一 猫かぶり姫、后になる。④

 堂々と宣言したあと、

(……しまった!)

 我に返り、璃璃はあおめた。

 なぜ言ってしまった。一世一代のこの大舞台で。

 十七年の努力はいったいどうしたというのだ!

(だって陛下が兄さまや姉さまたちまで侮辱するようなことを言うから……!)

「ほーう?」

 案の定、星火は冷え冷えとした目で璃璃を見た。

 内心、璃璃はびくついてしまう。激怒した皇帝に首をねられるかもしれない。

「金と権力か。まあよい。噓ではないし、愛だの恋だの求められるよりはマシだ」

「……い、いやですわ。陛下の空耳ではございませんこと?」

 笑ってごまかそうとしたが、星火の目は冷えきったままだ。

 何かを考え込むように深く息をつき、星火はひじけにもたれた。

「想い人がいるなら、今夜くらいは免除しようかとも思ったが……。后は夫婦の夜の仕事は知っているな?」

「もちろん、存じておりますわ」

 花も恥じらう乙女ぶる予定だったのに、はきはきと答えてしまった。

 とはいえ、金と権力の目的がつまびらかになった時点で、うぶな乙女らしくふるまっても白々しいとも思う。普通、ねやについては後宮に入る前にとしかさの侍女から手ほどきを受けるものだが、璃璃の場合はある事情から八歳までろうで育ったため、あらためて教えられずともだいたい知っていた。

「后である以上、白い結婚というわけにもいかない。そなたは本意でないかもしれないが、公務のひとつだと割り切ってくれ。……手早く済ませるようには心がける」

「承知しました。では、効率的に参りましょう」

 璃璃はさっそく花嫁衣装の帯を解いた。何枚も絹衣を重ねた花嫁衣装は脱ぐだけでも一苦労である。いちばん上の流水紋が描かれた深紅の絹衣から脱いでいると、星火はぽかんとしたあと、「な、何をやっている!?」と声を荒らげた。

「陛下が手早くと仰るので、とぎの準備をしております」

「うら若い乙女が脱ぐな、自分で!」

「あら、脱がせるほうがお好みでしたか?」

「ばかを言うな! 好みの話はしていない!」

 星火はなぜかしかめ面をすると、璃璃の衣装の乱れを直した。

 手を取られ、居室とは扉ひとつでつながった寝室のほうへ連れ込まれる。

 てんがいつきの寝台には、花のかたちに結ばれたくみひもがいくつもるされている。

 漆塗りの箱枕が並べられ、しとねに敷かれた布にはすいれんの刺繡が入っていた。

 星火は肩にかけていた上着を脱ぐと、一段高くなったしようとうに座った。手はつかまれたままだ。星火が座していて、璃璃は立っているので、見下ろす格好になってしまった。これは皇帝に対して不敬にあたるかもしれない。

 つないだ手に目を落とし、璃璃は首を傾げた。

「始めないのですか?」

「后がよいというならな」

「陛下がお命じになれば、否という姫はおりませんわ。寝台に放り込めばなし崩しですわよ」

「さっきからそなた、いったいどういう育ちをしてきたのだ……」

 あきれたようすでぼやかれ、璃璃は肩をすくめた。

「確かに少々変わった育ちかもしれませんが」

「……俺は無理やりどうこうするのは好かない」

「わー、おやさしいんですのね?」

「いい加減口を慎まないと、ここからり出すぞ」

 棒読み口調がよくなかったのか、星火はむっとしたふうにけんしわを深めた。そういう顔をすると、皇帝の仮面が外れ、年相応の青年らしく見える。

 ──この方がこの国の皇帝。《氷の君》。

 けれど、王宮の外で聞いていた噂とは少々ようすが異なるようだ。

 出会ったばかりの璃璃にはまだ星火が抱える事情はわからなかったが、自分と同じように星火にも必要に駆られてかぶっている仮面があるのだろうか。

 では、その裏側にあるものは?

「わかりました」

 微笑を引っかけ、璃璃は口をひらいた。

 皇帝をろうらくするつもりが、初夜から計画の軌道修正をかけることになった。

 だが、しかたない。計画は想定どおりにはいかないのが常だ。臨機応変に対応していこう。

「それでは、よいはわたくしから参りましょう」

 まずはこの夜を乗りきり、名実ともに皇帝の后となる!

(ああもう、わたくしだってはじめてなのに!)

 よぎった弱音は月影に放り、璃璃は星火の胸に飛び込んだ。


 ──よくお聴き、竜帝の后よ。

 薄闇の向こうから、大きなふいごのような音が聞こえて、璃璃は瞬きをした。

 見れば、白銀のうろこがきらきらと輝く巨大な蛇身が眼前に横たわっている。大きすぎて、端から端まで見通すことはできない。

 淡い陽光がはるか上の水面で揺らめいていた。

 夢を見ているのだろうか。水中にいるはずなのに、息ができるのが不思議だ。

 ──建国以来、まれに見る愛なき初夜を送った夫婦に《呪い》を与えた。

「の、呪いですって!?」

 びっくりしてき返すと、竜は片目をぱちりとひらき、また眠そうに閉じた。

 ──解くためには……が必要……。

「何? 何が必要だと言ったの? もう一度おつしやって!」

 必死にせっつくと、竜はむにゃむにゃと繰り返した。

 ──愛のあるくちづけが必要……。


「はぁああああ!? 何を色ぼけたこと言ってるのよ、蛇って言うわよ!」

 素で悪態をつき、璃璃はがばっと身を起こす。

(今聞き慣れない低い声が出たような……?)

 奇妙に思いつつ、肩に滑り落ちたをかき上げる。

 朝の陽が寝室に細く射し込んでいた。昨晩、身を清めたあと下ろした寝台のとばりを引き上げると、夜が明けて間もないのか、やわらかな白光が足元に落ちた。

(陛下は……)

 何気なく横に目を向け、璃璃ははたと動きを止める。

 すぐかたわらで、長い黒髪の少女がすやすやと寝息を立てている。

 煙るようなまつが目元に影を落とし、頰は健やかに色づいて、まるで花精のように愛らしい。

(そうよね、わたくしは眠っていても愛らしい……)

 うんうんとうなずいてしまってから、ちがう! と認識をあらためる。

(なぜ、わたくしがわたくしの横で寝ているの!? これも夢!?)

 混乱し、璃璃は自分の両手に目を落とす。

 見慣れたものとは異なる、骨ばった大きな手だ。いぶかしげに自分の身体を見下ろし、璃璃はぎょっとして壁に飛びのいた。

 ──いったい何が起きている!?

「ん……」

 横でどたばたと音を立てていたからか、眠っていた少女が目を覚ました。

「朝……?」

 愛らしい声でつぶやいてから、そうはくになっている璃璃を見上げて目をすがめる。

「は? 俺?」

 花桃色のひとみに映った自分のすがたを見て、璃璃は今度こそ確信した。

 ──わたくしは今、なぜか陛下の身体の中にいる!

 そして、おそらくは璃璃の身体の中に星火がいるのだ!

 わなわなと震え、璃璃は叫んだ。

「どうなっているの!?」

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