#二
地下五階。
観測局は、都市の中心から少し外れた場所にある。
表向きの名称は「未来統計補助センター」。
だが内部の人間は、短く「観測」と呼んでいた。
入館ゲートをくぐると、端末が私の精神状態を再確認する。
――観測補助員 第四七号
本日の認知揺らぎ:基準内
ロッカーで制服に着替える。
色は地味な灰色。個性を示す要素はない。
個性は、管理が難しい。
ロッカー室には他に二人いた。第十九号と第六二号。彼らとは三年間、毎日顔を合わせているが、名前は知らない。必要がないからだ。
「おはよう」と第六二号が言った。
「おはよう」と私は返した。
それ以上の会話はない。それで十分だった。
廊下を歩きながら、私は壁に掲示されたポスターを見る。
『観測は社会の基盤です』
『あなたの目が、未来を確定します』
『不安のない明日のために』
言葉は美しいが、具体的な意味は曖昧だ。それが適切だとされている。明確すぎる言葉は、疑問を生む。
観測室は、いつ来ても同じだった。
窓のない部屋。
椅子と端末と、ヘッドギア。
私の仕事は単純だ。
端末に表示される未来事象を、ただ「見る」。
それだけで、事象は確定する。
未来予測装置は、すでに完成されている。
膨大なデータと確率計算によって、ほぼすべての未来は算出可能だ。
だが、確率はあくまで可能性でしかない。
誰かが観測するまで、それは現実ではない。
だから観測補助員が必要だった。
研修で講師が言っていた言葉を思い出す。
「皆さんは判断者ではありません。確率を潰す装置です」
装置。
その言葉に、当時は何も感じなかった。だが今、なぜか妙な違和感がある。
私は装置なのか?
考えるのをやめる。
最初の案件。
――事象番号 3,821,445
発生確率 97.3%
内容:交通事故
観測要請:承認
ヘッドギアを装着する。
映像は鮮明だが、感情は伴わない。
雨の夜。
自転車が転倒し、後続車が止まれない。
私はただ見る。
映像の中で、自転車に乗っているのは若い女性だった。彼女の顔は見えない。重要ではないからだ。重要なのは「交通事故が発生する」という事象だけ。
彼女は転倒する。
後続車のヘッドライトが彼女を照らす。
ブレーキ音。
映像が途切れる。
通知音。
――確定
次。
次。
次。
死も破壊も、映像としては似たようなものだ。
重要なのは、私がそれを見たという記録だけ。
午前中に十七件を処理した。交通事故が五件、突発的疾病が三件、建物の構造的不具合が二件、その他が七件。すべて高確率事象。すべて「確定」された。
確定とは何を意味するのか?
その事象が現実に起こるということか?
それとも、起こらないことが確定するのか?
研修では明確な説明はなかった。「観測すれば確定する。それで十分です」と講師は言った。
私たちは結果を知らされない。知る必要がないからだ。
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