第5話 半分の静寂、半分の自由――聴覚を半分失った料理人は、そう思うことにした

お店を始める時夫にパチンコをやめる約束をさせた筈なのだが、陽直は連日病室に来てとても嬉しそうに昨日のパチスロの話をする。


「まさか、それが狙いの週末営業か」

「ちゃうよ。明日はパチンコ行けへんし」

「明日週末やろがい」


「そや、ダイエットコーラ買って来たわ。味見して。あかんかったら僕飲む」

こいつ!しれっと話題変えやがった!!


病院食は味の薄いものが多く、食べやすくはあるが味の濃いものも一応食べろと陽直はるなおが色々なものを買ってきた。


でも、味覚を感じる場所は舌の手前と奥にあるから、飲み物の方が好きになった。

味が濃くて苦手だったみそ汁が美味しく飲めるようになったのだ。


缶を開ける小気味いい音。でも過度に期待してはいけない。

一口。

「ん!?」

私はぐびぐびと飲む。

「おお!ノンアルビールみたい。最高か!」

私の顔を見て、陽直はるなおは本当に嬉しそうに顔を綻ばせた。

「おお、良かったなあ!で、次は何試す?」

「次もこれで。もう毎日飲む。日課にする。癒し。ありがとう」

飲み終わった後の口に残るえぐみが無い。

どこまでも爽やかで旨い。飲みやすい。


「もう全部これでいい。嬉しい。美味しい」

久々のカフェイン。やばい。染みる。

思えば最初の頃の頭痛はカフェインが切れた事によるものだったのでは?

次の手術の時は初日からこれを飲まなくては!!!


「そうか。良かったな。けど色々試さな。がんばろな」

陽直はるなおはことあるごとに私の大好きだった言葉を選んで吐く。私を思う彼の大切な言葉だというのに、どんどん積みあがって私はその重みに崩れてしまいそうだった。


「そ、そやな…。頑張るわ…。でもジュースはこれ一択で」

入院するまでは「頑張る」が一番好きな言葉だったというのに。

私は今まで他人に対して、なんて無神経で、酷い言葉を吐き続けたのだろうか。


だけど私は背負った彼の言葉を一個も降ろしたいとは思わなかった。

頑張らないと。



手術の映像を見る場所があるだとかで入院中色んな医師に声をかけられた。

「結構みんな集まって見てましたよ。凄かったです。勉強になりました」

何故だかチヤホヤされる。


医師は、珍しい症例が大好きだ。


あまりに何度も話しかけられるので、その機会に味覚について、実際手術がどうだったのか、色んな話を積極的に聞いた。私があまりにさっぱりしているので、主治医でもないのに医師は何でも教えてくれた。

味覚神経に巻き付いてるのを剥がす時にかなり力をかけたそうで、味覚は期待薄らしい。



退院祝いに母に連れて行かれたステーキ店。

味がしないのに、生ぬるい肉の弾力と血の匂いだけがするのだ。

ひとことで言うと、猟奇的な味。


「な?くるる、ここのステーキ美味しいやろ?」

「ほんまやな!めっちゃ美味しいわ!」

母の善意に、私は笑顔を張り付けて美味しいと言うしかなかった。


それから陽直はるなおに連れて行かれたラーメン。

かなり美味しいと評判の店に行ったのだけど無理だった。

旨味が刺す様な痛みに感じられて苦痛でしょうがなかった。



ホールに立てなくなった。 あんなにも嫌だと駄々をこねたのに、今では喧騒も乾杯の音も、私には半分しか聞こえない。 お客さんに呼ばれても気付けない。


陽直はるなおが代わりにオーダーに行き、ふらつく私の手を引いて奥に連れていく。


二人を下に見ていた事を恥じた。

彼らは「使えない私」を怒りもせずにフォローしてくれるのだ。

私はあんなにも怒鳴り散らしたのに。


聞こえすぎて陰口が苦しかった日々も、見えすぎて悪意が痛かった日々も、全部なくなる。


超スルースキルゲット。

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