第2話
2. 欠陥と極致
それから、地獄のような一年間が過ぎた。
アストラルの隠れ里での修行は、およそ人間が耐えられるものではなかった。
魔導の深淵を歩く彼女にとって、弟子の修行とは「死ぬまで負荷をかけ、死ななかったら次の負荷をかける」という単純なものでしかなかったからだ。
「イグニスよ。お主の魔力回路、やはり救いようがないのう」
ある日、アストラルは茶を啜りながら、淡々と言い放った。
修行を始めて三年。イグニスの身体的特徴が判明していた。
『魔力回路固着症』。
生まれつき魔力の通り道が極端に狭く、かつ形状が固定されている。どれほど膨大な魔力を練ろうとも、それを複雑な術式へと変換することができない。
彼が使える魔法は、初等教育で教わる第一階梯魔法――『ファイアーボール』。それたった一つだった。
「……師匠。俺は、これしか使えないんですか」
「そうじゃ。お主は一生、その幼児の遊び道具のような火の玉を転がすことしかできぬ」
イグニスは、震える自分の手を見つめた。
両親を殺した魔獣。それを一瞬で消した、あの白銀の輝き。
それに届かないという宣告。
だが、アストラルは不敵に笑い、彼の額をデコピンで弾いた。
「莫迦者が。一つしか使えぬなら、その一つで全てを殺せばよかろう」
「え……?」
「手札の多さは、迷いの証。真理とは常に単純なのじゃ。熱とはエネルギーであり、エネルギーとは万象を動かす力。お主はその豆粒のような火を、恒星の心臓になるまで磨くのじゃ。重力を生み、時空を歪め、
その日から、イグニスの修行は変質した。
新しい魔法を覚えることを捨てた。
ただ、一発のファイアーボール。
その『温度』を上げ、その『密度』を上げ、その『速度』を上げる。
ただそれだけに、五年の歳月の全てを注ぎ込んだ。
そして。
「……師匠。もう、これ以上は圧縮できません」
「ほう」
イグニスの指先。そこに浮かぶのは、パチンコ玉ほどの大きさの、黒い縁取りを持つ青白い球体。
それはもはや「火」ではなかった。
周囲の空気が強烈な熱量と重力に引き寄せられ、キチキチと悲鳴を上げている。
「ようやく、わしの昼寝を邪魔できる程度の熱になったようじゃのう。よし、合格じゃ。お主、人間ども里に降り、学校へ行け」
「……はい?」
突拍子もない提案に、イグニスは目を丸くした。
「わしは飽きたのじゃ。お主の作った飯は美味いが、六年も同じ顔を見ておるのは退屈でかなわん。世の中には、お主のような欠陥品を『無能』と呼んで喜ぶ愚か者が大勢おる。そ奴らの鼻面を、その種火で焼いてくるのじゃ。これは命令じゃぞ?」
そう言って、アストラルは無理やり推薦状をイグニスの胸に叩きつけた。
こうして、世俗から隔絶された怪物に育てられた青年は、王立魔導学院という、エリートたちの巣窟へと放り込まれることになった。
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