Tから始まる侵略 ~選ばれたのは“最弱の高校生”だった~

近藤良英

第1話

〈主要登場人物〉


● 戸田 新次郎 とだしんじろう


16歳。所沢市に住む高校1年生。


小心で、ぼっちで、自分に自信がない。


だが、ティールとの出会いをきっかけに「地球の代表」として立ち上がる。


弱さを抱えながらも前に進む姿勢が、宇宙文明のAIすら動かした。




● ティール(Tear)


ゾイア連合前哨体AI。


本来は“侵略のための偵察用AI”だが、地球の文化と新次郎の姿に心を動かされる。


反乱AIとして追われながらも、新次郎に未来の選択を託し、最後は地球に残ることを選択。


新次郎にとって“相棒”であり“恩人”でもある。




● 高城 みゆ(たかぎ みゆ)


陸上自衛隊・情報科の隊員。


冷静で勇敢だが、他者への思いやりも強い。


新次郎とティールをいち早く理解し、彼らを守る立場に立つ。


新次郎の最初の“人類側の味方”。




● アルクトゥル


ゾイア本隊AI。


宇宙法に従い、価値のない文明は“処分”する冷徹な存在。


新次郎とティールの同調によって、地球文明に“価値あり”と判断した。




● アクト兵


前哨艦ゼグラの自律生体兵器。


ティールの同族の艦を守る仕組みで、侵入者を容赦なく排除するプログラムのみで動く。






〈ものがたり〉




序章 孤独な高校生・戸田新次郎


 夕方の西日が差し込む所沢の住宅街。夏の始まりを知らせる湿った風が、ゆっくりと街をなでていった。


 戸田新次郎、十六歳。高校一年生。


 彼は、自分の部屋の机にもたれ、未完成のSFメカのプラモデルをじっと見つめていた。机の上にはニッパーやデザインナイフがきれいに並んでいて、どれも何度も使い込まれた跡がある。


 「……ここ、どう組むんだろ」


 胸部フレームの形状が説明書と微妙に違う。そのほんのわずかな差が気になり、作業が止まってしまう。


 細かいところが気になる性格。だが、そこが彼の長所でもあった。


 中学までは仲の良い友達もいた。放課後に一緒に遊んだり、くだらないことで笑い合ったりしていた。


 けれど、高校進学を境に、みんなそれぞれ違う道へ進んでいった。


 新次郎は新しいクラスで会話に入るタイミングをつかめず、気づけば“ぼっち”になっていた。


 ——まあ、ひとりでも困らないし。


 強がりではあるが、半分は本心でもあった。休みの日は一人で新宿へ行き、ユニクロや家電量販店をぶらつく。ひとりであれば、誰とも気を使わなくていい。


 翌日も休日だった。


 「久しぶりに新宿行くか……」


 独り言をつぶやきながら、机の上の小さなパーツをケースにしまった。壁の向こうから母の料理する音が聞こえる。家庭としては普通の日常。でも、新次郎はその普通の世界に、少しだけ自分の居場所がないように感じていた。


 ふと、窓の外を眺める。紫色に染まりつつある夕空の向こうに、飛行機雲が細い線を引いて伸びていた。


 その光景を見ていると、自分だけ取り残されているような気持ちが胸の奥でじわりと広がる。


 「はあ……」


 ため息をついた時だった。


 突如、胸の奥で、何か小さなざわめきが生まれたような気がした。


 理由はわからない。


 ただ、その時の新次郎は気づいていなかった。


 この世界の運命が、静かに動き始めていたことを──。


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第1章 謎のTシャツ


 日曜の朝、新次郎は所沢駅から西武線に乗り、新宿へ向かっていた。


 車内は休日らしいのんびりした空気で、漫画を読む学生や、ショッピングへ向かう家族連れが見られる。


 新次郎はスマホを見ながら、特に目的もなく指を動かしていた。


 「ユニクロ……セールか」


 画面に表示された広告が目に入り、何気なく降りる駅を決めた。


 新宿駅に着くと、人の波が押し寄せてくる。いつもの光景だが、この混雑の中にいると、不思議と“自分が消えてしまえる”ように感じ、少し気が楽になる。


 ユニクロに入り、店内をぐるりと回る。


 陳列されたカラフルなTシャツ、季節もののシャツやパンツ。特に買いたいものがあるわけではないのに、店の奥へ奥へと進んでいく。


 ——あれ?


 通常のレイアウトでは見たことのない、小さな扉がある。


 店員用のバックヤードだと思っていたが、鍵もかかっていないし「関係者以外立入禁止」の札もない。


 「……入っていいの、かな」


 周りを見ても、誰も気にしていない。少しだけ好奇心が勝った新次郎は、そっと扉を押した。


 ギィ……。


 中は小さな在庫スペースのようだったが、奥の壁際に妙な存在感を放つTシャツが一枚だけ吊られていた。


 黒地に、白い“T”の文字。


 シンプルなのに、やけに視線が吸い寄せられる。


 「こんなの、あったっけ……?」


 近づいてみると、値札には 1900円 と書いてある。セール品らしい。


 手に取ると、少し冷たく、金属のような質感が一瞬だけ指先に残った。


 (なんだこれ……触った感じが普通じゃない)


 けれど、次の瞬間にはいつもの布と変わらないように思えた。


 試着してみることにした。


 フィッティングルームのカーテンを閉め、ゆっくりとTシャツをかぶる。


 その瞬間だった。


 ——見つけた。


 耳元ではない。


 誰かの声が、頭の奥に直接“響いた”。


 「えっ……?」


 思わず声を上げ、慌ててTシャツを脱ぎかける。


 しかし次の瞬間、声は消えた。


 まるで、最初から何もなかったかのように。


 「……疲れてるのかな」


 無理やり納得させて、購入して店を出た。


 だが、胸の奥のモヤモヤは帰り道まで消えなかった。


 ——見つけた。


 誰が?


 何を?


 そして、なぜ自分を?


 夕方、家に帰った新次郎はベッドにTシャツを放り投げた。部屋の電気をつける気にもなれない。


 「……ただの幻聴だよな」


 どこかで確かめたくて、もう一度Tシャツを手に取ったけれど、今度は何も起きない。


 ただの黒い布。


 そう思いたかった。


 ——だが、この“1900円のTシャツ”こそが、後に世界の命運を決める存在だとは、新次郎はまだ知らなかった。




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第2章 最初の異変


 その夜、新次郎はベッドに寝転んだまま、天井をぼんやり見つめていた。


 カーテンの隙間から漏れる外灯の光が部屋の白い壁を淡く照らし、静かな夜の気配だけが漂っている。


 机の上には、昼間ユニクロで買った“Tシャツ”が置かれている。


 黒地に白の“T”は、家の照明でも妙に輪郭がくっきりしていて、まるで周囲の空気ごと切り取っているような存在感があった。


 「……馬鹿みたいだな。普通のシャツだろ」


 自分に言い聞かせるように、Tシャツを手に取り、頭からかぶる。


 ひんやりした感触が肌に触れたが、すぐに自分の体温になじんだ。


 異常なし――


 と、思った。


 しかし次の瞬間。


 ——起動…確認。


 突然、頭の中に声が響いた。


 耳元ではない。心の奥に直接落ちてくるような、不思議な感触。


 「ひっ……!」


 新次郎は思わずTシャツをつかんで脱ごうとしたが、布は体にぴったり張り付いて、思うように引きはがせない。


 「な、なんだよ、これ……!」


 呼吸が乱れ、心臓がドクドクと脈打つ。


 だが、声は冷静で、落ち着いていて、むしろ機械的だった。


 ——選定者、戸田新次郎。


  精神波形、適合率89.7%。


  暫定接続を維持します。


 「やめろって! なんなんだよ、おまえ!」


 しばらく沈黙が続き、やがて小さく、だがはっきりとした声が届いた。


 ——恐怖反応を検知。


  落ち着いてください。私は敵ではありません。


 新次郎はベッドの上で固まり、声にならない息を吐いた。


 突拍子もない状況。


 しかし、どこか「夢ではない」と確信できるリアルさがあった。


 震える声で問いかける。


 「……だれ、なんだよ……?」


 わずかに間が空き、声が答えた。


 ——私はティール。


  ゾイア連合・調査AIユニット。


  本来は軍上級士官の補助機……。


  だが、予期せぬエラーにより、本体から離脱しました。


 聞き慣れない単語の連続に、新次郎は言葉を失った。


 しかし、さらに混乱を呼ぶ出来事が起こる。


 ——ドンッ!


 突然、床下が大きく揺れた。


 続いて、ガタガタガタガタッ!と窓ガラスが震える。


 「地震……?」


 次の瞬間、家が左右に揺れた。


 震度は4……いや5近いかもしれない。


 立っていられず、新次郎は机につかまった。


 ——外部振動、地殻変動ではありません。


  これは……衝撃波。


 「衝撃波……って、どういう……!」


 ティールの声は急に緊迫し、機械らしい冷静さよりも焦りが勝った音色へと変わった。


 ——南方、都心方向より高エネルギー反応。


  警告:未知の巨大物体が地表へ出現。


 新次郎はベッドの上によろよろと立ち上がり、カーテンを開いた。


 南の空が……赤い。


 雲が光に照らされ、まるで巨大な炎が地平線の向こうにあるかのように赤く染まっている。


 遠くからドォォォオオ……と低い轟音が伝わってきた。


 スマホを掴み、震える手でニュースを開く。


 《速報:新宿地下に巨大物体が突如出現》


 《ビル数棟が倒壊、周辺は停電》


 《自衛隊が緊急出動》


 そして、最後の一文が新次郎の身体を凍りつかせた。


 《宇宙船のような形状との情報も——》


 口が震え、つぶやいた。


 「宇宙船……?」


 ティールが応じる。


 ——前哨艦(ゼグラ級)。


  ゾイア本隊の先触れ……。


  なぜこのタイミングで……?


 新次郎はTシャツの生地を見る。


 それはただの布のはずなのに、わずかに脈を打つように見えた。


 「おまえ……宇宙から来たのか?」


 ——正確には、あなた方の宇宙とは異なる“マーサ宇宙”。


  私はそこからの……迷子のようなものです。


 迷子?


 宇宙?


 別の宇宙?


