第6話

3. 静寂の熱死


「ふ、ふざけるな! たかがファイアーボールで、俺の奥義を……!」


 ヴォルカンは恐怖に突き動かされるように、残りの魔力の全てを短杖に込めた。

 だが、遅い。


 イグニスが、指先を弾いた。

 

 ――パチン。


 その瞬間、アリーナから「音」が消えた。


 爆発音ではない。空気そのものが一瞬で「消失」し、真空が生み出されたことによる、鼓膜を圧迫するような不気味な静寂。

 

 放たれたのは、一粒の種火。

 それはヴォルカンの放った爆炎を紙細工のように切り裂き、彼の横を通り抜けた。


 直後。

 ヴォルカンの背後にあった、学院自慢の対消滅防護壁に、「円形の穴」が空いた。


 崩落すらしない。石材が熱で溶ける暇さえなく、その領域にある物質が「存在ごと消滅」したのだ。切り口は鏡面のように滑らかで、月光のように青白い熱を帯びている。


「……あ、が……」


 ヴォルカンは膝から崩れ落ちた。

 熱くない。

 むしろ、寒かった。

 あまりにも圧倒的な熱量に触れた周囲の空気が一瞬で燃え尽き、猛烈な「冷え込み」がアリーナを支配したのだ。


 これが、イグニスの磨き上げた極致。

 熱を圧縮し、重力すら操作する特異点――『事象の地平線(イベントホライズン)』を伴う、真理の火。


「……やりすぎたな。師匠に怒られる」


 イグニスは、消えゆく種火を眺めながら小さく零した。

 会場には、静寂だけが降り積もっている。

 生徒たちも、教師も、何が起きたのかを理解できずに、ただ口を半開きにしていた。


 ただ一人、セレスティアだけが、その美しく恐ろしい「光」に魅了され、震える手で自分の胸を押さえていた。


「……あれが、第一階梯魔法? 冗談じゃないわ……」


 彼女は理解してしまった。

 今まで自分たちが「魔法」と呼んでいたものは、彼の放った「種火」の残り火にすら及ばない、ただの子供騙しであったことを。


 イグニスは誰を見ることもなく、アリーナを後にした。

 彼の目的は、賞賛を得ることではない。

 ただ、あの日見た師匠のじゃロリの、あの絶対的な炎に、一歩でも近づくことだけなのだから。


(おい、イグニス! 今日の夕飯、何がいいかのう。お主の好きな、油揚げの入った汁物でも作るかの)


 脳裏に浮かぶのは、偉大なる師の尊大な笑顔。

 イグニスの本当の戦いは、まだ始まったばかりだった。

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