あんなにも人がいるのに、何故か見つけられた
数千という観客が熱狂し、地鳴りのような歓声が響き渡る会場。その圧倒的な人波の中で、カイルの瞳はただ一点、観客席に座るコハルの姿だけを正確に捉えていた。
(……いた。本当に、いた)
胸の鼓動は、激しい試合の後だというのに一向に収まる気配がない。カイルは浮き足立つ自分を必死に抑え、どう声をかけるべきか迷いながら、一歩、また一歩と彼女の元へ近づいていった。野生の勘で獲物を追う時とは違う、経験したことのない緊張に指先がわずかに震える。
その時だった。
隣の観客と話していたコハルが、ふとした拍子にくるりと振り返った。逃げる間も、隠れる間もなかった。二人の視線が、熱を帯びた空気の中でまっすぐにぶつかり合う。
「あ……!」
コハルが目を見開いた。驚きは一瞬で喜びへと変わり、彼女の顔にひまわりが咲いたような、輝かしい笑顔が広がる。彼女は座席を立ち、人混みを縫うようにしてカイルの元へ弾んだ足取りで駆け寄ってきた。
「カイルさん! 試合、見てました! すっごく、すっごくカッコよかったです……!」
至近距離で浴びせられた、濁りのない称賛の言葉と、自分だけを真っ直ぐに見つめる眩しい笑顔。 その瞬間、カイルの理性が焼き切れた。
心臓が跳ね上がり、全身の血液が沸騰したかのように顔へと駆けのぼる。 「う、あ……」 言葉にならない呻きが漏れ、耳たぶまで真っ赤に染まった。あまりの気恥ずかしさと高揚感に、自分の体からボッと炎が噴き出してしまうのではないかという錯覚に陥る。
山奥でどんな猛獣と対峙しても冷静だった少年が、たった一人の少女の言葉で、完ぷなきまでにノックアウトされた瞬間だった。
「良かったら、一緒に続きを見ませんか?」
コハルはいたずらっぽく、それでいて慈しむように微笑むと、迷いのない動きでカイルの大きな手を取った。
「ほら、こっち!」
その瞬間、カイルの思考は白く弾け飛んだ。初めて触れる、女の子の手。山での暮らしで触れてきた、無骨な斧の柄や、ゴツゴツとした岩肌、荒い獣の毛皮とは、あまりにもかけ離れた感触。まるで春の陽だまりを形にしたような、驚くほどの小ささと柔らかさだった。
(……なんだ、これ。壊れそうだ)
カイルは、繋がれた手に全ての意識を注ぎ込んだ。一歩歩くごとに、自分の指先にどれだけの力がかかっているか、繊細な魔法を操る時以上に慎重になる。強く握れば潰してしまいそうで、かといって緩めれば、この奇跡のような温もりが指の間から零れ落ちてしまいそうで。壊れ物を扱うような、もどかしくも愛おしい緊張感が、繋いだ手から全身へと伝わっていく。
二人は並んで座り、決勝戦の火蓋が切って落とされるのを待った。周囲は相変わらず耳をつんざくような歓声と熱気に包まれている。人混みに慣れていないカイルにとって、今はその喧騒さえも心地よいBGMに過ぎなかった。
すぐ隣には、試合の行方に一喜一憂し、瞳を輝かせるコハルがいる。彼女が笑うたびに、カイルの胸の奥には温かな光が灯っていった。試合の内容なんて、もう半分も頭に入っていない。ただ、彼女の横顔を、その弾けるような笑顔を、一秒でも長く見ていたかった。
ずっと、この時間が続けばいい。山へ帰りたくない。この温かな体温のそばに、この賑やかな街の片隅に、ずっといたい。
生まれて初めて抱いたその切実な願いは、夕暮れに染まり始めた空へと、静かに溶けていった。
茨の少年と、ひだまりの少女 仰 @aoi-ryo-novel
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