【2】

 ピンク髪の男が、ふっと口を閉じる。最後の言葉だけ、半音落とした低い声で区切るように言って、それきり何も話さない。人前で話すのを生業にしているだけあって、そのあたりの間合いは完璧だった。


 ふと気づくと、さっきまでざわついていた店内が、いつのまにか嘘みたいに静まり返っている。カップを受け皿に戻す小さな音さえ、やけに遠い。マネージャーらしき女性が、ごくりと唾を飲み込む気配がして、その喉の動きまで見えるような気がした。


 たまに、こういう瞬間がある。誰かが合図したわけでもないのに、みんなが一斉に息をひそめるとき。どこかのことわざで、たしかこういうのを「天使が通る」と言うのだったか。そう思ったところで、さっきまで耳障りなほど流れていた店内BGMが、いつのまにか途切れていたことに気がついた。


「――っていう話なんだけどさ、よくない?」


 ピンク髪がぱん、と軽く手を打った。さっきまでの低い声とは打って変わって、元の調子のいい高さに戻っている。


 すると、緊張の糸を断ち切るみたいに、周囲の雑音がどっと一度に耳に流れ込んできた。私も、ようやく息を吐く。無意識のうちに胸のあたりが固くなっていたことに、そのとき気づいた。


 ……まあまあ、かな。


 緩んだ口元を隠すように、空になったアイスカフェラテのストローをそっと唇に当てる。まあ、現代版のコックリさんってところか。いつの時代にも、そういう話は尽きない。私の学生時代は、願いが叶うチェーンメールなんてものが流行っていたっけ。もう二十年も前のことになるが。正直、期待していたほどのゾッとするオチではなかったけれど、都市伝説としてはそれなりに形になっている。その程度の話だ。


 そう思って笑い飛ばそうと思った、その時だった。ふと、自分の腕に細かな鳥肌が立っていることに気がつく。あれ、今の話で? 私はそんなに怖がりだっただろうか。気のせいだと思い込もうとした途端、今度は背筋にぞわりと冷たいものが走って、思わず身震いする。


 ただの寒気とは違う。まるで胸の奥を誰かの手でぎゅっとつかまれたような、不思議な感覚がそこにあった。


「いやあ……結構怖いですね。それで、お礼ってどうやってするんですか?」


「え、なに? 南川ちゃん、もしかしてビビってる? 本当、なんでも信じちゃうタイプだよな」


 隣の席から聞こえてきた声に、はっと我に返る。けれど、胸の奥に残った違和感だけは、まだかすかに消えずにいる気がした。


「だって! 本当かもしれないじゃないですか! 幽霊に取り憑かれるなんて、絶対嫌ですし!」


「はいはい。じゃあね、そのお礼の方法ってのは――」


 ピンク髪の男が、マネージャーに向かって得意げに声を張り上げる。だが、その先を聞くことはできなかった。ちょうどそのとき、私の目の前に淡いブルーのシャツを着た女性が現れたからだ。


「ちょっと遥香、何よ、ケーキ食べてるじゃない。私の分は?」


 目の前に現れたのは、会社の同期、吉田真美だった。口を尖らせながら、どさっと向かいの席に腰を下ろす。しまった――ついユーチューバーの会話に気を取られていて、ケーキを食べきるタイミングを逃してしまった。皿まで返して、証拠隠滅しておくつもりだったのに。


「映画が始まるまで、まだ少し時間あるよね。だったら、私もケーキ頼んでいいでしょ?」


 無邪気に目を輝かせる真美に、私は観念したように小さく頷いた。

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