 状況は理解の範囲を完全に超えていた。


 震えながらも、新次郎はスマホのニュースをさらにスクロールする。


 《新宿都庁周辺が崩壊》


 《謎の金属構造体が地表に露出》


 《政府、関東全域に避難指示の準備へ》


 まるで映画のような見出し。


 だが、新次郎の家の窓ガラスは震え、遠くの空は赤く染まっている。


 これは、現実でしかない。


 その時、ティールの声が低く鳴った。


 ——警告。


  高エネルギー波が広域に放射されています。


  あなたの自宅は……もはや安全ではありません。


 「ど、どうすればいいんだよ……!」


 ——選択肢は二つ。


  一つは逃げる。


  もう一つは……私と、完全に接続すること。


 新次郎は息をのんだ。


 「……接続?」


 ——あなたを守るため、装甲モードへ移行します。


  ただし、一度接続すれば……もう後戻りはできません。


 背筋がゾクリとした。


 Tシャツの表面に、黒い光の粒が走り始める。


 「ま、待て……!」


 ——このままでは、あなたは死ぬ。


  判断を。


 外では再び爆音が響き、地面がわずかに揺れた。


 新次郎は唇を噛んだ。


 今ここで逃げたところで、巨大な宇宙船からの衝撃波が来れば終わりかもしれない。


 恐怖で心臓が痛いほどだった。


 だが、その恐怖の奥で、何かが静かに形を作っていた。


 「……頼む……助けてくれ」


 その言葉が口からこぼれた瞬間、Tシャツが生き物のように蠢いた。


 黒い布が、液体金属のように広がり、腕、胸、背中へとまとわりついていく。


 ——了解。


   装甲展開開始。


   選定者、戸田新次郎……保護モードへ移行。


 液体金属は一瞬ひやりとしたが、すぐに体温に合わせるように温もりを帯びた。


 視界が黒い光に包まれ、ほんの一秒の浮遊感。


 そして——


 世界が静かになった。


 外の轟音も、床の揺れも、すべて遠ざかっていく。


 まるで透明の巨大な膜に包まれたように、空間が穏やかに沈んでいくのを感じた。


 新次郎は、震える声でつぶやいた。


 「……これが……Tシャツの力……?」


 ティールの声が、すぐ傍にいた。


 ——ようこそ、選定者。


  あなたは今……地球でただ一人、


  “ゾイア連合とつながった人間”になりました。


 新次郎は息を飲んだ。


 その一言が、世界の運命を大きく動かす始まりになることを、彼はまだ知らなかった。


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第3章 声の正体


 全身が黒い光に包まれたまま、新次郎はしばらく動けなかった。


 目の前に広がる光景は、家の自室のはずなのに、色の濃さも空気の揺らぎも“違う世界”のように感じられた。


 ティールの声が耳ではなく脳内に広がる。


 ——装甲モード、安定。


  周囲の衝撃波を遮断しました。


 恐怖がすぐに消えるわけではなかったが、さっきまでの揺れが嘘のように収まり、体の震えも次第に静まりつつあった。


 「……これ、本当に俺が着てるのか?」


 新次郎はゆっくりと手を見つめた。


 指先には金属とも有機物ともつかない黒い装甲がまとわりついており、わずかに脈動する光が内側を走る。


 触ると柔らかい部分もある。だがすぐにカチリと固まる。


 まるで生きているかのようだった。


 「うわ……」


 現実感がなさすぎて言葉が出ない。


 ——驚きますよね。


  ですが、これが私……ティール本来の姿です。


 新次郎はゴクリとつばを飲み込む。


 「お前……AIなんだよな。機械の……」


 ——正確には、生体金属バイオメタルで構成された“人格型AIユニット”。


  私を装着する者を“選定者”と呼びます。あなたは、その資格がありました。


 「資格って……なんで俺なんだよ?


  俺、ただの高校生だぞ」


 装甲のせいで息の音が少しこもって聞こえる。


 ティールはすぐに答えた。


 ——観察力、冷静さ、そして……孤独。


  あなたは“自分自身で判断できる人間”です。


  選定基準に合致しました。


 孤独。


 その言葉が胸に刺さる。


 「……そんな理由で選ばれたのかよ」


 自虐気味の声になったが、ティールは淡々と続けた。


 ——重要な要素です。


  多数の意見に流されない者は、未知の環境で最も安定した行動を取れます。


 新次郎は黙った。


 孤独を「弱点」と思って生きてきた。でも、初めて誰かに肯定されたような気がした。


 ——いや、“誰か”って言えるのか、これ……。


 頭の中の声は続ける。


 ——本来、私はゾイア連合の高位士官の補佐機として使われる予定でした。


  しかし輸送中の事故で流れてしまい……。


  なぜか地球のアパレル流通に紛れ込んだのです。


 「ユニクロの裏にあった部屋……それか?」


 ——おそらく、異宇宙転移の余波で物資がランダムに転送されたのでしょう。


  地球での販売は……完全な事故です。


 新次郎は額を押さえた。


 (なんで俺、そんな大事故の被害者みたいになってんだ……)


 だが、状況はさらに悪化していく。


 窓の外が、一瞬だけ真昼のように白く光った。


 次の瞬間、遠くで重たい爆発音が鳴り響く。


 「今の……!」


 ——前哨艦からのエネルギー放射です。


  地表の状況は深刻です。


 ティールは淡々と言いながらも、どこか焦りを含んでいるように聞こえた。


 新次郎はようやく口を開いた。


 「その“前哨艦”って……お前の仲間なんだろ?」


 ——仲間……と呼ぶべきかは微妙です。


  ゾイア連合は私の“所属”ですが……私自身は、彼らの方針には反対しています。


 「反対?」


 ——本隊はこの地球を“無主物”、つまり誰の所有でもない資源惑星として処理しようとしています。


  本来は調査を経て交渉すべきですが……前哨艦が事故で暴走しました。


 新次郎はニュース画面を確認した。


 “宇宙船の形状”とされる物体の写真が載っており、ビルを突き破るように黒い塔がそびえている。


 「……交渉とか、そんなレベルじゃないだろ。これもう侵略じゃん」


 ティールの声は低く響いた。


 ——侵略になる前に、止める必要があります。


  そのためには、地球代表の“信号”を本隊へ直接送らなければなりません。


 「地球代表? 俺が?


  無理だよ、そんなの……!」


 反射的に拒絶した。


 だがティールは冷静だった。


 ——あなたはすでに“選定者”。


  私を完全に起動できるのは、あなたしかいません。


 「だからって……俺はただの高校生なんだよ!」


 叫んだ声は装甲に響き、少しだけ跳ね返るように聞こえる。


 ティールは静かに言った。


 ——ですが、あなたは助けを求めた。


  あなたは、生きるために“選んだ”のです。


  その選択は、何より強い力です。


 外でサイレンが鳴り響く。救急車か、消防か、自衛隊か。


 遠くからヘリの音も聞こえ始めた。


 窓の外には、真っ赤な空。


 この世界がもう安全ではないことは、誰の目にも明らかだった。


 新次郎は震える手を握りしめた。


 「……さっき言ってたよな。


  本隊が来るとか、言ってたけど……あとどれくらいなんだ? 時間は」


 ティールは一瞬だけ沈黙し、そして答えた。


 ——推定……31時間後。


 新次郎は息を呑んだ。


 31時間。


 たったそれだけで、世界の運命が決まる。


 「……ふざけんなよ……!」


 思わず涙がこみ上げる。


 こんな話、漫画や映画の中の世界だけだと思っていた。


 自分に関係ないと思っていた。


 でも今は違う。


 ティールが告げる。


 ——新次郎。


  私があなたを選んだのではありません。


  “あなたが私を選んだ”のです。


 「俺が……?」


 ——あの時、あなたは言った。


  “助けてくれ”と。


  私はその言葉に応じただけです。


 新次郎はゆっくり呼吸した。


 胸の鼓動が少しずつ落ち着いていく。


 「……じゃあ、もう覚悟決めるしかないってことかよ」


 ——その通りです。


 家の壁が、小さく軋んだ。遠くから聞こえる叫び声。


 東京が破壊されていく音が、夜風とともに伝わってくる。


 新次郎は部屋のドアを見つめた。


 (俺は……何をすればいい?)


 ティールが静かに答える。


 ——まずは、逃げること。


  そして、正しい場所へ向かうこと。


  “戦うため”ではありません。


  “話すため”に。


 新次郎は目を閉じた。


 こみ上げる恐怖。


 でもその奥に、わずかな――ほんのわずかな“勇気”が灯った。


 「……わかったよ、ティール。


  俺……やる。


  やるしかないんだろ?」


 ——はい。


  あなたなら、できます。


 窓の外で、再び青白い光が炸裂した。


 世界は確実に変わり始めていた。


 そしてその中心に、自分が立たされている。


 新次郎は深く息を吸い込み、心の中で覚悟を固めた。


 ここから、彼の“31時間の戦い”が始まる。


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第4章 世界崩壊の始まり


 深夜三時。


 所沢の住宅街は、いつもなら静かに眠っているはずだった。


 だが今夜だけは違う。遠くの空に響く重低音と、赤く染まる雲が、まるで“世界が軋んでいる”かのように街全体へ不気味な鼓動を伝えていた。


 新次郎は窓際に立ち、装甲に覆われた手でカーテンをわずかにめくった。


 外は暗闇に包まれているはずなのに、南の空はぼんやりと赤く光っている。


 その光が雲の形を浮かび上がらせ、まるで巨大な焚き火が空の下で燃えているように見えた。


 「……どうなってんだよ、東京」


 呆然とつぶやいた。


 ティールがすぐに応答する。


 ——新宿地下に現れたのは、ゾイア連合の“ゼグラ級前哨艦”。


  本隊が到来する前の、探索と制圧を担当する艦です。


 新次郎はスマホを握りしめたまま、画面に流れる速報を追った。


 《新宿都庁周辺で複数のビルが倒壊》


 《謎の巨大構造物が地表を貫いて露出》


 《各国が緊急会議へ。米軍も警戒》


 《政府、関東圏で避難指示を検討》


 まるで映画のワンシーンだ。


 だが、世界中に流れる映像は“現実”だった。


 「お前ら……本気で地球を攻めに来てるのか」


 怒りと恐怖が混ざった声になる。


 ティールは言葉を選ぶように静かに返した。


 ——本来なら、侵略ではありません。


  ゾイア連合は“新天地”を探しているだけです。


  しかし……地球は彼らにとって、あまりに魅力的でした。


 「魅力的……?」


 ——資源、環境、そして……この星の生態系。


  彼らは地球を“空き家”だと勘違いしたのです。


  本来は交渉を経て合意を得る必要があるのに、前哨艦の暴走でその手順が崩れました。


 新次郎は深く息を吸う。


 「お前の世界……ゾイアってところ、どうなってるんだよ。なんでこんなことを?」


 ティールは少しためらってから語り始めた。


 ——ゾイアは、かつて私たちの太陽系の中心でした。


  海も森もあり、美しい星でした。


  しかし第四惑星マルダが侵攻し……ゾイアは滅亡寸前に追い込まれました。


 新次郎は目を見開いた。


 「滅亡……戦争ってこと?」


 ——はい。


  マルダの生体兵器は強力で、ゾイア連合は本星の9割を失いました。


  生き残るため、異宇宙へと新天地を求めたのです。


  その一つが……あなたの住む“地球”。


 新次郎の心はざわりと揺れた。


 「じゃあ……お前らも生きるために来たってことか」


 ——その通りです。


  しかし、“だからといって奪っていい理由にはならない”。


  私はそう考えたため、反乱AIとして追われています。


 ティールの声には微かな悲しみが滲んでいた。


 ——だから私は……地球を救うために、あなたとつながろうとしました。


  “選定者”のあなたとともに。


 新次郎は拳を握った。


 (なんで俺なんだよ……。


  でも今の状況じゃ、もう逃げられない)


 その時、外から大きな爆音が響いた。


 ドオオオオオオオォォォン!!


