかにも、とマーフが続きを引き取る。

「今はアンドレア班の対応中のため落ち着かないが、本件が片付いたら、今後の処遇については改めて話す。私たちの長い自己紹介はそういう理由だ」

数秒、時間が止まった。

マーフは表情を変えないまま、顔の前で右手を軽くグーの形に握ると、「ごめんねこ」とつぶやいた。

「…なんてことだ」

スイは驚愕して、膝から崩れ落ちた。

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