一 猫かぶり姫、后になる。②

 そして今──りゆうびようでの婚姻の儀式を終え、璃璃はげつとう後宮へと足を踏み入れた。

 建国以来、ただひとり后が住むためだけに造られたごうしやな宮殿だ。

 竜珠国の皇族の結婚制度は少々特殊で、彼らは后をただひとりしか持たない。

 これは建国の際、初代皇帝となったせいえんが竜神と人間の姫君がした皇子であったという伝説に由来する。竜神は愛情深く、つがいと決めた者だけを生涯愛するので、その血を引く彼らも総じて、たったひとりだけに深い愛をささげるというのだ。国内外を問わず、姫君たちから竜珠国の后がうらやまれる理由だ。

 竜珠国は大陸の東方に位置する大国で、周辺には南にほうおうに守られたそうよく国、西に白虎に守られたはく国、北に玄武に守られたこつ国がある。

 どれも神々の加護を受けた国々だが、それぞれの神の性質を反映して国の制度や形態が異なり、四国の中で後宮に后をひとりしか置かないのは竜珠国だけである。なお、比翼連理でたとえられる、同じく夫婦神話が根強い双翼国は、代々女帝が立ち、後宮には男が入る。

「実際、太子の后選びって謎に包まれているのよね」

 侍女のしゆんじやくに夜用の化粧をほどこしてもらいながら、璃璃はつぶやいた。

 春雀は璃璃と同い年の少女で、七年前に弟のふうえんとともに人買いから買い受けたあと、ずっと璃璃のそばに置いている。はしばみいろの髪にみどりの目という西域混じりのようぼうの少女だ。

「噂では、貴族八家に推挙された年頃の姫君の中から、竜神の告げによって選ばれると聞きますが……」

 鈴に似た可憐な声で春雀が応える。

 おとなしく控えめなこの少女は、いつも璃璃にだけ聞こえる小さな声で話す。

 春雀の肩には、彼女が弟との伝達に使う雀が留まっており、今はのんびり羽づくろいをしていた。

まゆつばじゃないかって、わたくしは思っているけどね」

「そうなのですか?」

「だって、わたくしのような野心と打算だらけの娘を竜神が選ぶと思う?」

にやんにやんは透き通った宝石みたいにきれいな心をお持ちですよ」

 誇らしげに頰を染めて春雀が言った。

 このそば仕えの少女は少々、璃璃びいすぎるところがある。

「それはわたくしがおまえたち姉弟きようだいを極悪商人から買ったから、恩義を感じてそう思っているだけよ。何度も言っているけど、お安かったし、使えると思ったから買ったの。翠家は貧乏だから、大金なんて出せないしね」

「でも、小さな娘娘は大切な耳環と引き換えにわたしたちを助けてくださいましたわ」

「はいはい、そうね。わたくしって、子どもの頃から人品に優れた姫君よ」

 おざなりにうなずき、璃璃は話を切った。

 後宮内は中央にすいれんの池が広がり、皇后の居室や寝室などの各室は池を取り囲むように配置されている。これは他国にはない、竜珠国ならではの造りのようだ。周囲の欄干には火を入れたとうろうるされ、星の映る水面に金色のあかりを落としている。思わずうっとりしてしまうような幻想的な光景だ。

 しばらく待っていると、部屋の外から皇帝のおとないを知らせる鈴が鳴った。

(来た……!)

 璃璃はぱっと椅子から立ち上がる。

「春雀、おまえは先に下がりなさい」

「承知しました」

 一礼し、春雀がそそくさと居室を辞した。

 儀式のあいだ、顔を隠していた絹団扇は置いている。皇帝は夜の寝所において初めてきさきとなる娘の頭にかけられた深紅の布を外し、素顔を見ることができるのだ。

 拱手の礼を取って目を伏せていると、廊下から聞こえてきた足音がぴたりと止まった。扉の開閉音とともに、璃璃の足元に人影が射す。

「面を上げよ」

 かつて梅苑で耳にした、低い美声が響いた。

 さすがに緊張しつつ、璃璃は拱手を解く。

 小柄な璃璃に対し、星火は上背があるため、自然と見上げる格好になる。

(この方が竜珠国の皇帝……)

 すぐにあいさつを続けるつもりが、いやおうなく視線を吸い寄せられてしまい、璃璃はどきりとした。

 まだ二十一歳と聞くが、昼の儀式のあいだの正装から深あいの上下に着替えた青年は、皇帝にふさわしい風格を自然と漂わせている。儀式のときにつけていた冠は取り、銀灰のうつくしい髪が無造作に背に降りかかっていた。そして、冬空に似た色の切れ長のひとみ。《氷の君》の呼び名どおりの冷ややかなぼうだ。

「夜のお渡りを賜り、感謝申し上げます、陛下……」

 何とかいつもの微笑を口元にたたえ、璃璃は星火を見返す。

「翠家から参りました、璃璃と申します」

「歳は十七。翠家の当主、四亀の側室を母に持つが、九年前に正室の養女になったんだったな」

 報告書でも読み上げるように淡々と口にすると、星火は璃璃の頭にかけられた深紅の布をぺいっと取り払った。

(ん?)

 急に広くなった視界で、璃璃は目を瞬かせる。

 今、すごく雑に「ぺいっ」と布を取られたような……。

 深紅の布を長卓に置いた星火は、璃璃にはいちべつもくれずに椅子に腰を下ろした。

(それにわたくしのことを見ようともしない……)

「お疲れでございましょう。お茶を用意しましょうか?」

 困惑しつつも、ひとまず璃璃は用意していた台詞せりふを言った。

 貴人の茶を用意するのは、そば仕えの宮女の役目だが、夫のものは妻がれることもある。

 卓のそばに備え付けられた棚から、毒見役があらため済の茶葉を取り出そうとすると、「いや、よい」と星火が遮った。

「先に本題に入ろう。──后は竜珠国の皇帝夫妻の伝説は知っているな?」

 椅子のひじけにほおづえをつき、星火が尋ねた。

 もちろん知っている。国内外の姫君たちがあこがれる甘くうつくしい恋物語だ。

「存じております」

 ──陛下は何が言いたいのだろう?

 不審に思いつつも、璃璃はうなずいた。

「どのような伝説か、言ってみろ」

「竜珠国の皇帝は代々、后をひとりしか持たないという伝説です。后だけを一途に愛すると……」

「そのとおり。この国の人間なら、子どもでも知っている伝説だ」

 あごを引き、星火は足を組み替えた。

 星火の背には、格子が組まれた丸窓がある。香料を袋に詰めて結んだ壁飾りがみやびやかな香りを運んできた。青磁の水盆に飾られた花々に、絵ろうそくによる大小の灯り。とぎばなしのように華やかに整えられた部屋だが、そこに座る星火にはあいにくそういった甘やかさはない。

「思い違いがあると互いに困るだろうから、はじめに言っておく」

 星火は口をひらいた。

 蒼灰色の眸がはじめて璃璃を正面からとらえる。

「俺は后との恋は御免だ。まったく、少しも、毛ほども、后と恋をする気はない。一途に愛するなどというあれは初代竜帝のい言だから、今日を限りに忘れてくれ」

 深みのある美声で立て板に水のごとく述べられ、璃璃はぱちくりとまばたきをした。

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