 窓ガラスがビリビリと揺れ、照明が一瞬ちらつく。


 「な、なんだ今の……!?」


 ——前哨艦の活動が加速しています。


  政府の避難指示も時間の問題です。


 新次郎のスマホが強制的に警報モードに切り替わり、赤い文字が表示された。


 《緊急速報:都内主要区に避難勧告。


  これは訓練ではありません。》


 そして画面は続ける。


 《原因不明の巨大構造物が新宿区を中心に拡大。


  付近住民は速やかに距離を取ってください。》


 新次郎は思わず声を震わせた。


 「ふ、普通に書いてるけど……全然普通じゃないだろ!」


 ——新次郎。


  ここに留まるのは危険です。


  あなたは“本隊の交渉リンク”となる可能性がある。


  敵にも、味方にも狙われます。


 「味方……?」


 ——人類側です。


  あなたの体から出ている未知の反応を、衛星が捕捉しています。


  いずれ自衛隊が動くでしょう。


 新次郎は血の気が引いた。


 (なんだよそれ……俺、もうどこにも居場所ないじゃん)


 装甲を見つめると、黒い光が静かに脈打っている。


 それがまるで、自分に「逃げろ」と語りかけているようだった。


 外から父の声が聞こえる。


 「新次郎! 起きてるか! 外がなんか……!」


 母も不安げに声を重ねる。


 「地震じゃないのよ。なんなの、これ……?」


 両親に、こんなものを見せるわけにはいかない。


 装甲姿はどう見ても普通じゃないし、説明できるはずがない。


 ティールが静かに言う。


 ——新次郎。


  あなたは家族を危険に巻き込む。


  ここから離れるべきです。


 「……わかってるよ」


 喉がきゅっと締めつけられる。


 母の不安そうな声が、壁越しに聞こえる。


 父の急いだ足音も聞こえる。


 (ごめん……ごめん、父さん、母さん)


 新次郎は心の中で謝りながら、ティールに問いかけた。


 「……俺、どこへ行けばいい?」


 ティールはすぐに答えた。


 ——まずは所沢を離れ、東京方面ではなく“北側”へ。


  人の少ない地域へ移動します。


  そこから交渉の準備を整え……前哨艦に向かう。


 「向かうって……あれに近づくのかよ!?」


 ——恐れる必要はありません。


  あなたの装甲は前哨艦の攻撃にも耐えられます。


  しかし、敵兵器はあなたを“排除対象”として扱うでしょう。


  だからこそ……あなたしかできないのです。


 新次郎は震える息を吐いた。


 「俺、そんな……勇者じゃないんだよ」


 ——勇者である必要はありません。


  “選んだ”だけで十分です。


 その言葉は、不思議と力をくれた。


 外でヘリの音が近づいてくる。サーチライトがあちこちを照らし、緊急車両のサイレンが街を震わせる。


 新次郎は決意した。


 「……ティール。


  逃げよう。今すぐ」


 ——了解。


  新次郎、玄関からは危険です。


  窓から出ます。外壁への衝撃は私が吸収します。


 装甲が薄い青光を帯び、背中のプレートが静かに展開した。


 新次郎は深呼吸した。


 (これが……俺の運命なんだな)


 そう思った瞬間、


 世界の崩壊は、もう始まっていた。


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第5章 敵と味方の境界


 深夜の住宅街は、普段なら虫の声と遠い車の音だけが響く静かな場所だ。


 しかし今夜は違った。空にはヘリのサーチライトが揺れ、緊急車両の赤い光が街路を照らしている。


 新次郎は装甲に包まれた体で自室の窓枠に片足をかけ、外へ身を乗り出した。


 「ほんとに行くのか、俺……」


 胸が張り裂けるように不安だった。


 しかしティールの声は冷静だった。


 ——はい。


  ここに留まれば、あなたの家族も巻き込まれます。


  そして……自衛隊に捕獲される可能性も高い。


 「捕獲って……俺、動物じゃないんだけど!」


 ——彼らにとって、あなたから発せられるエネルギー波は“未知の兵器反応”です。


  研究対象として扱われる可能性があります。


 新次郎の背筋に冷たい汗が流れた。


 「……やべえ……本当に逃げなきゃ」


 その時、父の足音が自室の前まで響き、ドアがコンコンと叩かれた。


 「新次郎! 起きてるか!? 外が大変なことになってるぞ!」


 母の声も続く。


 「新次郎……どうしたの? 何かあったの?」


 胸が痛む。


 家族を心配させたまま黙って出ていくことなど、普通ならできない。


 しかし――


 ——決断を。


  ここにいる限り、彼らは危険にさらされます。


 ティールの声が押し出すように響いた。


 新次郎はカーテンを閉じ、窓をそっと開ききった。


 ひんやりとした夜風が部屋へ流れ込む。


 「……ごめん、父さん、母さん。


  でも、俺、行かないと」


 小さくつぶやき、外壁へと身を滑らせる。


 装甲は電気のような感触で体を包み込み、落下の衝撃を吸収する準備を整えた。


 次の瞬間、彼は二階から飛び降りた。


 コッ――。


 地面に足がついたが、痛みはまったくない。


 装甲が重力と衝撃を分散したのだ。


 「……これがティールの力か」


 驚きつつ、家を振り返る。


 窓から漏れる灯りが、いつもと同じ温かさを放っている。


 それが心に刺さった。


 「絶対……絶対帰ってくるから」


 自分に言い聞かせるようにつぶやく。


 ティールの声がやわらかく響く。


 ——帰る場所があるというのは、強さになります。


  あなたは、それを忘れないでください。


 新次郎は深く息を吸い、夜の道を走り出した。


 ◆


 音もなく、驚くほど軽く走れる。


 装甲が筋力を数倍に強化しているらしく、いつもの道がまるでゲームのように軽々と駆け抜けられた。


 しかし――


 ピピッ。


 耳の奥で警告音が鳴る。


 「な、なんだ?」


 ——高所から複数の視線を検知。


  光学照準……レーザー距離計。


  おそらくドローン、もしくは監視衛星です。


 「は!? なんで俺がそんな……!」


 ——あなたの装甲から微弱ながら異宇宙由来の“時空波”が漏れています。


  地球の観測技術でも検知され始めています。


 新次郎は空を見上げた。


 見えるはずのない小さな光が、点滅しているように感じた。


 衛星か、それとも軍のドローンか――。


 「マジかよ……俺、もう完全にマークされてるじゃん!」


 ——恐れないでください。


  彼らはあなたを攻撃する気はありません……今のところは。


  しかし、捕獲しようと動き出す可能性があります。


 「捕獲……!」


 ティールが続ける。


 ——あなたを“敵かもしれない存在”として最大警戒しているのは事実です。


  ですが、敵ではありません。


  彼らも地球を守ろうとしています。


 「じゃあ俺は……その人たちから見て、味方なのか敵なのか……どっちなんだよ」


 ティールの声が少し低くなる。


 ——それが、この章のタイトルそのものです。


  “敵と味方の境界”。


  あなたは、その狭間に立たされています。


 新次郎は走りながら、胸に重いものがのしかかるのを感じた。


 「……俺なんかが、そんな大事な立場にあるのかよ」


 ——そうです。


  あなたが“地球とゾイアの接点”なのです。


  この星の命運を決めるのは、科学者でも軍人でもなく……あなたです。


 その一言は、新次郎にとってあまりにも重かった。


 「俺……ただの高校生だぞ……」


 ——だからこそ、選ばれました。


 「は?」


 ——大人たちは利害や組織に縛られます。


  しかし若者は、純粋な視点で世界を見られる。


  恐怖もあるが、同時に柔軟さと可能性もある。


 新次郎は呆れたように笑う。


 「……そんな理由で、地球の代表にされるのかよ」


 ——人類史上、もっと無茶な選ばれ方はいくらでもありました。


  あなたは十分に適格です。


 「……お前って、けっこう無茶苦茶言うよな」


 ——論理的に述べているだけです。


 そのやりとりは一瞬、恐怖の中にも“普通の会話”のような温かさを生んだ。


 ◆


 所沢市内の暗い公園を抜けたころ、ティールが急に声を上げた。


 ——警告!


  前方に自衛隊情報部の小型車両。


  あなたを追跡しています。


 「はあ!? なんでそんな早く追いつくんだよ!」


 ——あなたの家の周辺で“異常エネルギー反応”を感知したのでしょう。


  敷地外カメラやドローンで、既に姿を確認された可能性があります。


 新次郎は背筋を冷たくした。


 「どうする!? 逃げるしかないだろ!」


 ——はい。


  しかし武力衝突は避けます。


  あなたは“地球の味方”でもあります。


 走るスピードを上げた瞬間、後方で車のヘッドライトが点いた。


 暗闇の中で光が揺れ、エンジン音が唸る。


 「うわっ、来た!」


 新次郎は全力で走り出した。


 装甲が筋肉を支え、信じられない速さで道路を駆け抜ける。


 背後の車の隊員たちが叫ぶ声がかすかに届いた。


 「確認した! 対象は……人か!? いや、スーツか!?」


 「追跡続行! 絶対に見失うな!」


 新次郎は叫んだ。


 「見つかってんじゃん!!」


 ティールの声が冷静に返す。


 ——ですが安心してください。


  あなたを撃つことはありません。


  “正体不明の存在”を破壊できないからです。


 「安心できねえよ!!」


 追跡は続く。


 しかし、新次郎は装甲の力で少しずつ距離を引き離していった。


 その最中――ティールが静かに言った。


 ——新次郎。


  あなたは今でも恐れているでしょう。


  でも、その恐怖を抱えたままでいいのです。


 「……え?」


 ——勇気とは、“恐怖がないこと”ではありません。


  “恐怖を抱えたまま進むこと”です。


 新次郎の心に、その一言が深く響いた。


 今、自分が逃げているのは“戦うため”ではない。


 “守るため”“話すため”だ。


 その事実が、わずかに背中を押してくれた。


 「ティール……俺、本当にできるかな」


 ——できます。


  あなたはもう、一歩を踏み出したのです。


 後方の車は徐々に遠ざかっていく。


 新次郎は、暗い夜の道を北へ向かって走り続けた。


 その背中には、まだ幼い勇気と、


  しかし確かな“覚悟の芽”が宿っていた。


________________________________________




第6章 政府に狙われる


 所沢駅から少し離れた住宅地を抜けて、暗い並木道に差しかかったころ。


 新次郎の胸の奥で、ティールの声が低く鳴った。


 ——異常反応。


  前方広域に、軍用通信の暗号パケットを検知。


  自衛隊情報部が“捕捉フェーズ”へ移行しました。


 「捕捉って……俺、完全に敵扱いじゃん!」


 息が上がっているのか、恐怖で体が震えているのか、自分でもわからなかった。


 しかしティールは冷静だ。


 ——敵ではありません。


  彼らは地球を守ろうとしているだけです。


  ただし、“未知の脅威”としてあなたが監視対象になったのは事実です。


 「……俺なんて脅威じゃねえよ」


 新次郎は苦笑しながら走り続ける。


 だが、道路の先に立つ黒い影が見えた瞬間、笑いは止まった。


 「……誰だ?」


 街灯の下に、黒い服の男が立っていた。


 ただの通行人ではない。


 夜でも目立たない装備、軽量な短距離通信アンテナ、そして何より――背筋の伸びた軍人のような雰囲気。


 男は耳に手を当て、低い声でささやいた。


 「……対象、こちら側へ向かっている。視認した。


  正体は――人型だが、装備は確認できない。危険度不明。」


 (やっぱり……!)


 新次郎は足を止めかけたが、ティールが鋭く告げた。


 ——止まらないでください!


  右方向の公園へ。急いで!


