二 皇帝夫妻は、竜神に呪われた。①

「──夢の中に現れた竜神は、こう申しておりました」

 目の前でと話しているのは、長い銀髪を背に流した若い男だ。

 蒼灰色の眸を物憂げに伏せ、しおれた花のように肩を落としてうつむいている。

(まるで鏡を見ているようだな)

 対する星火はむすっとした表情で床榻にあぐらをかいて座っていた。「竜珠国のれんすぎる花」──璃璃のすがたでだ。

「『愛なき初夜を送った夫婦に《呪い》を与えた。解くためには愛のあるくちづけが必要』」

「なんだそれは」

 思ったよりも細い声が出て、星火は違和感からせきばらいをする。

 璃璃──星火の顔だが──は呆れたふうにこちらを見た。

「ですから、何度も申しているでしょう。夢の中に現れた竜神らしき御方がそう仰っていたのです」

「ばかばかしい」

 星火は舌打ちをした。

「そうは言っても、この状況のほうがだいぶこうとうけいですわ」

「ですわなどとその顔で言うな。気色悪い」

 本当にぞっとしたので命じると、「はあ!?」と璃璃が声を上げた。

「陛下こそ、その乱暴な口調をおやめくださいませ。あとまたをひらかない! さっきから目のやり場に困ります!」

 指摘されてひざもとに目を落とすと、確かに寝衣が巻き上がってしどけないことになっていた。

「……くそ」

 むっとしつつも、一応めくれていた衣を戻す。

「まさかそなたが妙なじゆじゆつでも使ったんじゃないだろうな?」

 思いついて尋ねると、璃璃は心外だというふうにまゆを寄せた。

「仮にわたくしが妙な呪術を使うとして、自分まで巻きこむ必要がありますか? 間抜けすぎるでしょう」

「まあ、確かに」

 正論ではある。星火は押し黙った。

(それにしても、きさきのこの性格……)

 婚礼の儀式までは、梅の花が咲きほころぶようなしとやかな風情を漂わせる少女だったが、星火の身体の中でふるまっている彼女はだいぶ性格がちがって見える。昨晩の途中あたりからすでにひようへんしていたが。

「そなた、本当は相当性格がアレだろう」

 指摘すると、璃璃はつんとそっぽを向き、「陛下だって相当性格がアレですわ」と言い返した。口にしたあと、「ですわをやめろ」と言った星火の言葉を思い出したらしい。

「アレであるである……ううん、男言葉って難しいですね」

「ですわをやめるだけだろう」

「陛下も少しは丁寧な口調を心掛けませんこと?」

 ちくりと刺されて、星火は顔をしかめた。

 めくれないようには気を付けつつ、あぐらにほおづえをつく。

「とにかくこのおかしな状況をどうにかしたい」

「そこは全力で同意いたします。何か策は?」

 そう言われても、「身体が入れ替わった夫妻の戻し方」などという知識が星火にあるはずもない。為政者となるため幅広い学問を修めてきたが、こんな状況の対処法など門外漢だ。

「……もう一度寝れば直るんじゃないか?」

 投げやりに言うと、璃璃はあきれ切った目をして星火を見た。

「陛下。本気でどうにかする気あります?」

「なんだと? そなたこそ──」

「皇帝陛下、お目覚めでいらっしゃいますか?」

 そのとき、部屋の外から侍女に控えめに声をかけられ、星火と璃璃ははっとして口をつぐんだ。

「ああ──」

 つい癖で返事をしかけた星火の口をふさぎ、「ああ、今起きた。春雀を……后のために支度の侍女を呼んでくれ」と璃璃が代わりに命じる。先ほどまで「アレであるである」などと言っていたわりに、堂々とした物言いである。

「承知しました」

 特に違和感を抱いたようすもなく侍女が下がったので、星火と璃璃はほっと胸をで下ろした。

「陛下、わたくしづきの侍女は名を春雀といいます。心やさしく寡黙なたちの娘ですので、余計なことさえ言わなければ大丈夫」

 ひそひそとささやいた璃璃に、「わかった」と星火は顎を引く。

 状況は馬鹿げているが、それでも最低限の公務はこなさなければならない。皇帝夫妻の私的な時間はねやくらいのもので、あとはほぼ公務で埋め尽くされている。婚礼の翌朝であっても例外はない。

「婚礼の翌日は、夫婦そろってりゆうびようもうでるのがしきたりだ」

 星火は璃璃に説明した。

「竜廟には、従兄いとこで竜儀官のせつがいる。昨日の婚礼にも立ち会っていたから、そなたも覚えているだろう。少々面倒くさい性格だが、信頼はできる男だ。特に歴史や伝承に詳しい。詣でたついでに話を聞いてみよう」

「医官は呼ばなくてよろしいのですか?」

 尋ねた璃璃に、星火は息をついた。

「この状況を医者に説明するのか? 夫婦そろって頭がおかしくなったと思われるぞ」

「……まあ、そうですわね」

 これに関してはそのとおりだと思ったらしく、璃璃は素直にうなずいた。

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