冷えた卵の殻の中
古知 新作
冷えた卵の殻の中
さてまた新しい1日が始まるぞ。高校に入学して初めての冬休みが始まった僕は朝日を浴びて目を覚ました。
枕元においてあるスマホを取るために羽毛布団から腕を出すと、とんでもなく寒い。まるでアラスカ、南極、八寒地獄だ。はっきり言ってこんなに不愉快なことはない。スマホを見ると、ロック画面の時計が午前9時00分を表示していた。
寒いし、まだ眠いし、今日は1日中こもっていようか。そう思って布団を頭からかぶってみる。体温で温められた布団は心地良い。天国だ。でもさっきまで無かった空腹感が胃を中心に広がっていく。
寒さと空腹を天秤にかけてみて、朝ごはんを食べてまたここに戻ってくればいいや。そう思った僕は温もりのこもった愛しい布団をめくって体を起こす。無意識にぐぐぐと体を伸ばし体中の血が巡り始めたように感じると眠気が収まってしまった。しまったと思ったが人間そういう風にできているのだ仕方ない。
着替えて部屋から出ると、シン……と静かに凛とした空気が漂っている。もうお父さんもお母さんも仕事に行ってしまったようだ。まぁいつものことだから別に良いのだけど。キッチンに行くと机に置き手紙があった。
「ご飯は冷蔵庫にあるものを自由に使ってください。あと部屋の掃除をしておくように」
どうしようか悩んだ末、洗い物が面倒くさいし、凝った物を作れる器用さもないので簡単に卵かけご飯にすることにした。炊飯器を開けると熱い湯気が周りの空気を白くする。炊きたてのお米の温かみと匂いに癒やされながら、お茶碗を取り出してご飯を山盛りにすると米粒一つ一つが輝いて神々しさを感じさせた。箸で真ん中に穴を開けて、卵を取ろうと冷蔵庫を開けると今度は冷気が出てきて湯気で温められた体が思わず身震いをしてしまった。耐えられずサッと卵と醤油瓶を引っ掴むとドアを勢いよく閉めた。机にお茶碗を静かに置いて、勢いよく座ればさぁこの空腹感からおさらばする準備はOKだ。
「いただきます!」
命と生産者に感謝すると、お茶碗の端にヒンヤリした卵を打ち付けてヒビを入れて作った穴に向かって投下した。殻の中から現れた黄金色の黄身はそのまま穴へホールインワンを決めた。初めは白身に指を突っ込んだり、殻が入ってしまうこともあったことを思い出すと我ながら卵を割るのも随分うまくなったと思う。醤油をかけてかき混ぜるとご飯が白色から黄金色に染まっていく。そしてそれを一気にかき込むとご飯の熱と卵の旨味と醤油のいい感じのしょっぱさが口いっぱいに広がった。うん。こいつはいつ食べても美味しいものだ。30回噛んでしっかり味わっておこう。
「ごちそうさまでした!」
米粒一つ残さず食べ終わり、この料理を最初に思いついた人に感謝した。
お茶碗を洗い終わりスマホでSNSを見ていると、クリスマスの広告が流れてきた。
スマホのカレンダーを見ると今日は25日。つまりクリスマス当日だ。
そうか。じゃあお父さんが帰りに多分ケーキを買ってくるはずだ。今年は何ケーキだろうショートケーキかな、それともチョコレートケーキかな、もしかしたらフルーツケーキかもしれない。
今日の楽しみが一つ増えたところで、頼まれていた掃除をやってしまおう。
マスクを付け、掃除機を持って部屋へ行き、換気しようと窓を開ければ
あ゙あ゙ぁ゙ぁ゙ぁー寒い!寒い!寒い!駄目だ!地獄だ!外に地獄がある!