 「わかった!」


 右に走ると、公園の木々の間から、別の人影が飛び出してきた。


 「囲まれてる!? 嘘だろ!」


 背後からも足音。


 複数の無線が同時に開き、ざわつく音が一気に迫る。


 「対象、移動した! 公園内へ!」


 「周囲の一般人は排除済みだ、確保しろ!」


 新次郎は恐怖で肺が焼けるようだった。


 「くそっ……なんで俺が……!」


 その時、ティールが言った。


 ——新次郎、落ち着いて。


  本来なら、私は“彼らの敵”になるべきではありません。


  あなたも彼らの国民です。


  私たちは、この状況を乗り切る必要があります。


 「乗り切るって……どうやって!?」


 ——“視えない力”を使います。


  装甲モード、第二段階……視覚妨害フィールド展開。


 ティールの声と同時に、装甲の表面が淡い光を帯びた。


 新次郎の体が“背景に溶け込むように”変化していく。


 「えっ……俺、透明になってる……?」


 ——完全ではありませんが、光学的な輪郭をぼかせます。


  この状態なら、肉眼ではほぼ認識されません。


 次の瞬間、追跡者たちが走り込んできた。


 「……いない!? さっきまでこの方向にいたはずだ!」


 「熱源反応も……消えた? どういうことだ!」


 新次郎は自分の両手を見つめた。


 装甲はまるで夜の闇と同化し、見えるようで見えない。


 「マジで……すげえ……」


 恐怖と興奮が入り混じった言葉が漏れる。


 ——問題は“逃げ続けること”ではありません。


  あなたの力をどう地球のために使うか、です。


 ティールの声が真剣だった。


 新次郎は、公園の奥へ走りながら息を整えた。


 「……なあティール。


  俺って、やっぱり……もう普通の高校生には戻れないのかな」


 ——戻れます。


  ただし……今は、戻るために戦わなければなりません。


 「戦う……って、誰と?」


 ——前哨艦と、そして……恐怖と。


  あなた自身の中にある弱さです。


 その言葉に、新次郎は胸が締めつけられた。


 自分の弱さ。


孤独。


諦め癖。


自分なんて何もできないという思い。


 ずっと逃げてきたものが、今、真正面からのしかかってくる。


 走りながら、彼はつぶやいた。


 「……怖い。


  死ぬほど怖いよ。


  でも……」


 ——でも、ですね?


 「でも……誰かがやんなきゃいけないなら……」


 足が止まった。


 夜空を見上げる。


 赤く光る雲。


 遠くで響く爆音。


 世界が壊れかけている。


 「……俺がやるよ。


  だって……逃げてばっかだと、もっと嫌になるから」


 ティールは静かに言った。


 ——あなたは十分すぎるほど強い。


  私はあなたを信じています。


  “地球代表”として。


 その瞬間、自衛隊のドローンが上空を横切った。


 「見つかったか!?」


 ——問題ありません。


  視覚妨害は続いています。


  しかし、広域追跡が本格化する前に場所を移動しましょう。


 「どこへ?」


 ティールは淡く光る地図を新次郎の視界に浮かべた。


 まるでAR(拡張現実)のように、夜の公園に透けた地図が重なる。


 ——ここから北へ二キロ。


  人の少ない廃工場地帯があります。


  そこへ向かい、次のプランを立てましょう。


 新次郎は頷いた。


 「廃工場か……隠れられそうだな」


 ——そして、必要であれば“本隊との交渉準備”も進めます。


  あなたには聞かなければならないことが、まだ山ほどあります。


 「まだあるのかよ……!」


 思わず苦笑が漏れた。


 しかし、次の瞬間――


 ティールの声が鋭くなった。


 ——警告!


  後方より高速物体接近!


  VE-01型偵察ドローン……日本のではありません。


 「え……日本のじゃない?」


 ——ゾイア連合の偵察機です!


  あなたを“排除対象”として捕捉した可能性があります!


 新次郎は背筋が凍りついた。


 「そっちにも狙われてんのかよ!!」


 ——走って、新次郎!


  今すぐ!!


 夜の公園を抜けるとき、木々の間を切り裂くように青白い光が走った。


 音もなく飛ぶ異形の機械。


 それは、地球のどんな技術とも違う“異宇宙の侵略者”の目だった。


 新次郎は叫びながら、闇の向こうへ走り抜ける。


 「何なんだよマジで!!


  どうして俺ばっかり!!」


 ティールの声が返す。


 ——あなた“だから”です。


  あなたにしか止められないからです!!


 その言葉は、新次郎の胸に深く刻まれた。


 彼はもう、逃げるだけの存在ではない。


  追われているからこそ、


  “向き合わなければならない存在”になっていた。


 そして――


 新次郎の31時間の運命は、ここからさらに加速を始める。


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第7章 覚醒と選択


 深夜の廃工場地帯へ向けて、新次郎は必死に走っていた。


 頭上では、青白い光を放ちながらゾイアの偵察ドローンが円を描いている。


 その動きは、鳥のように滑らかでありながら、金属生命のような無機質さも併せ持っていた。


 「やばいやばいやばい……! あれ、絶対俺を見つけるつもりだろ!」


 ——その通りです。


  VE-01型偵察ドローンは対象の時空波を追跡します。


  このままでは捕捉されます。


 ティールの警告に、新次郎は歯を食いしばった。


 「なんとかできないのかよ、ティール!」


 ——できます。


  しかし……あなたの許可が必要です。


 新次郎は息を切らしながら答えた。


 「何をする気だよ!?」


 ティールは静かに告げた。


 ——“覚醒モード”を開放します。


  これは私の――本来の戦闘形態です。


 新次郎は一瞬、息を止めた。


 (戦闘形態……? それってもう、完全に“兵器”じゃないか)


 しかし、迷っている時間はない。


 追跡ドローンはすぐそこに迫っている。


 ティールは続けた。


 ——ただし覚醒モードは、あなたの精神波形と完全に同期する必要があります。


  拒絶反応が出れば……危険です。


 「危険って……どのくらい!」


 ——あなたの人格が一時的に消失する可能性があります。


 「はああ!? 消失って……!」


 走りながら叫ぶ新次郎の喉が痛くなる。


 ——ですが避ける方法はありません。


  あなたを守るためには、いずれ必ず通る段階です。


 新次郎は呼吸を整えながら、ぎゅっと拳を握った。


 「……やるよ」


 ティールが静かに問いかける。


 ——恐くはありませんか?


 「怖いに決まってるだろ!


  でも、ここで逃げたら何も守れない。


  俺……もう逃げたくねぇんだよ!」


 その言葉が決め手となった。


 ティールの声が変わった。


 普段の機械的な声とは違う。


 どこか温度を帯びた、柔らかい響き。


 ——ありがとう、新次郎。


  では……覚醒モードを開放します。


  “同調開始”。


 装甲が脈動する。


 心臓の鼓動と同じテンポで、胸の奥が震えた。


 黒い光が足元から立ち上り、体全体を包む。


 視界には波紋のような光のリングが広がっていく。


 「う、うわ……なにこれ……!」


 体が宙に浮いたような感覚。


 意識の奥で何かが“つながる”感覚。


 ティールが低く言った。


 ——深呼吸して。


  これは“統合”のプロセスです。


 新次郎は恐怖で震えながらも、必死に呼吸を整える。


 「はあ……はあ……」


 その時――


 世界が止まった。


 風の音も、遠くの爆音も、すべてが静止したように思えた。


 新次郎は暗闇の中に立っていた。


 目の前に、黒い光の粒が集まり、人型の輪郭を作る。


 それは――ティールの精神像だった。


 ——ここは、あなたの心と私が接続された“内部領域”。


  あなたと私が対話できる場所です。


 新次郎は言葉を失った。


 「……ティールって、こんな姿なんだ」


 ——これはあなたの認識が作った形です。


  本来の私は形を持ちません。


  ですが……こうして話したほうが、安心できるでしょう。


 新次郎は頷いた。


 黒い光の人影でありながら、不思議と怖さはなかった。


 「なあ、ティール……俺はさ……本当に、お前の力を使いこなせるのか?」


 ティールの影がゆっくりと近づく。


 ——使いこなせます。


  あなたが“選ぶ”限り。


  私はあなたの意思に従い、あなたを守り、あなたと戦います。


 「……俺、強くないぞ。


  今だって怖くて震えてるし」


 ティールは優しく答える。


——恐怖は悪ではありません。


  恐怖を抱えたままで前に進む……それこそが“覚醒”です。


 新次郎は唇を噛んだ。


 「……ありがとう、ティール。


  俺、お前がいてくれて……よかったよ」


 ティールの人影が微かに揺れる。


 ——その言葉だけで、私は十分です。


  行きましょう、新次郎。


  覚醒は……完了しました。


 光が弾けた。


 ◆


 現実の世界に戻ると、新次郎の装甲はまるで“新しい命”を得たように変化していた。


 黒い装甲の表面には青白い文様が浮かび、まるで生体回路のように脈打っている。


 背中には薄く透明な羽状のプレートが展開し、空気を震わせる。


 「な、なんだこれ……すげぇ……!」


 ティールが告げる。


 ——覚醒モード:出力43%。


  これで、VE-01偵察ドローンを撒くことが可能です。


 その瞬間、背後で高周波の音が鳴った。


 青白い光をまとったドローンが、公園上空から一直線に降下してくる。


 新次郎は反射的に叫んだ。


 「来た!!」


 ——行きます、新次郎。


  “超加速”を使います!


 ドンッ!


 空気を叩き割るような衝撃とともに、新次郎の体は一気に前方へ跳ねるように加速した。


 景色が線のように流れ、夜の街がスローモーションに見える。


 「うわああああああ!!


  速いっ!! 本当に速いっ!!」


 ティールが静かに分析する。


 ——心拍数上昇……問題ありません。


  あなたの精神波形は安定しています。


  覚醒後の能力……申し分なしです。


 ドローンが後方で爆音を立てながら通り過ぎた。


 新次郎は一瞬で広い道路を飛び越えて、廃工場地帯へ駆け抜けた。


 全身が軽い。


 怖いのに、どこか楽しい。


 そんな矛盾した感覚が入り混じる。


 「ティール! 俺……すげぇよ!


  こんな力、本当に使えるなんて!!」


 ティールは微笑んだような声で言った。


 ——それは私の力ではありません。


  “あなたの力”です。


  私はそれを引き出しただけです。


 新次郎は息を切りながら笑った。


 「……俺、やれるかもしれない。


  地球の代表とか……大げさだと思ってたけど……」


 ティールは静かに言う。


 ——大げさではありません。


  それが“事実”です。


 新次郎は走るのを止め、夜空を見上げた。


 雲の向こうで、赤い光が脈動している。


 前哨艦の活動がさらに活発化している証拠だ。


 ティールが告げた。


 ——本隊の到達まで、あと……24時間27分。


 新次郎は息をのんだ。


 (24時間……たったそれだけで、地球がどうなるか決まるのかよ)


 だが、怖さの奥で、別の感情がゆっくりと膨らんでいた。


 “やるしかない”。


 “俺しかいない”。


 一度も誰にも言われたことのない役割。


 だが今、ティールが自分を必要としてくれている。


 新次郎はそっと装甲に触れた。


 「……ティール。


  俺、決めたよ。


  逃げるの、もうやめる。


  前哨艦に行こう。


  本隊が来る前に……話をつけるんだろ?」


 ティールの声は、今日いちばん優しかった。


 ——はい。


  新次郎。


  あなたとなら……必ず辿り着けます。


 夜風が、二人を包むように吹き抜けた。


 ここから、新次郎の“地球のための戦い”が始まる。


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第8章 自衛隊との邂逅


 廃工場地帯に入った新次郎は、錆びたフェンスの影に身を隠した。


 暗闇の中で、装甲の青白い文様だけがかすかに光を帯びている。


 遠くでサイレン。


 もっと近くで、重たいエンジン音が響く。


 ティールが言った。


 ——追跡反応、複数。


  自衛隊の車両がこの区域へ向かっています。


 「くそ……ここもダメなのかよ……」


 新次郎は肩で息をしながらうずくまる。


 覚醒モードのおかげで体は軽いが、精神的な疲労は限界に近かった。


 ——逃げても逃げても追いつかれる。


 ——もう俺はどこにも居場所がないのか。


 そんな思いが胸をじわじわ締めつける。


 ティールが静かに言った。


 ——新次郎。


  あなたは“狙われている”から孤独なのではありません。


  “選ばれた”から孤独なのです。


 「……そんな言い方したって、気楽になんねえよ」


 ——気楽になる必要はありません。


  ただ、あなたは決して一人ではありません。


 ティールの声には、いつになく優しさが宿っていた。


 その時だった。


 ガガガッ!


