第8話:確かめなかったこと

その日は、朝から少し曇っていた。


雨が降るほどではない。

傘を持つかどうかで迷うほどでもない。

私は何も考えずに家を出た。


駅までの道は、二つある。

いつもと同じことだ。

どちらを選んでも、到着時間は大きく変わらない。

私は歩きながら、自然に片方へ向かった。


選んだ、という感覚はなかった。


ホームに着くと、彼女がいた。

先に来ていたのか、たまたま同時だったのかは分からない。

分からないままで、問題はなかった。


「おはよう」


「おはよう」


それだけだった。


電車が来るまでの時間、

私たちは並んで立っていた。

近すぎず、遠すぎない距離。

それを測ろうとする動きは、

どちらからも出なかった。


電車に乗る。

立つ位置も、いつも通りだ。

揺れに合わせて、体がわずかに動く。

吊り革を握る指の力を、

強めたり緩めたりする。


彼女は窓の外を見ていた。

私は広告を見ていた。

どちらも、相手の視線を追わない。


仕事が終わり、

改札を抜ける。


「今日は、どうする?」


彼女が言った。

声は軽い。

何かを試すような響きはない。


「任せる」


私はそう答えた。

特別な意味は込めなかった。

実際、どちらでもよかった。


彼女は一瞬だけ考えて、

歩き出す。


私は、それに続いた。


途中で、

遠回りになっていることに気づく。

でも、引き返さない。

彼女も、説明しない。


歩く速度が、

少しだけ揃っていく。

合わせようとした覚えはない。

気づいたら、そうなっていた。


話したのは、

昼間の出来事と、

明日の予定のこと。

どれも、今すぐ決めなくていい内容だった。


分かれ道に着く。


今日は、立ち止まらない。

どちらからも、

迷う素振りは出なかった。


「じゃあ、また」


「また」


それで終わる。


家に着いてから、

私は一度だけ、

今日のことを思い返した。


何かを確かめた記憶はない。

確かめなかったことを、

意識した場面もない。


それでも、

何も問題は起きていない。


確認しないまま、

一日が終わった。

それが特別だとは、

思わなかった。


ただ、

そういう日が、

増えてきただけだった。

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