【9】
「これ、何でしょうか?」
僕は足元に転がっていた、黒く細長い塊を拾い上げて、頭上に掲げた。大きさは人差し指ほど。けれど、見た目に反してずいぶん軽く、触ると中がスカスカなのが伝わってくる。よく見ると、細かな繊維のようなものまで混じっていた。
「……燃えカスじゃないか? 木か何かが焼けたみたいな」
折原さんはそれをじっと見つめ、やがて遥香さんへ顔を向けた。
「バルコニーで火を使ったことはありますか? バーベキューとか……あとは、干物を焼いたりとか」
「いえ、ありません。洗濯物も乾燥機を使っているので、バルコニーに出ること自体、ほとんどなくて」
遥香さんも困惑している。普通に暮らしていれば、バルコニーに燃えカスのようなものが残っているはずがない。しかしよく探してみると、似たような塊がいくつも見つかった。
「影が消えるのは、決まって窓から外へ出たあと。つまり、私たちが今立っている、このバルコニーってわけだ……」
折原さんはそう言いながら、ポケットから小さなジッパー付き袋を取り出し、その塊を入れて封をする。こういう物的な手がかりがあると、彼女は必ず持ち帰り、なぜか正体まで突き止めてしまう。やり方を尋ねると決まって「助っ人に解析を頼んだ」と言うのだが、僕はその助っ人とやらに一度も会ったことがない。
その後も手分けしてバルコニーを調べてみたが、それ以上の手がかりになりそうなものは見つからなかった。
陽も傾きはじめている。いったん部屋に戻り、今後の方針を遥香さんと擦り合わせることにした。
「とりあえず、今日得られた情報をもとに、遥香さんを追い詰めている現象の正体を突き止めようと思います。ひとつ教えていただきたいんですが……例の怪談を話していたユーチューバー、何か特徴を覚えていませんか?」
「特徴、ですか」
「ええ。チャンネル名でも、呼び名でも。探す手がかりになりそうなものが欲しくて」
「うーん……」
遥香さんは眉を寄せ、テーブルの上をぼんやり見つめた。
「そこまで、はっきりとは……でも、髪の毛がすごく派手でした。ピンク色で、蛍光マーカーみたいな」
「ピンクの髪の男、と」
「はい。その人がずっとしゃべっていて、隣に……マネージャーさんみたいな女性がいました。小柄で、メガネの」
「名前は出てませんでしたか?」
「名前……」
遥香さんの視線が宙をさまよい、しばらく考え込む。
「たしか、誰かが呼んでました。ミナミカワ……だったかな。『ミナミカワちゃん、ビビってるの?』って」
「ミナミカワ」
折原さんは小さく復唱し、その名を手帳の隅に書き留めた。
「ありがとうございます。そのユーチューバーが見つかれば、話は早いです。こちらでも当たってみます」
そこで言葉を切り、折原さんは不自然な間を空けた。首をかしげる遥香さんを見て、言葉を続ける。
「それから……遥香さんに、やっていただきたいことがあります」
「はい……なんですか?」
「環境を変えてください。具体的には、今日から一週間、ホテルに泊まってください」
「えっ……今日からですか?」
「はい。ビジネスホテルで十分です。とにかく、この部屋からいったん離れる必要があります。火種になっているのがこの部屋なのか、“遥香さん自身”なのかを切り分けるためです。怪談のとおりなら……残念ですが、後者の可能性が高い」
遥香さんの視線が、部屋の中をゆっくり一周した。
「仕事もあるので、ずっと家にいたいのが本音なんですけど……わかりました。ホテル、探します」
「お願いします。機材一式をお貸ししますから、ホテルでも観測は続けてください。……少し重いですけど」
折原さんが苦笑すると、遥香さんもつられて口元を緩めた。
一通り話が片づき、僕は椅子の背にもたれて肩をぐっと回した。凝っていた首筋が、鈍く鳴る。さて、今日はもう終わりかな——そんな空気が部屋に降りてくる。折原さんも手帳を閉じ、遥香さんに向けて「では」と言いかけた、そのときだった。
「あの……私からも、一つ聞きたいことがあるんですけど」
遥香さんが遠慮がちに口を開く。言い出していいのか迷っていたのだろう、指先がきゅっと握られている。
「私、お二人のことを友人から聞きまして……その子に紹介されて、連絡したんです。こういうの、普段はあまり信じてないんですけど……」
言葉を濁しながらも、遥香さんは続けた。
「でも、その友人の住むマンションで、一度“問題”を解決されたことがあるって聞いて。それで……」
「マンション……」
折原さんは、目線を上に動かしながら言葉を探す。
「それは、空き部屋から夜な夜な音がする、という話でしたか?」
「たしか、そうです。ひとり暮らしのおばあさんが亡くなったあと、その部屋から音が聞こえてくるとか、なんとか」
遥香さんは、少しだけ声を落として続ける。
「……こんなこと、聞いていいのかわかりませんけれど、そのときはどうやって解決されたんですか? あまりこういう話って、詳しくなくて」
横目にうかがうと、遥香さんは前を向いたまま、探るような目つきで折原さんを見つめていた。言葉の裏にある気持ちはわかる。ついさっき知り合ったばかりの、「霊視探偵」なんて得体の知れない僕たちを本当に信用していいのか、まだ決めきれていないのだ。
「もちろんいいですよ。安心してください、胡散臭いお祓いをやっているわけではないので」
折原さんは一瞬だけ息を吸って、それから語りだす。
「話すと長いのですが……あれは、確か去年の夏前くらいの出来事でした」
その言葉をきっかけに、僕もあの事件の顛末を、ゆっくりと思い出していた。
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