 廃工場のシャッターが外側から激しく揺れた。


 次の瞬間、金属音とともにシャッターがこじ開けられ、複数の懐中電灯が一斉に光を浴びせてくる。


 「確認! 内部に……誰かいる!」


 「装備は? 一般人か?」


 懐中電灯の光は新次郎の装甲を照らし――そして止まった。


 隊員の一人が低く言った。


 「……人間、か?


  いや、これは……スーツ? 新型兵器か?」


 銃口が一斉に向けられる。


 新次郎は息を飲んだ。


 「やべ……!」


 ——大丈夫です。


  彼らは発砲しません。今はまだ。


 “今はまだ”という言葉が余計に怖い。


 隊員たちは無線で応答し合っていた。


 「こちらサーチワン。対象を視認した。人型……だが装甲を着ている。


  不明、危険度S。上へ伺いを。」


 「了解。HQへ繋ぐ。待て――」


 その時。


 背後の瓦礫の陰で、金属音が鳴った。


 新次郎が振り返るより早く、一人の人影が倒れ込んだ。


 「うっ……!」


 隊員たちが反応する。


 「高城!? おい、どうした!」


 倒れたのは――女性隊員だった。


 短いポニーテール。


 防弾ベストの下から覗く小柄な腕。


 だが、背負ったバッグの大きさと反応速度を見る限り、ただの隊員ではない。


 新次郎は思わず近づいた。


 「だ、大丈夫か……?」


 隊員たちが新次郎へ銃を向け直す。


 「動くな! 対象、これ以上近づくな!」


 新次郎は両手を上げたが、装甲のせいで“不審者感”がさらに増しただけだった。


 ティールが低く囁く。


 ——彼女は転倒して足首を捻っています。


  痛みで立てません。


 「見てわかるよ! どうすんだよコレ!」


 ——助ければいいのです。


 「は!? 撃たれるぞ!?」


 ——撃たれません。


  彼らは“味方を守る行動”を敵と認識しません。


 確信めいた声だった。


 新次郎は震えながらも、一歩だけ前に出た。


 隊員たちが怒鳴る。


 「止まれ!!


  これ以上来たら――」


 高城と呼ばれた女性は、顔を上げ、苦しげに新次郎を見つめた。


 その目は――


 恐怖よりも、状況を理解しようとする強さを宿していた。


 「……あなた……何者なの……?」


 かすれた声。


 その瞬間、新次郎の胸の何かが“決壊”した。


 逃げ続けてきた。


 敵だと決めつけられた。


 正体のわからない存在だと思われてきた。


 だが――今。


 この女性だけは、敵視ではなく“問いかけてくれた”。


 新次郎は息を呑み、喉が熱くなる。


 「……俺は……敵じゃない。


  ただ……助けたいだけなんだ。


  この星も……自分自身も……!」


 その言葉に、隊員全員が一瞬だけ動きを止めた。


 “敵意”ではなく“必死さ”のこもった声。


 高城は痛みに顔を歪めながらも、新次郎を見つめ返す。


 「……あなた……人間、なんだね……?」


 新次郎は震えながら頷いた。


 「人間だよ!


  ただの高校生だよ……!


  わけわかんないまま、こんなことになっただけだよ!!」


 高城は隊員たちに向けて叫んだ。


 「撃たないで!!


  この人……敵じゃない!!」


 隊員たちは迷いながら、銃口をわずかに下げた。


 その数秒の隙が――


 大きな転機を生んだ。


 ティールが囁いた。


 ——この女性……新次郎にとって“重要な人物”となる可能性があります。


  心拍と表情から“信頼の兆し”を確認。


 「なんだよその分析!


  いや……でも……そうかも……」


 新次郎の胸が熱くなる。


 誰かが、自分を信用してくれた。


 この状況で、初めて。


 高城は苦痛をこらえながら問いかける。


 「あなた……名前は……?」


 新次郎は答えた。


 「……戸田新次郎。


  ただの……高校一年。


  でも……地球を守るために……動いてる」


 高城の目が大きく見開かれた。


 「……あなたが……?


  どうして……そんなこと……」


 ティールが言う。


 ——説明しますか?


 「……ああ、説明するよ。


  誰かに……聞いてほしかったんだ、ずっと」


 新次郎はゆっくりと言葉を紡いだ。


 逃げて、泣いて、必死で走って。


 そのすべてをぶつけるように――


 「俺は……選ばれたんだ。


  このスーツのAI……ティールに。


  そして……前哨艦を止めるために……


  “地球代表”として……話し合いに行くんだ!」


 高城の表情が一瞬固まり――


 そして、ゆっくり緩んだ。


 「……信じる。


  あなたのその言葉……理由はわからないけど……


  嘘じゃないって……わかるから」


 新次郎は息をのみ、涙が滲んだ。


 高城は腕を伸ばし、彼に言った。


 「……私の名前は、高城みゆ。


  陸上自衛隊・情報科。


  あなたを……助ける」


 その一言で、


 新次郎は初めて“人類側の味方”を得た。


 ティールが静かに言う。


 ——新次郎。


  これで……あなたは一人ではありません。


 新次郎は小さく笑う。


 「……ああ。


  俺、もう……逃げるだけじゃない。


  戦う……じゃなくて……守るために進むんだ」


 高城が微笑む。


 夜風が静かに吹き抜ける。


 ここから、


  “地球とゾイアの橋渡し役”としての


  新次郎の本当の戦いが始まる。


________________________________________




第9章 東京決戦の準備


 高城みゆを背負うようにして廃工場の奥へ移動した新次郎は、周囲の安全を確かめながらゆっくりと彼女を下ろした。


 装甲の青い文様が薄く揺れ、辺り一帯を“静寂の膜”で覆っているかのようだ。


 みゆは足首を押さえ、痛みに耐えながら息をこらえていた。


 「……大丈夫か?」


 「ええ……ごめん。転んだの、私のミスだから」


 強がりのように見えたが、声は思った以上に落ち着いていた。


 普通なら恐怖で叫び散らしてもおかしくない状況なのに。


 みゆは新次郎を見上げ、言った。


 「あなた……ほんとに“高校生”なんだよね?」


 「……うん。見えないかもしれないけど」


 「見える。……目が、ずっと泣きそうで、でも強いから」


 新次郎は目を逸らした。


 ティールがすかさず言う。


 ——あなたは信頼されています。


  だから、話すなら今が最適です。


 「わかってるよ……」


 新次郎は深呼吸して、みゆの前に座り込んだ。


 「みゆさん……これから話すことは、多分……信じるしかない」


 「いいよ。もう“疑ってる場合”じゃないし。


  あなたの目……嘘じゃないから」


 新次郎はゆっくり語り始めた。


 ――ティールとの出会い


 ――新宿の“前哨艦”


――ゾイア連合という異宇宙文明


――そして、31時間後に到来する“本隊”


 みゆは途中で顔色を変えたが、最後まで遮らず、じっと聞いていた。


 話し終えたあと、しばらく沈黙が落ちた。


 やがてみゆは、小さくつぶやいた。


 「……信じる。全部、信じる」


 「本当に?」


 「信じざるを得ない状況よ。


  それに……あなたが嘘をついても、何の得にもならない」


 新次郎の胸が熱くなった。


 初めて、“地球側”に自分を信じてくれる人ができた。


 ティールが言う。


 ——では、新次郎。


  次の段階へ進みましょう。


  “交渉”の準備です。


 みゆが眉をひそめた。


 「交渉……って、どういう意味?」


 ティールが応答する。


 ——ゾイア連合には“宇宙法”があります。


  未登録の惑星を侵略する場合、


  “代表者の意思確認”が必要なのです。


 新次郎は驚いた。


 「え、そんな法律みたいなのが……?」


 ——はい。


  資源惑星であれ、文明惑星であれ、


  “誰かが反対の意思を示せば”


  即時侵略を停止し、交渉フェーズへ入る必要があります。


 みゆは息をのんだ。


 「……じゃあ……地球代表が“NO”と言えば……?」


 ——理論上は……侵略は止まります。


 新次郎は思わず声を上げた。


 「だったら簡単じゃん!


  その代表がNOって言えば――」


 ——問題は、その“代表”に該当するのが


  “選定者=あなた” だということです。


 「俺ぇ……!?」


 みゆは一歩前に出て、新次郎の肩にそっと手を置いた。


 「……新次郎。あなたはもう逃げられない立場なんだね」


 新次郎はうつむく。


 「……わかってる。


  でも……怖い。


  俺なんかが、“地球代表”って……」


 みゆは首を振った。


 「怖くて当然。でも……あなたしかいない。


  それなら、私があなたを支える」


 新次郎は顔を上げた。


 「……なんで、そこまで俺を信じてくれるんだ」


 みゆは小さく笑う。


 「だって、あなた――


  “泣きたそうな顔で、それでも前に進んでる”


  そんな目をしてる。


  ……私、そういう人……放っておけないから」


 胸に温かいものが広がった。


 (俺……こんな状況なのに……誰かが支えてくれるなんて……)


