第6話 世界で一番正しいカレーの食べ方

舌の痺れは治ったが次の診察で薬が止まると言われた。

だけどここで諦める事はできなかった。


私は色々なものを必ず右と左で食べ比べた。

言語派だと昔の主治医に言われていたのを思い出したのだ。

左右の味の違いをなるべく具体的にメモに残す。


無味だと思っていたのがそうではないと分かった。

苦みは感じる。甘みは全く無いけど、塩と酸味はほんの少し分かる。



くる、今日カレー食いにいこ。ナン食いたい」

「カレーか。分かった」


お店に入るとスパイスの良い香り。

くるどした?」

「え?ううん。カレー嬉しいなあ。久しぶり」

私はいつも通りの笑顔で言ったつもりだった。

だけどいつも明るい太陽みたいな彼が、珍しく眉を下げた。


「ごめんな」

「なんでよ」


こんな所でくじけてはいられないと、私は珍しく中辛を選ぶ。

辛さが痛みに感じてずっと避けていたので、辛みを感じる機会があまりに少なかったのだ。


「おい、お前、大丈夫か?先言うてくれたらこっち甘口にしたのに」

「ええて。右はいけるから食べれるよ」


目の前に置かれたナン。

バターの香りが鼻をくすぐる。

パン系は好きだ。香りが強いから味が無くても美味しい。

ナンはもちもち柔らかいから、舌に当たるざらつきもない。


スパイスの香りを鼻から吸い込む。

まずは、視覚、そして嗅覚。私の脳に、味を思い出してもらおう。

昔は、視覚から味を舌に思い起こす事ができたんだ。


陽直はるなおはじっと時が止まったように私から目を離さない。

まず、右で一口。


「美味しいわ」

陽直はるなおは、ほっと息を吐く。

「良かった」

ナンを食べて次は左で一口。


ゆっくり咀嚼する。


次はナン、そしてまたカレー。

カレーの辛みは、痛くなかった。

右、次は左。一口、二口と食べ進める。


かすかな、ナンの甘味。そして、カレーの辛み。


「なんか急に、いつもよりちょっと味が濃い」


「ほんまか!!良かったなあ!これから毎日色々食べて完全に戻ったらええな!」


この日、右に比べてまだまだ薄いけれど、私は左で味を感じられる様になった。


術前検査で味覚を測ると、左の味覚は「普通の人より強い」域まで戻っていた。 右に比べればまだ薄いのに、私の左は味覚過敏だった。

次の手術の時はすぐに味覚を書き止める事にする。

多分術後早い方が回復の見込みはある。


――――


スカイブルーの空が明けていく。

真っ青な水鏡を踏んで、壊して、駆け抜ける。


大好きな音楽のサビの部分が流れている時に主治医に起こされた。


三度目の手術。右耳の病巣を取り除く手術だ。

うまくすればこれで終わり。


手術台の上、

目覚めは良い。


遠くの方で看護師さんの「耳小骨」という単語が聞こえ絶望する。

主治医が音叉を私のおでこに当てた。

音は難聴側で響いた。

病室に戻るまで聞き間違いであって欲しいと祈る様に思った。


主治医の説明を聞き、ああやっぱりかと落胆する。

もう慣れている。


病室に帰った私に主治医は見せた。

「これが取り出したものです。」

左耳程ではないが大きかった。


7センチ程度の薄くて細長い病巣は

耳小骨の裏まで回り込み

脳の骨まで達していたらしい。


「耳小骨を取り外しました。」


一年後聴力が戻った私には、元の自然の音が聞こえるのだろうか。

再建後の音は左耳で知っている。

だから半分諦め、半分期待といったところか。

今度こそ耳小骨を完全な状態で保管する。

保管場所は冷蔵庫に決めた。


ベッドを覗き込む彼と目が合って、私の意識は、圧迫感から解放された。まるでプールから上がったみたいに。


「おかえり。くる。六時間半。記録更新や。」

「ただいま。はる。またよろしくお願いします。」

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