ハロー ニューワールド
衿乃 光希
ハロー ニューワールド
「キャー!」
「逃げろ! 早く!」
「救急車! 救急車を呼んでください!」
「誰か! 夫を助けてください! お願いします!」
悲鳴と混乱する声が錯綜する。
「お兄ちゃん?」
「だい、じょう、ぶ?」
胸の前で女の子を抱えているはずなのに、おかしいな、視界が真っ暗だ。
声も出しづらい。
「ゆい! ゆい、ケガは?!」
「お母さん! このお兄ちゃんが、守ってくれたの」
ケガはないみたいだね。良かった。
「お兄ちゃん! 救急車来たよ。がんばって。ねえ、お兄ちゃん!」
* * *
なんだここ。
水の中?
僕はどうして、水の中にいるんだ。
パチンコ店で働いていたはずなのに。
洪水でもあったのか? 雨は、降ってなかったはずだけど。
それに、どうして苦しくないんだ。
水の中にいるなら、呼吸ができるわけないのに。
なんか、温かいな。
水温が高い?
風呂よりは低い。温水プールみたいな? 行ったことないけど。
僕、溺れたのかな?
もう苦しくないってことは、あの世界とさよならしたってこと?
そうか。あんな腐った人ばっかりの世界と、やっとさよならできたんだ。
でも、おかしいな。水に入った記憶はないぞ。
ずっといなくなりたいって思ってたけど、父さんと母さんをちゃんとしたお墓に入れてあげたくて。それだけを望みに、なんとか生きていたはずなのに。
通り魔から命を賭して、僕を守ってくれた父さんと母さん。
ああ、でも、二人がいなくなったあとの僕の人生は、悲惨だった。
小学校に上がったばかりの僕を、遠い親戚が家においでと手を差し伸べてくれた。
悲嘆に暮れていた僕は、おじさんを信じて手を取ってしまった。
与えられた僕の部屋は、階段下の物置だった。
明かりだけはなんとかあったけど、狭いし、埃だらけ。
夏はストーブが置かれて、冬は扇風機が置かれる。
布団は薄くてぺらぺら。
夏は気温がこもり、冬は風が通らないくせに寒い。
両親の遺骨が入った骨壺とともに、僕は物置で生活をした。
おじさんの家族には奥さんと、僕と同じくらいの歳の男児が二人いた。
みんな丸々と太っていて。痩せっぽちの僕とは正反対。
朝になると、二階からどたどたと降りてきて、足音が響く。
わざとガンガンと音を鳴らされるときもある。
ドアや壁を蹴られることだってあった。
僕がもらえるご飯は朝だけで、固くてぱさぱさになったパンと、水だけ。
学校には行かせてもらえたから、給食をたくさん食べていた。
ある時、先生に呼び出されて、給食費が払われていないと言われた。
お金のことはおじさんに任せてあったから、僕にはわからなかった。
先生に給食を食べるなと言われるんじゃないかとびくびくしていたけど、さすがにそれはなかった。
僕の命を繋ぐのは給食だけだったから、取り上げられていたら、僕は餓死していただろう。
子どもだった僕は、両親が遺してくれたお金があることを知らなかった。
生命保険や遺産の存在を知ったのは、図書館で読んでいた本のお陰だった。
僕はおじさんと交渉し、殴られながらもなんとか遺産の一部をおこずかいとしてもらえるようにした。
それで文房具や服を買ったり、銭湯に行ったりして、身なりを整えることができていた。
中学校の制服や教科書代は、必要経費だと訴えて、遺産から出してもらった。
両親が遺したものを僕が使うのに問題はないはずなのに、あの家族は嫌そうな顔をしていた。
食事は相変わらず朝だけで、昼は給食。
中学校まではなんとかなっていたけど、高校に上がると給食はなくなった。
高校には行かず働けと言われていたけれど、高校が無償化になったお陰で、行かせてもらえた。
それで望みが叶うなら、僕の頭ぐらいいくらでも下げられる。
こずかいは小学生の頃の額から上げてもらえなかったから、僕はスーパーでバイトをした。
あの家にいたくなかったから、平日も土日も一生懸命働いて、お金を貯めた。
僕の口座はおじさんが管理していたから、常に現金を持ち歩いた。
物置に残して出掛けたら、きっと盗まれるだろうからと、僕は警戒していた。
高校三年間で貯めたお金で、僕はようやく酷い家から出ることができた。
遺産は返して欲しいとお願いしたけど、無理だった。
わずかしかなかったから、もうないと言われた。
僕の口座だけは返してもらえた。
両親がコツコツと貯めてくれていたお金が、全額別の口座に移されていたけど、僕は何も言わなかった。
遺骨とともにこの家から出ることだけが、僕の望みだったから。
寮のあるパチンコ店に就職して、これで人並みの暮らしができると安心した。
給料は良かったけど、怖いお客さんもいて、時々トイレに連れ込まれて殴られたり、お金をせびられることもあった。
寮の部屋に同僚が盗みに入って、生活費を持ち逃げされたこともあった。
口座の通帳とカードを持ち歩く癖がついていたから、これだけは盗まれずにすんだ。
部屋の鍵は頑丈なものに取り換えて、僕は寮で暮らした。
父さんと母さんのお墓を作るのに、お金が必要だったから。
その望みは、叶わなかった。
僕は、命を落としたから。
全身から血が抜けていく感覚を思い出した。
一か所目は腰だった。
次は背中に二か所、焼けるような痛みが走った。
どれだけ痛くても怖くても、逃げるわけにはいかなかった。
僕は女の子を抱えていた。
母親と手が離れ、目を血走らせた男の餌食になる直前で、僕が割り込んだ。
僕の体にずぶりと刃が入り込み、抜け、また入り。
僕を何度か刺した男は、別の人を襲いに行った。
悲鳴とサイレンが響く中で、僕は必死に、女の子を守った。
ゆいちゃんって呼ばれてたっけ。
大丈夫だったのかな?
僕は両親と同じ死に方をしたんだ。
両親は僕を守ってくれたけど、僕は誰か知らない子。
両親のお墓は作れなかったのは残念だけど、誰かを守れたのなら、僕の命にも価値があったってことなのかな。
万が一のために、僕に何かあった時は、全額寄付できるように手続きしてある。僕の遺産を、あの親戚の手に渡らせないために。
事故で親を失った子供たちへ。
次に僕が生を受けるのは、どんな世界なんだろう。
どんな親の元に生まれるんんだろう。
前世の生みの両親みたいに、温かくて、優しい人たちだったらいいな。
どうやらそろそろ時間みたいだ。
準備をしなくっちゃ。
ハロー、未知なる世界。
ハロー、未知なる僕。
* * *
おぎゃーおぎゃー
「ご嫡子様、ご誕生にございます」
「おめでとうございます。国王陛下」
ハロー ニューワールド 衿乃 光希 @erino-mitsuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます