二 皇帝夫婦は、竜神に呪われた。③
「あの、竜儀官さま」
一歩進み出て、璃璃は口をひらいた。
「わたくし、翠家の璃璃と申します。竜儀官さまにも、わたくしたちの身体は入れ替わっているように見えるのですか?」
「そうですね……。星火の声で別の方がしゃべっているのは妙なかんじがするなあ」
自分たちの頭がおかしくなったわけではないとほっとしたものの、これが夢ではなく現実らしいことも確定してしまい、璃璃は複雑な気持ちになる。
「昨夜、わたくしの夢に竜神が現れて、呪いを与えたと仰いましたの。いったいわたくしたちに何が起きているのでしょうか?」
「后陛下。ここは神前ですから、その話は参拝のあとにいたしましょう」
口元に人差し指をあて、飛雪は苦笑した。
竜儀官は初代竜帝の末裔である皇族の中から選ばれ、竜神に関わる神事を取り仕切る役目を担う。皇帝、宰相に次ぐ地位を持つが、政には口を出せないお飾り的な意味合いを持つ職で、皇帝直系の血を引かない傍流の者がなることが多い。ただ、飛雪の場合は自ら志願して竜儀官になったと、道すがら宮女たちが交わす話から知った。
竜神への参詣を終えると、飛雪の案内で星火と璃璃は
王宮に比べ、質素な居室に通されると、
「まあ、おいしい」
甘煮を口にして、璃璃は思わずつぶやく。
「それはよかった。竜廟に使用人はいないので、食事や茶菓もわたしたちが作るのですよ」
「甘すぎず
顔をほころばせて甘煮を味わっていると、「后」と横から星火が口を出した。
「俺の顔で『ですわ』はやめろとさっきも言っただろう」
「あら、この御方は魂を見通されるのだから、関係ないではありませんか」
「俺が気になるんだ」
「あれもだめこれもだめと──……まったく困った后だな?」
肩をすくめ、璃璃は男口調に切り替えた。
ついでに甘やかに流し目を送ってやると、星火は鳥肌でも立ったようすで「いい加減にしろよ」と声を低くする。普段ならば百官が震え上がるところかもしれないが、
「陛下は何がお気に召さないのですか。仰るとおりにしたではありませんか」
「俺はそのようにへらへら笑わない。そなたは朝からにやにや、へらへら、笑いすぎだ」
「うつくしいお顔なのに、もったいない。わたくしなら、この顔をもっと有効活用しますわ。でも、わたくしも自分がそのようにずっと不機嫌面をしているところなど見たことがないので、新鮮ですわね──ああ、新鮮だな……でしたか?」
茶を味わっていた飛雪がくすくす笑いだす。
「お見た目より、だいぶ肝が据わった后陛下じゃない? 陛下にはお似合いだよ」
「それは嫌みか?」
竜神いわく、璃璃と星火は「建国以来、
「こんな馬鹿げた呪いが本当にあるとあなたも思うか?」
昨晩見た夢の内容や入れ替わりを順を追って話し、星火は飛雪に尋ねた。
「つまり、今朝から陛下の身体の中には后陛下が、后陛下の身体の中には陛下がいるというわけだね。……ちなみにおふたりとも日常生活は、その……大丈夫なの? 着替えとかお手洗いとか……」
「昨晩見るものは見ましたので、陽の下であらためて見たり、使ったりするくらいの違いですわ」
「昨今の姫君はさらっとしてるなー」
璃璃は平然と言ってのけたが、星火のほうはいたたまれない表情で目をそらした。気にしているらしい。昨晩からうすうす感じていたが、氷帝陛下は結構
「飛雪兄上。それで、呪いの話はどうなんだ。あなたなら何か知っていると思ったんだが」
星火が話を軌道修正した。
「ああ、そうだったね。伝承自体は聞いたことがあったはず……。どこだったかな?」
飛雪は席を立つと、壁に並んだ書架を見渡した。
おさめられている無数の巻物からひとつを取りだし、璃璃と星火の前でひらく。古い巻物にはかすれた線で絵が描いてある。保存状態があまりよくなかったのか、彩色はだいぶ薄れていた。
「何が描いてあるんだ?」
星火と璃璃は互いを押し合うようにして巻物を凝視したが、いまひとつ判然としない。
苦笑して、飛雪が説明を始めた。
「何でも五百年前──竜神は
「はあ? 蛙?」
「まあ、よくある
「やはりくちづけで戻ったのですね……」
そこに関しては自分が見た夢の告げと一致している。蛙の夫婦だが。
「でも陛下、これからどうするつもり? このままずっと后のおすがたでいるのはさすがに不都合があるでしょう」
「たいへん不都合がある。俺は皇帝だぞ? 誰が俺の代わりに公務をするというんだ」
「といっても、さすがに皆の前で入れ替わりの話をするわけにもいかないしねえ……」
確かに、と璃璃は考え込む。
まず信じられない話であるし、たとえ信じたとしてその理由が「愛のなさゆえに」というのは外聞が悪い。この国では建国以来、夫婦の
皇帝夫妻は百官から民に至るまでの規範となる存在である。
それが「愛のなさゆえに竜神に呪いをかけられた」などあってはならない話だ。星火の金と権力を目当てに嫁いだ璃璃としても、民の人気が下がる事態は避けたい。
「この件は決して他言はするな。先帝に続いて、俺まで后でやらかしたなんて笑えない」
「そんな言い方……。先帝は心優しい仁君だったよ」
「后が死ぬまではな」
吐き捨てるように星火が言った。
飛雪はかなしげに
「……ひとまずわたしのほうでも、呪いにまつわる伝承をもう少し調べてみよう。蛙の夫婦のように自然に心が通じ合って解けるなら、それに越したことはないけどね」
璃璃と星火は思わず視線を交わした。
互いの
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