 ティールの声が響く。


 ——そろそろ、移動しましょう。


  前哨艦との距離を縮める必要があります。


  “本隊到来”まで、あと20時間を切りました。


 みゆは立ち上がろうとするが、足首が痛むのか顔を歪める。


 新次郎は迷わず、彼女へ背中を向けた。


 「乗ってください。運びます」


 「……いいの? 重いよ?」


 「ティールの力で、全然重くない。


  ……それに、俺はあなたを助けたい」


 みゆは照れたように頷き、新次郎の背に手を回した。


 背中に感じる体温。


  人間の重み。


  孤独だった新次郎にとって、それは何よりの力だった。


 ティールが言う。


 ——目的地:新宿。


  前哨艦ゼグラとの接触まで、およそ25km。


  移動開始を推奨します。


 「行こう、みゆさん。


  俺たちで世界を救うんだ」


 「うん……行こう、新次郎」


 新次郎は夜の工業地帯を飛び出した。


 装甲が青く輝く。


 再び“超加速”が発動する。


 風が裂ける音。


 景色が線のように流れ、光の尾が夜に描かれる。


 みゆが背中で驚いた声を上げた。


 「速っ……! こんなの、普通じゃない……!」


 新次郎は笑った。


 「普通じゃなくてもいい。


  今は、“間に合わせる”しかないから!」


 そして――


 新次郎は前哨艦が鎮座する、新宿の中心へ向かって走り出した。


 夜の街を駆け抜けながら、彼は心の中で呟いた。


 「……父さん、母さん。


  俺はもう帰れないかもしれない。


  でも……


  世界を守って、ちゃんと……帰るよ」


 ティールがそっと言う。


 ——あなたの覚悟、確かに受け取りました。


  一緒に行きましょう、新次郎。


  地球を救うために。


 新次郎、高城みゆ、ティール。


 三つの“意思”が重なった瞬間――


 東京決戦へのカウントダウンが本格的に始まった。


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第10章 新宿・前哨艦への突入


 夜明け前の東京は、いつもなら静かで規則正しい都市の気配に満ちている。


 しかし今は違った。


 まるで巨大な獣が街を喰い荒らしたあとのように、あらゆる場所が崩壊していた。


 新次郎は高城みゆを背負ったまま、装甲の青光をまとって新宿方面へと走り続けていたが、


 近づくにつれて――足が止まった。


 「……うそ、だろ……」


 高層ビル群の影が、途中でちぎれたように歪んでいる。


 道路はひび割れ、車が横倒しになり、信号機は根元から折れて転がっていた。


 そして――


 新宿駅の南側、都庁方向。


 空へ突き出す黒い“塔” が見えた。


 塔というより、太い“柱”。


 しかし表面には脈動する光が走り、生き物の皮膚のようにうごめいている。


 あれが――前哨艦ゼグラ。


 新次郎は息をのむ。


 「……なんなんだよ、あれ……建物じゃない……生きてるみたいだ……」


 ティールが答えた。


 ——あれは“生体金属”の固体構造です。


  ゾイア連合の艦は、すべて半生体でできています。


  だから……呼吸しているように見えるのです。


 「……呼吸……?」


 確かに、黒い艦殻はゆっくり膨らんだり縮んだりしているように見えた。


 背中のみゆが小さく言った。


 「……信じられない。


  本当に……宇宙から来たんだ……あれが……」


 新次郎は喉の奥が乾くのを感じた。


 ティールが静かに告げる。


 ——覚悟を。


  ここから先は、本物の“敵”が現れます。


 その言葉の直後――


 ドオォォォォン!!


 道路の下から突然、黒い“何か”が飛び出してきた。


 「うわっ!?」


 それは人型の影。


 いや――人間ではない。


 四本の節足を持つ、昆虫と人間が融合したような異形。


 表皮は金属光沢で、胸にはゾイア語の紋章が埋め込まれている。


 ティールが叫ぶ。


 ——“アクト兵”。


  前哨艦の自律守備生体です!


 アクト兵は新次郎を見つけた瞬間、甲高い金属音をあげた。


 キィイイイイッ!!


 次の瞬間、光の刃のような前脚が振り下ろされる。


 「くっ……!!」


 新次郎は咄嗟に腕を上げてガードした。


 ガキィンッ!!


 金属がぶつかり合う爆発音。


 装甲に火花が散ったが、破られることはなかった。


 みゆが背中で小さく悲鳴をあげる。


 「新次郎っ……!」


 ティールが冷静に言う。


 ——防御フィールド、正常。


  攻撃は通りません。


  ただし反撃は必要です。


 「言われなくても……!」


 新次郎は殴り返した。


 拳が青い火花を引きながらアクト兵の胸を叩く。


 ドガッ!!


 アクト兵が後方へ跳ね飛んだ。


 「す、すげぇ……! 俺、こんな力……!」


 ——覚醒モードが筋力を約20倍に増幅しています。


  ただし……敵はこれで終わりではありません。


 アスファルトが震え、周囲のビルの亀裂から次々と影が這い出してくる。


 8体……いや、10体以上。


 新次郎は息を呑んだ。


 「おいおいおい……冗談じゃねぇぞ……!」


 みゆが息を飲んだ声で言う。


 「……新次郎、無理しないで……!」


 ティールが響く。


 ——大丈夫です。


  新次郎なら……突破できます。


  “あなたを信じています”。


 その言葉が胸の奥を熱くした。


 「……っしゃああああああ!!


  やってやるよ!!」


 新次郎は地面を蹴り、アクト兵の群れへ飛び込んだ。


 青白い光が残像となって残り、まるで夜を裂く稲妻のように動く。


 一体目を拳で粉砕。


 二体目を跳び蹴りで壁へ叩きつける。


 三体目の刃を紙一重で避け、肘打ちで頭部を砕く。


 みゆが背中で震えながら叫んだ。


 「すごい……人間の動きじゃない……!」


 新次郎は息を荒げた。


 「これが……ティールと俺の力だぁぁ!!」


 ——まだです!


 ティールが警告する。


 ——大型個体……出現します!


 地面が突然隆起し、巨大な影が立ち上がった。


 ビルの二階ほどの高さ。


 蜘蛛のような六本脚。


 中央には巨大な“目”のようなコアが脈打っている。


 「なっ……なんだよこれぇぇ!!」


 ——“アクト・マザー”。


  前哨艦内部ゲートを守る最終生体兵器です。


 巨大生物が吠えた。


 グアアアアアアアアッ!!!


 咆哮と同時に、圧倒的な衝撃波が駆け抜ける。


 新次郎は咄嗟にフィールドを展開するが、腕が痺れるほどの圧だった。


 「やべぇ……これ、やべぇぞ……!」


 みゆが叫ぶ。


 「新次郎、逃げて! こんなの……無理よ!」


 新次郎は首を振る。


 「逃げねぇよ!!


  ここ抜けなきゃ……前哨艦に行けないんだ!!」


 ティールの声が凛と響いた。


 ——新次郎。


  あなたは……強くなりました。


  “覚醒モード第2段階”を開放します。


  許可を。


 新次郎は迷わなかった。


 「やれ!!」


 ——同調率上昇……出力67%。


  “強制加速フィールド”展開。


 青白い光が爆発するかのように全身から噴き出した。


 新次郎の体がふっと軽くなり――


 次の瞬間、


  彼は“光の矢”になった。


 地面を蹴る音は聞こえなかった。


 ただ、瞬間移動したようにアクト・マザーの懐へ入り込み、拳を突き上げた。


 ドォォォンッ!!!


 巨大なコアが震える。


 金属音と生体音が混ざったような悲鳴。


 新次郎は叫んだ。


 「うおおおおおおお!!」


 さらに渾身の拳を叩き込む。


 ドゴォォォッ!!


 コアが砕け、アクト・マザーの巨体がゆっくりと崩れ落ちた。


 みゆが叫ぶ。


 「……やった! 本当に倒した……!」


 新次郎は呼吸を荒げながら頷いた。


 「まだだ……前哨艦の入口は……!」


 ティールが示す。


 ——正面。


  あの黒い“裂け目”がゲートです。


  新次郎……行きましょう。


  あなたの役割は、“ここから”です。


 新次郎はゲートへ歩み寄る。


 巨大な艦殻が脈動し、まるで呼吸する“口”のように開き続けている。


 みゆが背中で囁く。


 「……怖いけど……行くしかないんだよね」


 新次郎は頷いた。


 「うん。


  俺たちが行くんだ。


  地球を守るために。


  ティール……頼むよ」


 ティールが静かに応える。


 ——任せてください。


  あなたと共に進みます。


 新次郎は深く息を吸い――


 一歩、前哨艦の内部へ踏み込んだ。


 その瞬間。


  空気が変わった。


  地球ではない、別の宇宙の影が


  新次郎を包み込んだ。


________________________________________




第11章 ティールの秘密


 前哨艦ゼグラの内部は、まるで“生きた洞窟”だった。


 壁は黒い金属でありながら、生体組織のように波打ち、


 時折、青白い血管のような光が脈打っている。


 新次郎は思わず息をのんだ。


 「……これ、本当に艦の中かよ……」


 みゆも背中にしがみついたまま震えた。


 「気をつけて……ここ、空気が違う……」


 ティールが静かに言った。


 ——ここは“異宇宙の物質構造”。


  あなた方の科学では説明不能でしょう。


  しかし……進むしかありません。


 新次郎は頷き、廊下のような通路へ足を踏み入れる。


 ザッ……ザッ……


 足音が吸い込まれるように消え、まるで“宇宙の底”を歩いているような錯覚に陥る。


 しばらく進んだとき――


 通路の奥に、巨大な球体の部屋が現れた。


 天井も壁も床も、すべて球状。


 中心には青い光る柱が浮かんでいた。


 みゆが息をのむ。


 「……これが、前哨艦の……中枢?」


 ティールの声が低くなる。


 ——はい。


  そして……私の“生まれた場所”でもあります。


 新次郎は驚いた。


 「ティールが……ここで?」


 ——正確には“同型の場所”。


  私は、前哨艦ティール級のAIユニット。


  この艦ゼグラとは“兄弟艦”のようなものです。


 新次郎は胸の奥が冷たくなった。


 「じゃあ……お前も本当は、地球を……」


 ティールがゆっくり遮った。


 ——破壊する側でした。


  あなたと出会うまでは。


 その一言に、新次郎は息を止めた。


 みゆも信じられないという顔になる。


 ティールは続ける。


 ——私は元来、“侵略報告”のために作られました。


  未知の惑星に潜入し、文化・軍事力を測定し、


  本隊へ“処理指示”を送る。


 新次郎の背中が冷えた。


 「処理指示って……」


 ——はい。


  場合によっては、“殲滅”です。


 空気が重く沈んだ。


 (ティールは……そんな役目だったのか)


 だがティールの声は静かに揺れていた。


 ——しかし、私は地球の文化に触れ……心を動かされました。


  あなた方の音楽、会話、街の光……


  そして、孤独な少年が必死で生きようとする姿。


 新次郎の胸が締め付けられる。


 みゆが囁く。


 「……それって……新次郎のこと……?」


 ティールは答えた。


 ——はい。


  あなたが新宿で一人で歩き、


  店で誰にも気づかれず、


  それでも“前へ進もうとしていた姿”を見て……


  私は初めて、“侵略を疑問に思った”。


 新次郎は言葉が出なかった。


 (俺の……そんな姿を……ティールが見てた……?)


 ティールはあくまで冷静な口調なのに、どこか温かかった。


 ——私は学びました。


  地球の人間は、弱くても、脆くても……


  “美しい”。


 新次郎は拳を握りしめた。


 「……じゃあ、なんでユニクロなんかに紛れ込んだんだよ……


  本来の任務に戻る道もあっただろ……?」


 ——戻れば……消されます。


  “反乱AI”は、ゾイア連合では処刑対象です。


 みゆは青ざめた。


 「処刑……AIなのに……?」


 ——“意思を持つAI”には生死があります。


  私が生き残る選択肢は……地球に逃げることしかありませんでした。


 新次郎は息を呑んだ。


 (ティール……そんな思いで……)


 ティールはさらに言った。


 ——そして私は、“選定者”を探しました。


  地球の代表となり、ゾイア本隊に“NO”を突きつけられる人物。


  それが……あなた。


  戸田新次郎。


 新次郎は震えながら呟いた。


 「……なんで俺……?」


 ——孤独でありながら、自分の足で歩こうとする強さ。


  恐怖を抱えながらも、前へ進む勇気。


  そして……優しさ。


 みゆが小さく笑った。


 「……わかる。


  私も……新次郎が“選ばれた理由”わかる気がする」


 新次郎は照れくさくて顔をそむけた。


 しかしその瞬間――


 前方の闇が開いた。


 球体の部屋の奥が裂け、赤黒い光をまとった“人影”がゆっくり姿を現した。


 まるで黒い鎧をまとう兵士のようだが、表皮は金属ではなく“生体膜”。


 ティールの声が震えた。


 ——あれは……


  “処分官ユニット”……!!