命を削り取る冷気を受けて、換気は止めておこう。生命維持ができなくなる前にドアや窓を締めて冷気から身を守る殻を作った。
もう嫌だ。さっさと終わらせて布団の中にこもってやる。
カーペットに掃除機を力いっぱい押し付けながらかけると、絡まったホコリがどんどん中のタンクへ溜まっていく。うわっ。汚い。沢山溜まったホコリを見るとこの部屋にいるほうが生命に悪いかもしれない。周りを見渡すと本棚にもホコリが沢山積もっている。あそこも掃除しなければ。
あ。何だっけこれ。ホコリの積もった本やらゲームソフトを見て、頭を捻って思い出す。そうそう。思い出した。昔僕が好きだったもの達だ。懐かしいなぁ。
懐かしい?
どうだったかな。
今までを振り返ってみると僕は昔から変な子供だ。幼い頃から親からどこで知ったのと言われるくらいみんなの知らないものばかり好きになるから、好きなものの話になってもみんなを困らせるか、「へぇ、そんなのあるんだ」でスルーされるかのどちらかで、変わり者扱いの僕はいつも一人ぼっちで辛くて自分の感性を呪った。
「もっと周りに合わせないと駄目だぞ」
そんな僕を心配していたのだろう。お父さんはいつも言っていた。だから高校に入学したら変わろうと、僕は今まで好きだったものを心の奥底へ殻で閉じ込めて周りに合わせて生き始めた。
初めは上手くいっていた。周りで流行っているものをちゃんと答えられたお陰で人と関われるようにはなれたから。でも一人ぼっちは嫌だから、変わり者と思われたくないから、そんな偽りの好きではやっぱり駄目で。
本当に好きなんだと分かるあの人は熱量が違っていて、生き生きしていて楽しそうだった。僕はその中で過ごしていくのが日に日にいたたまれなくなって、しんどくなったのだろうか。黒いものが溜まっていった。それでも僕はまた親に心配してほしくないからとその気持ちも閉じ込め、あの頃と違って自分は元気だ幸せだと思い込んで今日まで生きてきた。それに気づいたら自分は何をしにこの世界に生まれたのか分からなくなってあの頃よりもずっと辛いし寂しくなった。
何となく漫画を一冊手にとって見る。ホコリをフッと吹き飛ばし、正座して読んでみたら面白い。面白いじゃないか。初めて読んだあの頃と全然変わらない。あぁこのキャラいつもバカだったな、ここのシーン好きだったな、あのバカこんな死に方しやがって。こう思い出に浸っていたら気づいたら一冊どころか全巻読んでしまった。
最終巻をパタンと閉じて考える。僕はこのまま生きて良いんだろうか。いや駄目だ。そう思うと閉じ込めてきたはずの本音が溢れてきた。一人ぼっちになるから何だ。変わり者だと思われるから何だ。自分らしく生きられないことのほうがよっぽど不幸じゃないのかと。
この本棚にあるものは自分の一部だ。一つでも欠けていたら今の自分はない。閉じ込めておく必要なんてないんだ。そう大切に思うと愛おしくなってちゃんと掃除しなきゃなと思った。
掃除が終わってだいぶ時間が経ち、すっかり暗くなってしまった。するとスマホから着信音が鳴った。
「俺の家でパーティやるんだけど君も来る?」
あの人からだ。どうしようかなと思ったら両親が帰って来た。
「お父さん、お母さんおかえり!実は友達の家でパーティに誘われたんだけど」
「行ってきなさいな。ねぇあなた」
「あぁ。楽しんでおいで。ケーキは明日食べればいいよ」
「ありがとう!じゃあ、行ってきます!」
両親からの承諾を得た僕は手土産に家にあったお菓子を持って外に出た。冬の乾いた風が吹いているけどもう寒くない。みんなに少しずつでいいから本当のことを言おう。でも、もしかしたらまた一人ぼっちになるかもしれない。変わり者だと思われるかもしれない。だけど周りの人と違ってもいいじゃないか。とにかく自分らしく素直でいこう。そう決意した僕は自転車の前カゴにお菓子を積んでクリスマスで賑わう街を駆けていった。
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