第2章 「戸惑いの身体」

咲は慌てて椅子に腰を下ろした。だが、どうしても手足が自分のものではない感覚が消えない。

「まさか…これって、本当に…?」


目の前には風間蓮の顔――自分の顔を見下ろす蓮。彼の瞳は混乱と驚きで揺れていた。

「お、お前……なんで俺の身体に…!」

咲の声は高く震えた。自分の口から出る声ではない、低く響く蓮の声で。


「わ、私だってわからないよ! でも…なんか、こうなっちゃったの!」

咲は必死に言い訳をしてみるが、蓮の眉間の皺は深まるばかり。


教室のざわめきも、突然の沈黙に変わった。水野美咲は息を呑み、遠巻きに二人を見つめる。

「……うそ、これって、もしかして入れ替わってるの?」

美咲の声に咲は大きく頷く。心臓が跳ねる。これからどうなるのか、想像もつかない。


「……仕方ない。まずは、俺たちの身体を元に戻す方法を探そう」

蓮の口から出た言葉は、冷静そうに聞こえた。だが、その声の奥に、ほんのわずかな戸惑いが隠されていることを咲は見逃さなかった。


「う、うん…!」

咲は頷いたものの、身体を動かすたびに奇妙な違和感が走る。歩き方、座り方、手の動かし方まで――すべてが他人のものになったような感覚だ。


その日の昼休み、咲(蓮の身体)は蓮の机に座り、普段通りの態度を装おうとするが、クラスメイトの視線が刺さる。

「お、おい…蓮、今日はなんか…変じゃないか?」

男子も女子も気づく微妙な違和感。咲は小さく息を吐き、心の中で泣きそうになった。


一方、蓮(咲の身体)は、柔らかい椅子に座りながら、自分の指先がこんなに細く小さいことに気づく。

「……これ、結構疲れるな」

普段は意識しない日常の動作も、咲の身体では全く違った感覚になる。蓮の頬がわずかに赤く染まったのは、誰にも見られていないと思ったからだ。


放課後、二人は教室に残って相談を始める。入れ替わりの理由も方法も、何一つ分からないまま、ただ互いの生活を代わりに送るしかなかった。

「明日からどうする…?」

「うーん、とにかく、蓮のフリをして学校生活をやり過ごすしかない…かな」

咲は苦笑するが、心の奥では少し楽しみな気持ちも芽生えていた。だって、普段は近づけない蓮の生活に触れるチャンスが、今目の前にあるのだから。


蓮もまた、咲の身体で歩く自分に不思議な高揚を覚えた。

「……いや、でも、これはまずいな。咲の生活、意外と細かいこと多すぎる」

そう言いながらも、蓮は小さく笑った。普段は見えない咲の世界に触れ、少しだけ心が近づいた瞬間だった。


そして、その日の帰り道。夕焼けに染まる校庭を歩きながら、二人は互いの心に芽生えた小さな感情を、まだ言葉にできずに抱え込むのだった。


(私、蓮のこと、少しだけ好きかも…?)

(……咲、意外と強くてかわいいな)


入れ替わりの戸惑いとともに、胸の奥で芽生えた小さなときめき。それは、まだ二人だけの秘密だった。

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