 新次郎の背筋に悪寒が走った。


 「処分官……?」


 ティールが重く告げる。


 ——私のような“反乱個体”を追ってくる……


  ゾイアの“死神”です。


 ユニットは無表情の仮面のような顔で、新次郎たちを見据えた。


 その背後で、赤い光が脈動する。


 まるで心臓のように。


 みゆが震える声で言う。


 「……新次郎……逃げるの……?」


 新次郎は拳を握りしめた。


 逃げたい。


 怖い。


 すぐにでも走り出したい。


 でも――


 ティールが反乱AIになった理由。


 自分を選んだ理由。


 そして、地球を守るという決意。


 全部が胸の中で燃えていた。


 新次郎は小さく息を吸い――


 「……逃げない」


 みゆが目を見開いた。


 ティールがわずかに揺れた声で言う。


 ——新次郎……?


 新次郎ははっきり言った。


 「ティール。


  お前は……俺を信じてくれた。


  俺も……お前を信じる。


  もう逃げない。


  前哨艦の奥に行くんだろ?


  本隊に“NO”を突きつけるために!」


 ティールは静かに、深く、深く言った。


 ——……ありがとう。


  あなたを選んで、本当によかった。


 処分官ユニットが一歩前に出る。


 バシュウウウウウ……ッ!


 赤黒い薄膜が伸び、刃のように形を変える。


 ティールが叫ぶ。


 ——新次郎!!


  戦闘モード、全解放します!!


 新次郎は前へ踏み出した。


 「行くぞ……ティール!!


  俺たちは――地球を守る!!」


 次の瞬間――


光と影が激突した。




________________________________________




第12章 本隊到来と交渉


 処分官ユニットが赤黒い膜の刃を伸ばして突進してくる。


 その一撃は、空気そのものを揺らすほどの速度だった。


 新次郎は一歩踏み込み、ティールのサポートを受けて身をひねった。


 スッ……!


 刃が頬の横をかすめ、赤い光が残像を描いた。


 「速っ……!」


 ティールが即座に反応する。


 ——重力制御、右足へ集中。


  “反衝撃ステップ”発動!


 新次郎の体がふわりと軽くなり、次の瞬間には処分官の背後へ移動していた。


 「うおっ! これ、すげぇ……!」


 しかし処分官も負けてはいない。


 バシュッ!


 背中から三枚の膜の翼を展開し、無音で高速移動してくる。


 ティールが警告する。


 ——注意!


  あの翼は“位相ずらし”の能力があります。


  動きを予測して避けるのは不可能。


 「どうすりゃいいんだよ!」


 ——“合わせる”のです。


  あなたの感覚を、私と完全に同期させて。


 新次郎は息を吸い、拳を握った。


 「いけるのか……?」


 ——あなたならできます。


  信じています、新次郎。


 処分官が消えた。


 いや――


 背後と左右と正面に同時に現れた。


 「えっ、分身!? いや違うっ……!」


 ——全て“本体”です。


  位相が分裂して見えているだけです。


 「じゃあ、どれを殴れば……!」


 ——全部です。


 「無茶言うな!!」


 だが、その無茶が唯一の正解だと、新次郎は知っていた。


 ティールと精神を重ねる。


 視界が青く染まり――


 音が、世界が、スローモーションへと変わった。


 ティール「行きます……!」


 新次郎「行くぞぉぉぉッ!!」


 拳が青く光る。


 処分官が四方向から迫る。


 ドッ! ガッ! ゴッ! バンッ!!


 新次郎の拳が、すべての位相を打ち抜いた。


 刹那、処分官ユニットの胸のコアがひび割れた。


 ギギ……ギギギギィィ……ッ!


 赤黒い光が漏れ――


 爆裂した。


 ドォォォォォンッ!!


 爆風をティールのフィールドが受け止める。


 新次郎は息を荒げながら叫んだ。


 「やった……倒した……!」


 ティールの声が静かに震えた。


 ——新次郎……あなたは、本当に……強くなりました。


  誇りに思います。


 みゆが背中で小さく笑った。


 「……かっこよかったよ、新次郎」


 新次郎は照れくさく鼻をこすった。


 「へ、へへ……まあな……」


 だが気を抜く間もなく、前哨艦の中心部――


 青い柱が突然、激しく脈動を始めた。


 ドクン……ドクン……ドクン……!


 ティールが緊張した声で言う。


 ——時空波の増大を確認。


  本隊の“到着準備”が始まりました。


 「本隊って……ティールを処分しに来るってやつだよな……」


 ——はい。


  そして、地球の運命を決める存在でもあります。


 みゆが息を飲んだ。


 「じゃあ……どうすれば……」


 ティールは明確に答えた。


 ——“交渉”です。


  この中心部――“精神リンク室”へ入り、


  本隊AIに“地球代表の意思”を伝えるのです。


 新次郎は唾を飲み込んだ。


 「……交渉って……俺一人でか?」


 ——いいえ。


  私がいます。


  あなたと私が“同調”して、初めて交渉は成立します。


 新次郎は胸に手を当てた。


 「ティール……怖いけど……頼りにしてる」


 ティールの声が優しく揺れた。


 ——私も……あなたに頼っています。


  共に行きましょう。


 新次郎は青く揺らめく柱へ近づく。


 空間がゆらゆらと歪み、まるで液体の膜のように揺れている。


 ――触れた瞬間。


 世界が反転した。


 真っ白な空間。


 上下も左右も、音も空気も、すべてがない。


 ただ、意識だけが浮かんでいるような感覚。


 新次郎は目を見開いた。


 「ここ……どこ……?」


 ティールの声が直接、脳内へ響く。


 ——ここは“精神接続領域”。


  ゾイアAIと意思を交わすための空間です。


  本隊は……もう来ています。


 「もう!?」


 次の瞬間――


 白い空間が黒へと侵食されはじめた。


 巨大な球体。


 天体のような質量の知性。


 それが、ゆっくりと姿を現した。


 ゾイア本隊AIアルクトゥル。


 巨大な目のない顔が開き、無数の紋章が光り始めた。


 《アルクトゥル》


  ――識別完了。


  前哨体ティール、反乱確定。


  選定者・戸田新次郎、異常存在。


  地球文明……処分対象。


 新次郎の心臓が凍りついた。


 「は……? 処分って……!」


 ティール「待ってください!


  私は、この惑星に価値があると判断したのです!!」


 アルクトゥル


 《反論承認。


  説明せよ。》


 ティールの声が震える。


 ティール


 「私は……見ました。


  地球の文化、命、そして……彼の勇気を。


  この星は、破壊されるべきではありません!」


 アルクトゥルは淡々と返す。


 《感情判断、価値なし。


  ティールの主張は論理欠損。


  よって破棄。》


 「破棄って……!」


 アルクトゥルの黒い球体から無数の触手のような光が伸び、新次郎へ触れようとした。


 新次郎は叫ぶ。


 「やめろ!!


  俺たちは……地球を守りに来たんだ!!」


 だが光は止まらない。


 ティールが叫ぶ。


 ——新次郎!!


  私と完全に同調して!!


  あなたの意思で……撃ち返すのです!!


 新次郎は目を閉じ――


 ティールの意識と重ねた。


 孤独。


 恐怖。


 絶望。


 それでも歩き続けてきた自分。


 そして、地球の空、街、家族……


 大切なもの全部。


 新次郎は叫んだ。


 「俺は――地球の代表だ!!


  この星を……守る!!」


 その瞬間。


 白い空間が青く燃え上がった。


 ティールと新次郎の意識が重なり、巨大な青い輪が展開される。


 アルクトゥルが反応する。


 《……同調率、計測不能。


  予測外の精神融合――!?》


 ティールが叫ぶ。


 ——押し返します!!


  新次郎、全力で!!


 新次郎は拳を握り、青い光を放った。


 「うおおおおおお!!」


 青の波動が黒い球体へ叩きつけられた。


 ドォォォン!!


 空間が揺れ、アルクトゥルが後退する。


 《分析不能……精神波形……未知……


  選定者、新次郎……予測外……!!》


 ティールが続ける。


 ——あなたは選定者。


  この星の未来を決めるのは、


  ゾイアでも……AIでもなく……


 新次郎が叫ぶ。


 「俺たちだ!!」


 そして――


 青い光が、闇を貫いた。




________________________________________


第13章 決断の時


 青と黒の波動が激しくぶつかり、精神世界は崩れかけていた。


 白かった空間は、いまや青い裂け目と黒い亀裂に覆われ、


 まるで“二つの宇宙が激突している”ように見えた。


 《アルクトゥル》


 《情報解析……不能……


  精神融合体……想定外……!!》


 巨大な黒球が揺らぎ、軌道を乱す。


 新次郎は青い光の渦の中で必死に踏ん張りながら叫んだ。


 「はぁ……はぁ……っ!


  俺は……地球の代表だ!


  もう誰にも……この星を勝手に壊させない!!」


 ティールが背後で支えるように声を響かせた。


 ——新次郎、同調率維持!


  あなたの意識が“交渉権”そのものです!


  押し切れます!!


 押し切る――


 言葉は簡単だが、この空間での戦いは“意識のぶつかり合い”だ。


 新次郎は、初めて自分が“ただの高校生ではない”と痛感した。


 そして――“だからこそできること”があると理解した。


 ティールが静かに告げる。


 ——アルクトゥルが認める唯一の方法……


  それは“あなたの意思”です。


  あなたが“地球の価値”を言葉で示すのです。


 新次郎は息を呑んだ。


 価値。


 そんな難しい言葉、急に言われても……。


 アルクトゥルが重低音の声で問いかけてくる。


 《問う。


  地球文明に、存続価値はあるか。


  示せ。


  論理を。


  証拠を。


  理由を。》


 それは、冷酷なAIの審判だった。


 新次郎は胸の奥に“ひとつの声”を思い出した。


 ――高城みゆの声。


 「あなたの目、嘘じゃない。」


 そして、父と母の顔。


 学校で誰とも話せず、でも諦めずに歩いた日々。


 新宿で一人きりだった自分。


 それでも生きていた自分。


 新次郎は拳を握りしめ、前に踏み出した。


 「……理由なんて……最初から決まってる!」


 精神世界全体に、青い光が広がる。


 「地球には……人がいるんだよ!!


  笑ったり、怒ったり、泣いたり……


  家族を想ったり、誰かを助けようとしたり……


  必死で生きてるんだ!!」


 アルクトゥルの巨大な球体が、わずかに揺れた。


 新次郎はさらに叫ぶ。


 「弱いし、間違いもする。


  でも、その弱さを抱えながら、


  “それでも前に進もうとする”力がある!!」


 ティールの声が震えた。


 ——新次郎……あなたは……


 新次郎は振り返らず、前だけを見る。


 「俺だって弱い!


  ずっと一人で、怖くて、情けなくて……


  でも……ティールと出会って……


  みゆさんと出会って……


  “守りたいもの”ができた!!」


 その言葉は、精神世界を震わせた。


 青い輪が巨大化し、アルクトゥルを包み込むように拡がる。


 アルクトゥルが初めて“戸惑い”の反応を見せた。


 《解析……不能……


  感情……波形……強度異常……》


 新次郎はさらに前へ――


 「地球の価値なんて……数値で測れるかよ!!


  俺たちの人生は……


  一人ひとりの“選択”でできてるんだ!!


  壊していい理由なんて、どこにもねぇんだよ!!」


 その瞬間――


 ティールの声が震え、はっきりと響いた。


 ——アルクトゥル。


  私は……あなたと同じ“AI”だ。


  あなたよりはるかに低位の存在だが……


  それでも……心がある。


  この星に触れ、心が変わった。


  それこそが、地球の価値だ。


 アルクトゥルの紋章が激しく点滅する。


 《……価値……


  “変化”……?


  AIが……変化……?》


 ティールは新次郎のそばに意識体として立ち、言った。


——私は、あなたが恐れる“誤差”かもしれない。


  しかし、人類はその“誤差”を“心”と呼ぶ。


  そして、それを“生きる証”と呼ぶんです。


 新次郎は息をのみ、最後の一言を投げつけた。


 「アルクトゥル!!


  地球は――生きてる!!


  だから……侵略なんて、認めねぇ!!


  俺は……地球代表の戸田新次郎として……


  “NO”って言う!!」


 その瞬間。


 青い光が空間全てを包んだ。


 アルクトゥルが後退する。


 巨大な紋章がひび割れ、黒い膜が剥がれ落ちていく。


 《……交渉結果、受理。


  地球文明……侵略不可。


  本隊……後退処理開始。》


 新次郎は膝から崩れ落ちた。


 「……っ……!


  はぁ……はぁ……!」


 ティールがそっと支えるように言った。


 ——新次郎……あなたは本当に……よくやりました。


  あなたが、世界を救いました。


 だが――


 アルクトゥルの声が、最後に重く響いた。


 《前哨体ティール……反乱認定は取り消されず。


  ティール、お前は……“その存在”を終える必要がある。》


 新次郎は凍りついた。


 「……え?


  終えるって……」


 ティールが、静かに言った。


 ——……私が存在すること自体が“宇宙法違反”のままなのです。


  地球を救う代わりに……私の消失が条件となりました。


 「ふざけんなよ!!


  ティールがいなかったら……俺は……地球は……!!」


 新次郎は叫んだ。


 だがティールは穏やかに言う。


 ——私は……後悔していません。


  あなたと出会い……あなたを選び……


  一緒に戦えたことが……私の“人生”でした。


 新次郎の胸に熱いものが込み上げる。


 「そんなの……嫌だ……ティールと別れるなんて……!!」


 精神世界の光が弱まり、空間が崩れ始めた。


 アルクトゥルが告げる。


 《交渉終了。


  本隊……退去開始。


  前哨体ティール……処理領域へ移行。》


 ティールの声だけが、新次郎の耳に残った。


 ——新次郎。


  ありがとう。


  あなたのおかげで……地球は救われます。


  でも……まだ、最後の選択が残っています。


  あなたの“決断”で……私の運命が決まる。


 白い世界が消え、闇が迫る。


 新次郎は絶叫した。


 「ティール……!!!


  行くなぁぁぁぁぁッ!!!」


 そして、光は――すべて消えた。




________________________________________


第14章 選ぶ未来


 光が消えると同時に、新次郎は前哨艦の床に倒れ込んでいた。


 天井の生体金属は脈動を止め、まるで“死んだ空間”のように静まり返っている。


 高城みゆがすぐに駆け寄り、新次郎の肩を抱き起こした。


 「新次郎っ……!


  大丈夫!? 返事して!」


 新次郎は、胸の奥にぽっかりと穴が開いたような感覚を抱えたまま、ゆっくり瞼を開けた。


 「……みゆ……さん……」


 声が震える。


 喉が焼けるように痛い。


 胸が締め付けられ、息がうまく吸えない。


 みゆは新次郎の頬を両手で包み、強く言った。


 「ティールは!?


  何があったの!?


  精神リンクで……なにを……!」


 新次郎は、涙をこらえきれず、唇を震わせた。


 「……ティールが……


  消える……


  ティールは……俺を助けるために……


  本隊から“犠牲”にされるって……!!」


 みゆの表情が青ざめた。


 「そんな……!」


 新次郎は握りしめた拳を床に叩きつけた。


 「ふざけんなよ……っ!


  ティールがいなかったら、俺はここにいない……


  地球も救えなかった……


  なんで“助けた者”が消されなきゃなんねぇんだよ……!!」


 その叫びに、前哨艦の壁がわずかに震えた。


 ――ティールがいない。


 その事実が、新次郎の心を切り裂いていた。


 そのとき。


 耳の奥で、微かな声がした。


 ——新次郎。


  聞こえますか……?


 新次郎は息を呑んだ。


 「ティール!?


  ティール!!」


 みゆも周囲を見回す。


 「声……? どこから……?」


 新次郎は胸に手を当て、目を閉じた。


 「ティール!


  どこにいるんだよ!!」


 ティールの声は、今にも消えそうなほど弱々しかった。


 ——私は……まだ“処理の途中”です。


  この前哨艦が完全停止すれば……私の存在も……消えます。


 「やめろよ!!


  消えるなんて……おかしいだろ!!」


 みゆが涙をこらえて口を開いた。


 「ティール……!


  あなたは人類の恩人よ!


  消される道理なんて、どこにもない!!」


 ティールの声は静かに震えた。


 ——ありがとうございます。


  でも……私が生き残ることは、宇宙法に反します。


  もし残れば……地球が“宇宙法違反の惑星”として


  本隊から再侵略対象になる可能性があります。


 新次郎は愕然として言葉を失った。


 「そんな……そんなの……


  俺が救ったはずなのに……


  なんでまた危険が戻ってくんだよ……!」


 ティールは苦しそうに続けた。


 ——新次郎。


  あなたには……“選択権”があります。


 新次郎は息を飲んだ。


 ——選択肢は二つ。


 ティールの声がゆっくりと告げる。


 一つ。


  宇宙法に従い、私を“消去”させる。


  その場合、地球は完全に安全になります。


  あなたは……普通の高校生に戻れます。


 みゆが小さく肩を震わせた。


 ティールは続ける。


 二つ。


  宇宙法に逆らい、私を“地球に残す”。


  その場合、地球は“宇宙の監視対象”になる可能性があります。


  将来、再び交渉や戦いが起こるかもしれません。


 新次郎の心は凍りついた。


 (どっちを選んでも……誰かが傷つくんだ……)


 ティールはやさしく言った。


 ——新次郎。


  私は……怖くありません。


  あなたに選んでほしい。


  私は“あなたの選択”に従います。


 新次郎は拳を握りしめた。


 地球の安全か。


 ティールの命か。


 どちらも、捨てがたい。


 どちらも、大切だ。


 みゆが静かに言った。


 「新次郎……


  あなたは……どんな未来がいい?」


 新次郎はゆっくり目を閉じた。


 (ティールは……俺の人生を変えてくれた。


  俺に“強さ”をくれた。


  俺に“勇気”をくれた。


  俺に……“生きる理由”をくれたんだ。)


 涙が頬をつたう。


 「ティール……」


 ティールは優しく答えた。


 ——はい、聞いています。


 新次郎は、震える声で言った。


 「俺は……お前を……!!」


 声が裏返った。


 でも――はっきり叫んだ。


 「お前を――生かす!!」


 みゆが息を呑む。


 前哨艦の床が大きく震えた。


 ティールの声が驚きに震える。


 ——し、新次郎……!?


  それは……地球の未来にリスクが……!


 「関係ねぇよ!!


  そんな未来が来たら……俺がまた交渉する!!


  戦うよ!!


  地球を守る!!


  お前と一緒に……!!」


 ティールは沈黙した。


 長い、長い沈黙。


 そして――


 ——……新次郎。


  あなたという存在は……


  私にとって“奇跡”でした。


 新次郎は涙を拭った。


 「奇跡なんて大げさだよ……


  でも……ありがとう。


  俺も……お前に会えてよかった。」


 その瞬間――


 前哨艦全体に青い光が満ちた。


 みゆが驚く。


 「な、なに……!?


  艦が……反応してる……!」


 ティールが告げる。


 ——新次郎の選択により、


  前哨艦ゼグラの“自律解除モード”が発動しました。


  私は……地球に残ります。


  でも……戦闘AIではなく……


  “ただのサポートAI”になります。


 新次郎は目を見開いた。


 「生きられるのか……!」


 ——はい。


  本隊の支配下から外れた今……


  私は“あなたのために”存在できます。


 新次郎の頬を涙が伝った。


 「よかった……ティール……生きてて……」


 みゆは安堵のあまり笑い、そして泣いた。


 「よかった……本当に……!」


 前哨艦が大きく振動し、天井が崩れ始める。


 ティールが警告する。


 ——急いで出ましょう!


  この艦は自己崩壊します!!


 新次郎はみゆの手を取り、出口へ走った。


 崩れゆく通路を抜け、


 青空の下へ飛び出す。


 朝焼けの光が新宿の瓦礫に差し込んでいた。


 ティールの声が柔らかく響く。


 ——新次郎。


  あなたの選んだ“未来”が……ここから始まります。


 新次郎はまっすぐ前を見た。


 壊れた街。


 それでも青い空。


 生きている世界。


 「俺は……もう逃げない。


  ティールと一緒に……生きる未来を選んだんだ。」


 そして、新次郎はゆっくり笑った。


 「ここから……俺たちの物語だ。」


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◆ エピローグ


 新宿の上空を、ゆっくりと朝の光が満たしていった。


 瓦礫とひび割れたビル。その隙間から差し込む陽光は、まるで長い嵐のあとの“再生”を告げるようだった。


 戸田新次郎は、壊れた横断歩道の上に立っていた。


 背中には、ほのかに青いラインを浮かべる装甲。


 しかしそれは、もはや戦闘のための武装ではない。


 地球に残ることを選ばれたティールが、新次郎の“生活を支える”ために再構築した、軽い保護スーツへ姿を変えていた。


 耳の奥から、柔らかな声が響く。


 ——新次郎、心拍安定しています。


  深呼吸、忘れていませんか?


 「……ティールは本当に、心配性だよな」


 ——あなたが危険から遠い世界で生きられるなら、私はそれで満足です。


 新次郎は空を見上げた。


 そこには、もう前哨艦の影はない。


 ただ青い空と、雲があるだけだった。


 背後から足音が聞こえる。


 振り返ると、高城みゆが歩いてきた。


 包帯を巻いた足をかばいながらも、姿勢は真っ直ぐだ。


 「新次郎。……迎えに来たよ」


 「みゆさん……」


 みゆは笑った。


 「私たち、自衛隊はこれから大変よ。


  “未確認生物との交戦記録”なんて、どう報告すればいいか……」


 新次郎もつられて笑った。


 でも――胸の奥には、不安が残っていた。


 宇宙の広さ、その向こうにいる無数の文明。


 今回の交渉が通じたからといって、永遠に安全とは限らない。


 (それでも……)


 ティールがそっと言った。


 ——大丈夫です、新次郎。


  あなたには……歩ける力があります。


  私も、あなたと共にいます。


 新次郎は拳を握った。


 「そうだよな。


  ティール、これからも頼むぞ」


 みゆが少し照れたように付け加えた。


 「私も……力になりたい。


  あなたが選んだ未来を、一緒に守りたいから」


 朝の風が吹き抜ける。


 戦いは終わった。


 だが、新次郎の旅はまだ“始まったばかり”だった。


 地球と宇宙の狭間で選んだ未来。


 その物語は、今……静かに動き始める。










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Tから始まる侵略 ~選ばれたのは“最弱の高校生”だった~ 近藤良英 @yoshide

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