【11】
大西遥香さんと初めて会った日の夜のこと。
澤村カナメが折り返し電話をかけてきたのは、二十一時を過ぎたころだった。
「……で、何の用?」
開口一番、それだった。相変わらず遠慮というか、容赦がない。
「久しぶり。急にごめん」
「ごめんじゃなくて、何の用かって聞いてるの」
通話口の向こうで、眉間にしわを寄せている彼女の顔がありありと目に浮かぶ。カナメは大学のゼミの同級生だった。特別仲が良かったわけじゃない。けれど社会人になってからも連絡を取り合っている、数少ない相手のひとりだった。連絡が続いている理由は単純で、僕がたまに彼女に“調べもの”を頼むからだ。
「ちょっと調べてほしいものがあって」
「また? 前も言ったけど、私、便利屋じゃないからね」
言葉の端が尖っている。僕は反射的に背筋を正し、次に出す言葉を頭の中で組み立て直した。機嫌を損ねたら、そこで終わりだ。
カナメは今、「週刊太陽」の記者として、あちこちを飛び回っているらしい。事件、事故、スキャンダル。ネタのありそうな場所ならどこにでも顔を出し、取材先を転々としながら、締切に追われる生活を送っているのだそうだ。
だから、“スミオさん”のようなオカルトめいた噂を掘り起こす役目なら、彼女以上の適任はいない。少なくとも、僕にとっては、他に当てにできる相手が思い浮かばない、唯一の頼みの綱だった。
「うん、わかってる。でもほんとに助けてほしくて」
「……まだあの変な副業やってるの? “霊視探偵”の助手だか、なんだか」
出た、と思う。ここは毎回通る関門だ。
「うん。まあ……そんな感じ」
「そんな感じ、って何よ。あんた、昔から歯切れ悪いよね」
容赦なく飛んでくる言葉に、返す言葉もない。
「私だって暇じゃないんだから。いま例の火事の取材で忙しいの」
火事――おそらく、ここ半年で都内で何度も発生している、小規模な火事のことだろう。どれも派手な大火災じゃないし、事件性も特にないという。だが、短期間に何度も発生しているせいでちょっとした話題になり、最近ではワイドショーなんかでも取り上げられるようになっていた。週刊誌の記者は、そういう話に目ざといのだ。
「で、何を調べればいいの?」
ようやく本題に入ってくれる。僕は少しだけ安堵して、メモ帳を引き寄せた。こういうとき、口頭でだらだら説明すると突っ込まれる。要点だけ言うのが吉だ。
「“スミオさん”っていう怪談があるらしくて。その内容を調べてほしいんだ」
「スミオさん? ……なにそれ、全然怖くなさそうな名前」
「だよね。僕もそう思った」
思わず即答してしまい、自分で少し笑う。幽霊の名前というより、町内会のおじいちゃんみたいな雰囲気だ。
「で? 内容って?」
「それが、途中までしかわからなくて。だから、どんな話なのか、最後までわかると助かる」
受話口の向こうで、短く息を吸う音がした。すぐに、爪で何かを弾くような音がして、続いてキーボードを叩く乾いたリズムが始まる。カナメは会話をしながらでも、もう手を動かしているらしかった。
「あと、もうひとつ……ピンク色の髪のユーチューバーが、"スミオさん"の話を知っているかもしれなくて。そいつも探してほしい」
「は? それくらい自分で探しなさいよ」
一蹴だった。胸の奥がひやりと縮み、言葉が喉につかえる。
「いや、探したんだよ。結構ちゃんと。……でも、それらしいチャンネルも動画もないんだ」
「消されたんじゃないの」
「かもしれない。でも、名前もわからないし、手がかりが少なすぎて」
カナメは面倒くさそうにため息をついた。
「ユーチューバーの追跡は、悪いけど自分でやって。別にネットで適当に検索すれば出てくるでしょ。私がやる必要ない」
「うん……それはそう」
ごもっともだ。僕は黙って、スマホの縁を親指でなぞった。
「でもまあ、“スミオさん”のほうなら調べてみるわよ。うちにもオカルト詳しい人いるし、何か知ってるかもしれない」
「ありがとう、助かる」
カナメが何かを操作する音がする。キーボードだろう。仕事のスイッチが入ったときの、乾いたリズム。
「で、いつまでに?」
「できれば早めに……」
「はいはい。期待しないで待ってて。……というかさ」
一瞬、カナメが黙る。興味が湧いたのか、呆れたのか、判別がつかない沈黙だった。
「ずっと気になってるんだけど、その“霊視探偵”とやらって、本当に霊が
僕は天井を見上げて、答えを探す。
「……たぶん、
折原さんは、と心の中で付け足す。カナメは大きく息を吐いた。
「そんな人の頼み、いいかげん断ればいいのに」
「いや、違うんだよ。あの人はそんなに悪い人じゃない」
「どうだか」
カナメの折原さんに対する評価はすこぶる低い。こっちはありのままを話しているだけなのに、なぜか彼女の中では、折原さんは胡散臭い詐欺師みたいな人になっていた。僕が口下手なのもある。でもそれ以上に、会ったことのない人に、誰かの輪郭を正確に伝えるのは無理がある。言葉って、思っているよりずっと頼りない。
「まあ、いいや」
カナメが鼻で息をつく。
「それより、最近ずっと取材続きでさ。甘いものがあればもうちょい頑張れるんだけど」
「甘いもの」
「うん。例えば、ほら、中目黒のアイムドーナツとか。あそこ相変わらず並ぶじゃん。並んでまで食べる気力はないんだけどさ」
言いながら、わざとらしくため息を挟む。
「それに、値段もまあまあ高いんだよね。ほんと、こういうとき誰かが差し入れしてくれればいいのに。ないんだよね」
同じような愚痴が、角度を変えてもう一度、二度。僕はようやく察して、観念した。
「……わかった。今度買っていくよ。ドーナツでも何でも」
「えー、ありがとう」
礼を言う声が驚くほど棒読みで、逆に清々しい。
「じゃ、期待してるから。スミオさんの件は調べとく」
「うん、頼む」
「はいはい。じゃ」
ぶつり、と通話が切れる。相変わらず一方的だ。けれど、彼女は「調べとく」と言ったものはきちんと返してくれる。そこは信頼できる相手だ。
僕は画面の暗くなったスマホを見下ろして、ようやく息を吐いた。
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