観測者効果

鳴貍

第一編 : 観測補助員第四七号

#一

朝はいつも、通知音から始まる。


枕元の端末が短く震え、今日の適正値を告げる。


心拍、睡眠効率、夢の内容。問題なし。


社会適応度は七四。平均より少し上だ。


天井に埋め込まれたスクリーンが、半透明の光を落とす。


――本日も安定した一日が予測されています


それを聞くと、なぜか少し安心する。


不安を感じないことが、良い市民の条件だった。


洗面所の鏡に映る自分の顔は、昨日と同じだ。


少なくとも、そう表示されている。


歯を磨きながら、私はふと思う。


もしここに映っているのが「推奨された私」だったら、どうなるのだろう。


考えるのをやめる。


端末が思考傾向の上昇を検知する前に。


窓から見える街並みは、完璧な幾何学だった。建物の配置、街路樹の間隔、歩道の幅。すべてが計算されている。この部屋に住んで三年になるが、一度も窓からゴミが見えたことはない。風で散らばる前に、清掃システムが回収するからだ。


朝食は合成栄養食。味は可もなく不可もない。それが適切だとされている。強すぎる嗜好は、依存を生む。依存は、予測を困難にする。


食事中、端末が今日のルートを表示した。自宅から駅まで徒歩七分。最適歩行速度は毎秒一・二メートル。途中、第三交差点で信号待ち三秒。すべて事前に算出されている。


私は考える。もし今日、違うルートを選んだら?


だがすぐに気づく。違うルートを選ぶ可能性も、すでに計算されているのだと。そしてその可能性が十分に低いからこそ、このルートが表示されているのだと。


外に出ると、街は静かに動いていた。


人々は歩き、立ち止まり、話し、すべてが滑らかだ。


監視カメラは目立たない。


街灯に溶け込み、看板に偽装され、建物の縁に埋め込まれている。


だが誰も気にしていない。


監視は治安ではなく、最適化のためにある。


横断歩道に立つと、信号が一瞬早く青に変わる。


私の歩行速度と今日の適正運動量を考慮した結果だ。


バスに乗ると、空いている席が自然と空く。


私と相性の悪い人間は、別の車両に誘導されている。


不快な会話も、偶然の衝突もない。


それがこの社会の誇りだった。


車窓から見える景色は、いつも同じだ。いや、厳密には日々わずかに変化している。看板の内容、歩いている人々、駐車している車。だが変化は常に「適切な範囲内」に収まっている。過度な変化は不安を生むから。


隣の席に座っている老人は、静かに端末を見つめている。何を見ているのかはわからない。プライバシーフィルターが掛かっているからだ。だが彼の表情は穏やかだ。不安の兆候はない。


私は自分の端末を確認する。今日の業務予定。観測案件数は平均的。特記事項なし。


特記事項なし。


その言葉が、なぜか引っかかった。


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