#三
取調室は、思いのほか明るかった。
白い壁、白い机、白い椅子。それぞれが無機質な光を反射している。
先に座っていた管理官は中年の女性で、穏やかな表情をしていた。
「清掃員第三一二号、本名・カワイ=サトル」
彼女は端末を操作しながら言った。
「あなたは収束観測犯となりました。」
言葉は静かだったが、重かった。
収束観測犯。観測によって確率を収束させてしまう犯罪行為だ。
殺人者ではない。
だが、この社会においては、それ以上の罪だ。
私の手は震えていた。気づかれないように、膝の上で拳を握る。だが、管理官は当然すべてを見ている。この部屋のどこかにセンサーがあり、私の心拍数も体温も、すべて記録されているはずだ。
「私は、ただ……そこにいただけです」
私は言った。
「見ようとしたわけじゃない。たまたま、目が合って……」
「観測とは、意思ではありません」
管理官は即座に答えた。
「見たという事実。それで十分です。あなたの意図は関係ありません」
彼女は画面を操作し、私に見せた。
そこには、私の一日の行動ログが表示されていた。
起床時刻:06:15:03
朝食の内容:トースト、コーヒー(砂糖なし)、ヨーグルト
出勤ルート:第七幹線経由
信号の待ち時間:合計47秒
歩行速度:平均時速4.2キロメートル
心拍数:平均62bpm
すべてが記録されていた。
私の一日が、数字とグラフに還元されていた。
「あなたの生活行動ログから、本日の配置は想定範囲内でした」
私は、その言葉の意味を考えた。
「……想定範囲内、とは?」
「あなたが今日、あの現場に到着する確率は、87.3パーセントでした」
管理官は淡々と続けた。
「最適化された経路提案。信号の調整。配送時刻の変更。すべて、あなたをあの時刻、あの場所に導くための調整です」
血の気が引いた。
画面には、さらに詳細なデータが表示されている。過去三ヶ月間の私の行動パターン。よく通るルート。休憩を取る時刻。コーヒーを飲む頻度。すべてが分析され、予測されていた。
「……事故じゃないんですか」
「事故とは、結果に基づいて付けられる名称でしかありません。」
管理官は穏やかに言う。
「現在、観測員は不足しています。養成には時間がかかります。しかし、未確定事象は日々発生します。放置すれば、因果は不安定になり、社会不安を招きます」
「だから、私を……」
「あなただけではありません」
彼女は言った。
「清掃員は、最も適した候補です。死を見ることに慣れている。精神的耐性がある。そして、日常的に現場に近い場所にいる」
私は、椅子にもたれた。
すべてが、仕組まれていた。
今朝の親切な端末。
最適化された経路。
早く着きすぎた現場。
規制線のない事故現場。
観測ドローンの不在。
すべてが、計算されていた。
「処分は再配置です」
管理官は続けた。
「今後あなたは、観測補助員として仮登録されます。そして、地下施設での勤務に異動となります。待遇は向上し、住居も提供されます」
罰ではない。
昇格ですらある口調だった。
「……拒否できますか?」
「拒否は可能です」
彼女は即答した。
「その場合、観測犯としての記録が残ります。再就職は困難です。監視対象として登録され、行動範囲が制限されます」
つまり、選択肢はない。
「いつから、ですか」
私は訊いた。
「いつから、私は候補だったんですか」
管理官は少し考えてから、答えた。
「清掃員に応募した時点で、です」
その言葉は、すべてを説明していた。私が清掃員になろうと思ったのは、三年前だった。当時、私は別の仕事をしていた。だが、何かが合わなかった。そして、ある日、端末に求人広告が表示された。「清掃員募集。高待遇。精神的安定性重視。」応募した。面接は短かった。適性検査を受け、すぐに合格した。
すべて、誘導されていたのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます